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環境保護につながる大入島のカキ養殖

執筆者のアイコン画像和田 弥月(NHK大分アナウンサー)
2023年01月19日 (木)

ぷりっぷりのカキ
おいしそうでしょう?

これは佐伯市の大入島のブランドカキ
「大入島オイスター」

年々漁獲量が増えていて
東京や関西、海外でも人気となっています

このカキ
島の活性化だけでなく環境保護にもつながっているんです

まずは佐伯市のカキ小屋を訪ねました
何事にも味わってみないと取材は始まりません!よね

 

人気! 大入島オイスター

 

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私の目の前に運ばれてきたカキ
身がとってもきれいです
いただきます!

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う~~~ん♪
とっても甘くて濃厚な味が口いっぱいに広がります!
とろとろしていてとてもおいしい♪

カキ小屋のお客さんもその味に感動していました

中身がジューシーですごくおいしかった
身がぷりぷりでとってもおいしかったです!

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みんなを感動させる味わいの大入島オイスター
どんなところで養殖されているのか
いざ!大入島へ

 

おいしさの秘密は育て方にあり!

 

訪ねたのは島のカキ漁師 宮本新一さん


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10年ほど前からカキの養殖を始め
以来試行錯誤を重ねてきました

大入島のカキ養殖はシングルシードという方法で行われています
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カキの養殖はロープで吊り下げたホタテの貝殻に
種ガキをつけて行うのが一般的です
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ただこの方法だとカキ同士がくっついてしまうこともしばしば

一方、シングルシード方式だと
かごの中ではなればなれに育つので身が大きく成長します

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波に揺られカキとカキがぶつかりあうことで
殻にフジツボなどが付着することもなく
丸みを帯びたきれいな見た目に育つんだそうです

さらに成長に合わせて出荷までに3回かごを入れ替えます
かごの中のカキの大きさをそろえることで
餌となるプランクトンがまんべんなくいきわたるようになります


そしてもうひとつの工夫がこちら
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矢印の部分、よく見てください
カキの入ったかごが海面からでていますよね
これ、「天日干し」しているんです
かごをひっくり返して海水から出し空気にさらして
ストレスを与えるんだそう
でも、なぜこのようなことを? 宮本さん?

宮本:天日干しをすると日光に当たるので
水分が逃げないよう耐えるために固く口を閉じるので
貝柱が鍛えられ、太くて甘みの強い貝柱になります

大事にしながらも、ときに負荷をかけることで成長をうながす
人間にも同じことが言えそうですね

 

カキが海を守る? その働きとは?

 

大入島のカキは佐伯湾の環境を守ることにもつながるのではと
期待されているそうなんです
どういうことでしょう?
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かつて佐伯湾では大規模な赤潮がたびたび発生
6年前にはおよそ2億円にのぼる被害が出ました
カキ漁師の宮本さんは、当時アワビやサザエなどの漁をしていましたが
ほとんどが死んでしまったそうです
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宮本:絶望的でお先真っ暗な感じでした
収入がなくなるので他のアルバイトに行ったりしていました

でもカキだけは赤潮の被害をうけなかったことから
本格的にカキ養殖に取り組みはじめました

実は近年の研究で
カキは赤潮の被害を受けないだけでなく
発生を抑える効果があることがわかってきています

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この日宮本さんのもとを訪れたのは
大分県農林水産研究指導センターの宮村和良さん
県も赤潮対策としてのカキの存在に注目し
定期的にデータをとったり
補助金を出したりしてカキ養殖をサポートしています

宮村:カキはプランクトンをエサにするため
養殖を拡大することで
赤潮プランクトンの異常増殖を防げるといわれていて
赤潮の被害軽減に役立つのではないかと考えています

大入島オイスターは
佐伯の海を守る存在としても注目され始めているんです

 

カキと地域を未来へつなぐために

 

大入島全体のカキの生産量は当初のおよそ6倍に
いまでは東京や関西などのオイスターバーのほか
海外にも輸出するようになっています

カキ漁師の宮本さんは大入島を新たなカキの産地にしようと
養殖協議会を設立しました
島全体で大入島オイスターのブランド力をアップさせようと
自分が得た知識やノウハウを惜しみなく仲間たちと共有しています
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カキ養殖がうまくいけば
次の世代が続いてくれると思うので
この島でカキ養殖を成功させて人口減少に歯止めをかけたり
若い人の仕事がこの島にあったりすることで
移住したりビジネスモデルを作ったりすることになるとおもう
それが原動力となっています


大入島オイスターの貝殻は
細かく砕いて家庭菜園用キットの肥料にも使われているそうです
SDGsという観点でも注目ですね


大入島オイスターは佐伯市のカキ小屋でたべられます
また佐伯市のふるさと納税の返礼品にもなっています
みなさんもぜひ味わってみてください!

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執筆者 飯尾 夏帆アナウンサー
2023年03月24日 (金)

自分らしく生きる トランスジェンダー・倉堀翔さんの思い

                                                                                  「嘘をつかずに生きていれば、こんなにも素晴らしい人生を歩むことができますということを、私の人生が証明している」去年(2022年)1年間の中で、私が最も心を打たれた言葉です。お話を伺ったのは、倉堀翔(くらほり・しょう)さん(35[)。大分市出身のクラリネット奏者です。別府アルゲリッチ音楽祭若手演奏家コンサートなど、県内各地でコンサートの依頼が相次ぐ、いま注目の若手演奏家です。倉堀さんは、「出生時に割り当てられた性別」と、「性自認(自分の性別をどう認識しているか)」が異なる“トランスジェンダー”。出生時に割り当てられた性別は、男性。11年前から 女性として生きています。ただ、そう決めるまでにはさまざまな困難がありました。自分らしく生きる倉堀さんに、その思いを聞きました。 (1) 自分の“性”に違和感を覚えた少年時代   倉堀さんが自分の性に違和感を覚えはじめたのは、保育園のとき。男の子用の青色の上着を着せられるたびに、泣いていたといいます。 成長するに従い男女の区別をしっかりつけられるようになると、違和感は、自分が女性だという意識にはっきりと形を変えました。 (倉堀さん)制服(学ラン)に関してはどうしても許せないというか、私は男じゃないっていう芽生えがそこで出てきました。(飯尾)同級生からからかわれり、嫌なことを言われたりした経験はありましたか?(倉堀さん)あります。いっぱい。オカマは日常茶飯事。ショックだったのは、友達の親御さんから、「お前はそんなやつと仲いいのか、家に来ることも許されない」とか、「遊びに来るな」みたいな。生きているだけで批判されるんですよ。普通に生きているだけだと思っていることが、周りと違うことで、批判されて面白がられて…。 (2) クラリネットと恩師との運命の出会い 「音楽は平等」そうした辛さを忘れようと打ち込んだのが、クラリネットでした。そのクラリネットは、人生を変える出会いを連れてきてくれました。 山本勝彦(やまもと・かつひこ)さん。倉堀さんが通っていた大分雄城台高校で吹奏楽を教えていました。バイオリン奏者としても活動していた山本先生の指導は、音楽に対して一切妥協のないものでした。 (倉堀さん)「音楽をする芸術家は絶対に差別はしてはならないし、音はみんな平等です」と。楽器の奏者として成長するのではなくて人として成長してくださいっていうのを、直接言われたわけじゃないけどそこを私は感じ取れたんですよね。  指導を受け始めてから半年が経ったある日。倉堀さんは山本先生に「文化祭で演奏に合わせてダンスを披露してほしい」と声をかけられました。 文化祭の様子 (水色の服を着ているのが倉堀さん、白いタキシードが山本先生)  倉堀さんは、200人ほどの生徒が見守る中、その大役をやり遂げました。その時に山本先生にかけられた言葉が忘れられないと言います。 (倉堀さん)「君はキャラクターが素晴らしい。個性に満ち溢れているから人を幸せにできる」と言われて。普通の人だったら「恥ずかしい」「嫌です」となったと思うんですけど、私はすごく嬉しくて、私を1人の人としてちゃんと個性を認めてくれて、見てくれているんだということが分かる場面だったんですよね。 個性を認めてくれた山本先生。しかし、その別れは突然でした。倉堀さんが2年生の冬、病気でこの世を去ったのです。 (倉堀さん)私も、誰からも尊敬されて慕われて一緒に音楽ができる先生になれたらなっていう夢も与えてくれた。過ごした年数は1年ちょっとしかないんですけど、一生大切になるようなことを教わったなと思います。  (3) 憧れの教師の道へ その時、偽りの自分に気づく                  山本先生の背中を追って、音楽教師の道に進んだ倉堀さん。現在は演奏家としての活動の傍ら、大分高校で音楽の授業を担当。県内各地でクラリネットのレッスンも行っています。 取材にうかがった日、休み時間中にもかかわらず、生徒たちが倉堀さんのもとに集まってきました。生徒たちに、倉堀さんはどんな先生なのか聞きました。  女子生徒「めっちゃ面白い、めっちゃ優しい、何しても怒られない(笑)」 男子生徒「いつも明るくて、みんなに音楽の授業を楽しんでもらおうという感じがすごくするいい先生だなと思います」   新人教師時代の倉堀さん 今でこそ、ありのままの自分を出して教壇に立っている倉堀さんですが、教師として生徒に教え始めた頃は違いました。男性の服を着ながらも「自分は女性なんだ」という思いが、言葉や仕草などに現れていたのです。その姿を見た生徒から心ない言葉を浴びせられ、夢だった教師を1年余りで辞める決断に至りました。 (倉堀さん)「話し方が気持ち悪い」とか、「もうちょっと男っぽく喋ろっちゃ」と。「男なん?女なん?」という生徒の純粋な質問に対して、自信を持って女ですと答えることができない自分がいたんですよね。 しかし、生徒の言葉の中から気付かされたこともあったと言います。 (倉堀さん)そうか、と思ったんですよね。私、いま嘘ついて生きているんだって。嘘をついている人に、信頼して私の授業受けてねと言っても説得力がないじゃないですか。そのとき、自分らしく生きる決心をした。女性として生きようって。 (4) ありのままの自分で生きる 持っていた男性用の服を全て捨て、女性用の服を人生で初めて購入。メイク道具も揃え、女性としての人生をスタートさせました。今は「メイク道具集め」が趣味だという倉堀さんに、自分にとってメイクとはどんなものなのか聞きました。 (倉堀さん)(メイクを)しない日はないと思います。それが私。結局は自己満足でしょうけど、自己満足が生きる勇気をくれたり気力になったりするんだったら、自己満足でもよくない?と思う。  山本先生から与えられた夢を諦めたくないと6年前、再び教職に復帰。 おととし(2021)、クラリネットの全国コンクールで、教え子を2位に導きました。そうした活躍を恩師の山本先生に見てほしかったと感じています。倉堀さんに、「もし今先生に会えたら、どんな言葉を伝えたいですか?」とお聞きすると、涙を流しながら、こう答えてくれました。 (倉堀さん)どんなに願っても、今の自分の成長した姿を見せられないのが本当に寂しい。見てほしかったなとすごく思うんですよね。やっぱりクラリネットを聞いてほしいし。「あなたが育ててくれた私みたいな生徒以上の生徒を育てます」というのが、今の私の夢になっている。出会えていなかったら、多分、今の私はいないんだろうなと思います。 (飯尾)本当に素晴らしい出会いですね。 (倉堀さん)本当にそうですね。クラリネットにも感謝しかないし、(山本)勝彦先生にも感謝しかないです。 取材にあたって、山本先生の妻・律子さんにもお話をうかがいました。倉堀さんについて、こう話してくれました。(山本律子さん)倉堀君、いまは「翔ちゃん」と呼んでいますが、夫が大変可愛がっていた生徒の1人でした。心優しい子で、私とは今も交流があります。夫も今の活躍を誇らしく思っていると思いますよ。 (5) 誰もが自分らしく生きられる社会へ 自分らしく生きる道を歩みはじめて。倉堀さんは今、新たな活動を始めています。それは、教育現場などで自分の経験を話す活動です。 (倉堀さん)私はトランスジェンダーです。生まれたときは男の子でした。しかし、自分の性でとても悩み、苦しみました。今、私は自信を持って言います。私は、女性です。 これは、去年(2022)の12月上旬、国東中学校の生徒と保護者に向けて行った講演会での言葉です。大勢の人の前で「私は女性です」と言い切る倉堀さんに勇気づけられる人が多いと感じました。私もその1人です。  制服の見直しなど学校現場でも多様性が重視される中、自身の経験を伝えてほしいと、倉堀さんのもとには大分県内各地の学校から講演の依頼が相次いでいます。  この日、講演を聞いた中学生は、倉堀さんの言葉をどのように受け止めたのでしょうか。  (中3 男子生徒)どんな人でも過ごしやすい社会にしていけるように、日々そういうことを考えて過ごしていきたいと思いました。 (中3 女子生徒)1人1人やっぱり人間は違って、1人1人それぞれの人間だから、私たちが勝手に決めた普通というものを取り除いて、みんなで違いを認め合っていけたらと私は思いました。 倉堀さんの言葉は、子ども達にしっかりと届いていました。 インタビューの最後に、倉堀さんにこれからの夢を聞きました。 (飯尾)約10年前に女性として生きることを決めました。次の10年はどういう10年にしたいですか?」(倉堀さん)私みたいに希望を持って夢を追いかけられるような、差別がなくなる世の中にしていきたい。こうありたいとか、こういう自分でありたいとかいう自由は誰にも邪魔をされてはいけないと思うんですよね。自分はこうありたいというものを自由に選択して、自分らしく生きていってほしいということを伝えていけたらなと思います。 去年(2022年)12月だけでも5回、講演に立った倉堀さん。今後も依頼があればこうした活動を続けたいと言います。次の10年に向けて、倉堀さんの挑戦は続きます。

執筆者 飯尾 夏帆アナウンサー
2023年03月24日 (金)

センバツへ!一回り大きくなった大分商業

3年ぶり7回目のセンバツ出場となる大分商業。春夏通じて22回目の甲子園は、県内最多です。センバツに向けて、持ち味の守備力に加えて打撃力向上に努めるチームを取材しました。  堅い守備でつかみ取ったセンバツ出場 大分商業の伝統は堅い守備。WBC日本代表の源田壮亮選手もこのグラウンドで鍛えられました。その伝統はことしのチームも継承しています。秋の公式戦の失点は、1試合平均1.5点。しまった試合運びでセンバツ出場をつかみました。 守りの中心は2人の投手 先発をつとめるエースの児玉迅(こだま・じん)投手は、ストレート130キロ台中盤ですが、バッターの手元で伸び、切れ味で勝負します。この冬は、主に下半身を鍛え、終盤でも球威が落ちない体づくりに取り組みました。 児玉投手「まっすぐには自信があります。球速以上のものを出してバッターをつまらせて打ち取るのが強みだと思います。練習してきた分、 自信はありますし、甲子園という舞台に向けてしっかり仕上げていきたいと思います」 ピンチの時にチームを救うのが、飯田凜琥(いいだ・りく)投手。秋は出場6試合全てリリーフで登板。防御率は0.96でした。決め球は、バットの芯を外す鋭いスライダー。 さらにこの冬、スライダーとは反対方向に曲がる変化球など、新しい球種を習得し、バッターに狙い球を絞らせません。 飯田投手「甲子園でもピンチでマウンドに上がることがあると思います。抑えてしまえば流れを全部こっちに持ってくることが出来るので、負けん気で強気のピッチングをしていきたいです」  勝利のカギは打撃力向上 一方の攻撃。ランナーが出るとバントや進塁打でチャンスを広げて点を奪うのが大分商業の野球です。秋の公式戦はホームラン0と長打力こそありませんが、8試合で76本のヒットを打っています。 去年8月に就任した那賀誠監督は、打撃力のさらなる向上が甲子園で勝ち上がるポイントと考えています。 那賀監督「非力だったんです。九州大会の他の出場チームは力強くて、 打線全体としては格段に体格も太さという面で劣っていたんです。 九州大会を終えて、選手たちももっとしっかり体を作ろうという意識は高くなったと思います」  ウエイトトレーニング強化! そこで、この冬はウエイトトレーニングに力を入れてきました。器具も新調し、週2日程度、90分。打撃や守備の練習を削って筋力アップに時間を割きました。さらに、月1回は県外の専門トレーナーから指導を受け、トレーニングの質を高めました。 こうした成果を特に感じているのが、4番の羽田野颯未(はだの・かざみ)選手です。 羽田野選手「秋の時は160㎏ぐらいのバーベルを担いでスクワットをするのが限界だったんですけど、   今では200㎏担いだ状態でスクワット出来るようになりました。   以前はズボンがOサイズだったんですけど、太ももが大きくなって、XOサイズにあがりました」  トレーニングの結果、打球のスピードと飛距離が大きく伸びました。他の選手も体重が平均5~6キロ増え、強い打球が打てるように。攻撃のバリエーションを増やした大分商業。持ち前のつなぐ野球を進化させ、甲子園に臨みます。  いざセンバツへ 大道主将「要所で一発も出せる力もついてきました。   小技と一発のバッティングを絡めながら1点ずつ重ねていきたいと思います。   守備から流れを作って攻撃につなげていく自分たちの野球ができたらしっかり勝てると思います」

執筆者 西岡遼アナウンサー
2023年03月17日 (金)

新米師匠 雷親方の挑戦

  宇佐市出身、大相撲の元小結・垣添の雷(いかずち)親方が、ことし2月、定年を目前にした入間川親方から部屋を継承し、「雷部屋」の師匠となりました。初めて臨む春場所を前に相撲部屋の経営に奮闘する姿を取材しました。  県産材を使った新しい看板宇佐市出身の雷親方。引退から11年、44歳で幕下以下7人の弟子を預かる師匠になりました。 新たに掲げた部屋の看板には、大分県産のクスノキが使われています。県内で木材業を営む弟の雅俊さんから贈られました。 「僕の宝物ですね。本当に弟が僕にいいものをプレゼントしてくれました。この看板を光らせなきゃなと思っています。師匠としては1年生。自分の経験を教えられたらいいなと思っています」  大切にしている“けがをしない体作り” (現役当時の垣添)現役時代、スピードを生かした相撲で、小結まで番付を上げた雷親方は、同じ武蔵川部屋の横綱・武蔵丸などとの激しい稽古で力をつけました。その一方で、両ひざのけがに苦しめられた土俵人生でもありました。そんな雷親方が大切にしているのは、けがをしない体作りです。弟子たちには、稽古開始から1時間は相撲を取らせず、しこやすり足などで体を鍛えさせます。年齢も性格も違う7人の弟子たち。雷親方は、一人一人に声をかけ、その力士に合ったアドバイスを送るようにしています。 「自分も現役時代、両ひざを手術しました。けがをすると、気持ちは前向きでがんばりたいと思っても、体がついてこないんですよね。気合が抜けるとけがもしやすくなりますし、集中した稽古で、本場所でけがをしない体を作っていくことが大事です」 “世界一”のおかみさん 師匠ともなると、後援者との連絡や弟子のスカウトなど、相撲部屋の経営のすべてに責任を持つため毎日が大忙しです。そんな雷親方には、強力な味方がいます。妻の栄美(えみ)さんです。 実は栄美さん、相撲の経験者で、世界大会での優勝経験もあるトップクラスの選手でした。今は、たくさんの人に雷部屋について知ってもらうために、情報発信を担当しています。新たにSNSのアカウントを立ち上げ、稽古の様子やオフショットを公開しています。 雷部屋では、部屋のみんなでちゃんこを囲みます。栄美さんは力士たちとの距離を縮めようと、積極的に話しかけています。 「若い子からしたら、私はお母さんたちと年齢が変わらないと思うんですよね。少しでも支えにならなければと思っています。たぶん親方に言えないこともあると思うので、そういうことをこれからは聞いていけるようにしたいです」  稽古は厳しく 土俵を離れれば家族のように 土俵を離れれば家族のように接したいという雷親方ですが、「稽古は厳しく」というのがモットーです。 自らスカウトしてきた序二段の雷道(いかずちどう)です。 東京の強豪校で柔道をしてきましたが、相撲の経験はありませんでした。柔道の癖で投げを狙うことがある雷道。雷親方は、相撲の基本である「前に出る攻め」を徹底させます。こうした稽古の成果が出て、雷道は先場所、初めて6勝1敗の好成績を収めました。 「前は相撲にならなかったんですけど、先場所はまわしを取って前に出るという相撲が増えてきたので、基礎をやったから、相撲ができていると思います。親方は優しくて、ちゃんと自分たちを見てくれているいい親方だと思います。部屋で一番強くなりたいと思います」 師匠として第一歩を踏み出した雷親方には、夢があります。   「一生懸命稽古して勝った時の喜び、負けたときの悔しさ、自分が現役時代のことを思い浮かべながら指導していきたいです。稽古も私生活も大変つらいと思うんですけど、頑張れば、いいことが倍になって戻ってくると考えてやってもらいたいです。今、大分の力士が部屋にはいないんですけど、ぜひ僕ががんばって勧誘して、ひとつでも番付を上げられるような力士を、また、お客さんから応援していただけるような力士を育てたいです」  

執筆者 戸部眞輔アナウンサー
2023年03月10日 (金)

国東の絶品ネギをPRせよ!

        どうですか! 切り口から滴るこの水分!  化学肥料や農薬を使わずに作られているコネギ香り、味ともに絶品! ネギしゃぶなどにすると最高です!   どんなところでどんな方が作っているのか国東市の畑を訪ねました         このネギを作っているのは、森夏樹さんサラリーマンだった森さんは、6年前、子供が生まれたことを機に農業に取り組みはじめます 前職のサラリーマン時代は子どもと過ごす時間がまったくなくて子どもと一緒に仕事がしたくて農業がいいなとずっと思っていました本当に楽しくて子供と一緒に遊びながら仕事ができる。理想の状態ですね         鹿児島から移住し、国東にネギを栽培するハウスを構えます農薬も除草剤も使わないネギづくり畑ではニワトリが虫を食べ、雑草はヤギが食べてくれています自然の力をそのまま利用して育てるネギは、地域の人たちにも好評です          森さんのところのネギは、味ももちろんなんですけど、日持ちが全然違うんですね!あれば、やっぱり森さんのところのネギを買いたいなって思います   多くの人に食べてもらいたいと思う反面、家族経営の森さんは、おいしさを広めるまで手が回りませんでした 正直、農家っていいもの作ろうというのが本来の形だと思うし、作るので手いっぱいで時間もない誰かがインターネットとかそっちの苦手な部分をやってくれるのであれば、たぶんうまくいくかなと   そんな森さんに手を差し伸べた人がいます。それが…   若い力が、農家を“売り込む!”         立命館アジア太平洋大学4年の吉川龍さん交換した名刺には…         三雲:一次生産業専門デザイナーというのは? 吉川:農家さんとか漁師さんとか一次生産業をやっている方々のホームページや商品のポップを作って、宣伝をするお仕事をしています   吉川さんは1年生の時、新型コロナで販路が減少した生産者を助ける事業に参加そこで森さんと出会います そのとき感じたのが森さんと自分の「役割分担」の必要性 結局作っただけでは売れないっていう内情があるので、何でネギがおいしいかとか他と何が違うかって差別化してお伝えして、やっと手にとっていただけるっていう流れなんで、そこをとにかく伝えるっていうのが僕の役割になっていますね   吉川さんは独学でwebデザインを学び農家の取り組みを伝えるホームページの作成に取り組みます   そこで伝えるのは、農家の作物にこめた思いや栽培方法へのこだわりいまではイチゴ農家や養鶏場のホームページやパッケージのデザインを担当顔と顔をつきわせるからこそわかる“農家の本音”をくみ取って細かい要望にこたえることで売り上げ向上につなげています   かいま見た厳しい現実から リアルで新しいデザインを生み出す さらに吉川さんは、仮想空間だけでなく、リアルな世界のデザインにも挑戦していますきっかけは畑で見た現実でした 実際にこういうネギが、捨てられている光景を見たときに「え、捨てちゃった」みたいなものがきっかけだったんですけど         私たちが店頭で見ているコネギは、右のもの 全体のごく一部にすぎません 左側の、太いものや、葉分かれが多いものは基準にあわず、私たちの手に届くことはないんです   そこに吉川さんは新たなデザインの種を見つけました この捨てる部分、食べられるんで商品にもともとなってない側をどうするかを考えようっていうので加工商品を作れないかなっていうので   それが、森さんの畑で採れたネギをふんだんに使ったネギ餃子!試作を重ねる現場に潜入!         例えば、色とか。皮の中透けて見えるくらいの緑色とか絶対この形でいきたい、、、!!妥協したくない グッと揉むとたぶんいけるかなって気もするんですけどね 杵築市の餃子店の協力を得ながらの作業さて、お味のほうは?          吉川:ネギ感はこっちの方が断然ありますわ 森:あ、違う?? 全く違います ええ! そんな違わないかなと思ったけど、そんな違うんだ?          吉川さんと森さんの思いがひとつの形になりました         自分が理想とする野菜作りに“飽くなき取り組み”を重ねる農家 それを新たな視点で“目に見える形”にしていく若きデザイナー   森さんと吉川さんの間には年代を超えた信頼関係が生まれてきています 森:正直年齢が息子みたいな年齢じゃないですか。大学生がひょっと現れて、あーだこーだ言ってくるんですね。最初は何だこいつ!でも言っていることがまともすぎて気づかさせることが多かったので、本当楽しく一緒に仕事出来ている。農業の世界でもいままでやったことないことやってみたい 吉川:僕の意見を聞いてくれる方々あっての僕の活動なので、そういう大人の方々に協力していただきながら、話聞いていくなかで、ご自身も気づいてない魅力たくさんあると思うので掘り出しながら、そういう役割を担っていきたいなと思っています   このネギ餃子、これまで廃棄されてきたコネギの活用先として商品化を目指していくことにしています   さらに森さんはいま、農薬を使わないコメ作りに向けて新たな仲間たちと取り組みをはじめています   吉川さんのような、若い、新たな視点が大分の一次産業を、これからも盛り上げていってほしいと思います

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

ハチミツでふるさと豊後大野を元気に!

みなさんの「ふるさと」ってどんなところですか?  誰しもがふるさとへの思いを抱いているはず もし、そのふるさとがなくなる瀬戸際だとしたら… 今回は過疎化が進み忘れられようとしているふるさとを自らの手でよみがえらせたいと模索している男性のお話です   その模索の“相棒”が、こちら ニホンミツバチです   さまざまな花から蜜を集める習性がありその蜜は「百花蜜」として知られていますよね 実はいま豊後大野の山中で採れるハチミツがひそかな話題になっているんです そのハチミツを集めているのは羽田野弘文さん 羽田野さんは、定年退職後地元・豊後大野に戻って養蜂を始め今年で10年目になります  今年獲れたハチミツを一口いただきました  わぁ!あま~い!濃厚です。   私がうかがった11月はミツバチの越冬準備の時期寒さに弱いため冬に備えて寒さ対策をするそうです 羽田野さんはそんなミツバチに注目しました   小さなミツバチたちの頭脳の高さって すごいなって思いましたね。 みつばちに惚れこんだっていうのがひとつと 巣を作り生活を営んでいるというのに非常に興味ありますし かわいらしいですよね。おとなしいですし     荒廃するふるさとをなんとかしたい   羽田野さんは地元の高校を卒業後東京で観光の仕事を40年以上続けてきました   Uターンを決意したのはふるさとの過疎化でした   私の住んでいたところは山あり谷ありの僻地でございまして 忘れ去られているような地域です 少子高齢化で過疎化していっている 私が通っていた小学校、中学校、高校は すべて廃校になっています 帰るたびにそういう話を身内から聞かされまして なんとか歯止めをかけるじゃないですけど   山あいの地域でできる産業を探していたところたどり着いたのが養蜂でした   奮闘する羽田野さんを妻の弘子さんも応援しています 本当に一生懸命 家庭の方は守っているので 自分の好きなことをやればいいかなと思っています   羽田野さんは養蜂に関する本を何冊も読み養蜂家のところに見学にいくなどして少しずつ知識を増やしていきました   蜂は、羽があるので、山でも谷でも飛んでいける ミツバチを飼うってことは蜜源植物を植えたくなる 蜜源植物、蜜を作り出す花ですね 蜜もできるし、蜂蜜が蜜をとることで、 受粉、実になり種になると循環ができる それが産業になるのではないかと思いまして   いま羽田野さんが力を入れているのが蜜の源となる植物を植える植栽活動です これはプラムの木  荒れた土地を整地し4年前に植えました春には花が咲き、蜜の源となっています   荒地、休耕田を整地して植物を植えることで 植えた木に花がつき、実になり ハチの力を借りて受粉をすることによって草木が成長して 環境も整ってくっていうこのサイクルですね、連鎖   羽田野さんはこれまでにプラムやカボス、ナシなど10種類およそ2000本の木を植えてきました    一人ではじめた羽田野さんの取り組みはハチだけでなくいま人も呼び込み始めています   「ひろちゃ~ん。手伝いに来たよ~」 「ありがとう!今日もよろしくお願いします!」 草刈りや植樹、剪定作業を一緒にすることでなくなりかけていた地域の絆も深まっています。 先駆者でハチミツとかいろいろ花植えとか 地域をちょっとでも活性化しようということで ここら辺が良くなればということで大変ありがたいです   そんな羽田野さんは新たな取り組みをはじめました ハチミツを使った新たな特産品づくりです   考えたのは干し柿をハチミツに漬けたオリジナルスイーツ    私もいただきました(今回の取材、私、食べてばかりですね…) みためは普通の干し柿のようですが…    上品な甘さが口いっぱいに広がっておいしいです  甘い渋柿に輪をかけてハチミツの甘さがありますが  くどくなく、いくらでも食べられそうです   この柿は、地域固有種の渋柿しっかり干して甘みが出たところでハチミツに漬けるタイミングや期間など試行錯誤しながら羽田野さんは商品化にこぎつけました 地域の特産物を作りたかった ここから地域の活性が成り立っていくんじゃないかなって はちみつと加工品であるハチミツ干し柿 こちらの方を軌道に乗せて 地元に貢献できればなと思っております     羽田野さんの養蜂が軌道に乗ってハチミツが販売できるようになるまで6年 そして干し柿のハチミツ漬けはそこから更に4年かかってできあがったもの   それだけの長い時間がかかった分羽田野さんのふるさとへの思いがつまっていると感じます   干し柿のハチミツ漬けは、豊後大野市の道の駅「あさじ」で販売されていますまた、市のふるさと納税の返礼品にもなっています   ゆくゆくは販売経路を拡大したいと羽田野さんは話しています ふるさとを何とかしたいという羽田野さんの思いがふるさとの新たな名物を生み出しましたこれからの羽田野さんの取り組みに注目です!        

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

ボタンボウフウでまちおこし!

おいしそうなソフトクリームまわりに振りかけられている緑色の粉なんだと思います?ちなみに抹茶ではありませんこの粉になるのはある植物大手化粧品メーカーが化粧水や栄養補助食品として注目しているんです大分県内では豊後高田市の香々地地区でこの植物を活用したまちおこしをしているということで取材に行ってきました 香々地で味わえるボタンボウフウ 取材には体力も必要まずは甘いものを食べて元気をつけて…と自分に言い訳をしてみましたがこの粉の正体はセリ科の植物 ボタンボウフウ葉っぱがボタンの葉に似ていることからこの名がつきました専門機関の調査では野菜の王様といわれるケールよりも鉄やビタミンなどを多く含んでいるとのこと地元では「一株食べれば一日長生き」沖縄では「長命草」とも言われているそう   おすすめの食べ方は「天ぷら」葉をそのまま揚げていますお味のほどは?西垣:かめばかむほどボタンボウフウの風味が広がります思ってたよりも苦みが少なくて食べやすいです!ほかにもボタンボウフウを刻んで入れた卵焼きなどどんな料理にもあうんですやはり先人はいいものを知っていたんですね 自生から栽培への挑戦 海沿いに生えていたボタンボウフウを採ってくるだけではいつかなくなってしまいますそんなボタンボウフウを栽培していこうと取り組んでいるのが渕秀幸さんです本職は90年近く続く和菓子屋さん10年ほど前からボタンボウフウを使ったまちおこしに取り組んでいますここがボタンボウフウの畑です海沿いに生えていたのを畑に持ってきて植えたのが最初です 1年中採れますが主な収穫時期は春と秋なんだそう 地域を活性化させる産業に育てたい! 渕さんが住む香々地地区は人口の減少などで旧豊後高田市と合併過疎と高齢化が進むふるさとを元気にしたいと海に近い香々地ならではの特産品としてボタンボウフウに注目しましたボタンボウフウで地域おこしをしているところが沖縄にあると聞いて人が少なくなった香々地地区の新たな産業になればなと 畑での作業には地元の農家や地域おこし協力隊の人たちがあたっています収穫量も安定商品化も幅広く行えるようになりましたお茶や青汁、まんじゅうなどなど次々と新商品が開発され道の駅や「昭和の町」で販売され人気を集めていますそれにあわせ渕さんたちは畑を今の2倍に拡大地域を支える産業としての足掛かりを作っていますまだ知名度もないんで皆さんに知ってもらって我々もおいしく食べられる方法や産業として成り立つ方法を今後も探っていって地域の雇用につながるようなものにしていければと   外からのものをありがたがるのではなくもともと地域にあったものに注目する 地域おこしの大切な視点だと思います豊後高田では去年第1回となるボタンボウフウフェアを開催渕さんたちの取り組みが実をむずびつつありますさらなる可能性を秘めたボタンボウフウ今後の展開に期待したいところです

執筆者 西垣 光(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)