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2020年8月7日(金)

元BC級戦犯の韓国人 95歳 国内最後の証言者

日本在住の韓国人、李鶴来(イ・ハンネ)さん、95歳。戦争中に日本軍の捕虜収容所で働き、戦後、BC級戦犯として裁かれました。李さんは、日本に残る朝鮮半島出身の元戦犯としては最後の1人です。終戦から75年。国と国のはざまで翻弄され続けてきた人生を知ってほしいと、いまも訴え続けています。

17歳で日本軍属として捕虜監視員に

李さんは現在、都内で暮らしていますが、生まれたのは、当時日本の支配下にあった朝鮮半島南部の農村でした。17歳のとき、村の有力者の強い勧めで日本軍属として働き始め、運命が大きく変わることになりました。

李さん
「私たちはとにかく(日本軍の)上官の命令によって、それによって動いているんですから、まさか戦犯になるということは知らなかった。」

李さんはタイの捕虜収容所に派遣され、責任者を務めたこともありました。そこで連合軍の捕虜たちを、強制労働の現場に送り出していました。捕虜たちが従事させられたのは、タイとビルマを結ぶ鉄道の建設作業。過酷な労働に加え、食糧や医薬品が不足していましたが、李さんは軍の求めを拒否することはできませんでした。

李さん
「(日本軍の)鉄道隊からは毎日のごとく(捕虜を)もっと出せないか、もっと出せ、もっと出せと言ってくるわけです。病気になったからといってわれわれはどうすることもできない。」

結果として、動員された捕虜5万5,000人のうち1万2,000人が栄養失調や赤痢などで命を落としました。

当時、李さんが勤めた収容所にいたオーストラリア人捕虜の証言が残されています。

オーストラリア人捕虜の証言
「最終的に捕虜を追い込んだ李さんが憎まれていた。その意味では(日本軍の命令に従った)李さんは気の毒な立場だった。」

BC級戦犯として死刑判決

1945年に太平洋戦争は終結。李さんを待っていたのは意外な運命でした。ふるさとに戻れると期待していましたが、捕虜虐待の罪に問われ、BC級戦犯として死刑を言い渡されたのです。死刑を待つ間、李さんは処刑台に向かう多くの戦犯を見送りました。

李さん
「(処刑台に向かう戦犯は)“ただいま出発”といって大きな声で言って戸を開けるわけ。日本人の場合は“天皇陛下万歳”。こういうふうに叫んで死んでいくわけです。」

処刑された朝鮮半島出身の戦犯は23人。なぜ彼らは、祖国ではなく日本の戦争のために死ぬことになったのか。やりきれない思いを強めたのが、同じ捕虜監視員だった戦犯の1人、林永俊(イム・ヨンジュン)さんの言葉でした。自らの処刑の前日、李さんにこう語りかけてきました。

“減刑になることを祈ります。減刑になったら、私がそんなにわるい人でなかったことを知らせてください”

李さん
「日本人戦犯の場合は良くても悪くても、自分の国のために死んでいくんだという、そういう気持ちがあるんです。ところが韓国人の場合は、そういった気持ちさえも持つことはできない。きわめて厳しい状況の中で、苦しい思いをしながら死んでいったんだと思うんですよ。」

“日本人”として裁かれながら補償の対象外に

その後、巣鴨プリズンへと移送された李さんは、今度は戦後処理を巡る国際情勢に翻弄されることになります。1951年、サンフランシスコ平和条約が調印。朝鮮半島出身者は日本国籍を失うことになりました。しかし戦犯としての刑を免れることはなく、李さんは死刑からは減刑されたものの、10年以上、刑務所で過ごすことになりました。さらに、李さんたちを憤らせたのは、遺族年金など補償の問題です。日本政府が、朝鮮半島出身者を対象外としたのです。

李さん
「同じ戦犯であれば、同じような扱いをしなくちゃいけないだろうと、そういう扱いをしないのはちょっと不条理じゃないですかと。」

刑期を終えたあと、李さんは仲間とともにタクシー会社を立ち上げました。一時は朝鮮半島に戻ることも考えましたが、祖国では日本軍への協力者という非難が強く、日本で生きていくことを決めました。

李さん
「一部では戦犯タクシーなんて呼ばれましたからね。当直なりなんなり、何でもしましたよ。車が故障した場合には車の修理のために運転していったり。真夜中にね。」

処刑された仲間のため求め続けてきた謝罪と補償

朝鮮半島出身の戦犯が味わった不条理を日本政府に認めてほしい。そのための謝罪と補償を、李さんたちは戦後一貫して求めてきました。

しかし国は、請求権に関わる問題は1965年の日韓協定で解決済みとし、その立場は現在まで変わっていません。裁判も起こし、国を相手に最高裁判所まで戦いましたが、請求は棄却されました。

その後、事態は進展せず、残る当事者は日本には李さん1人となりました。
誰のために、何のために、朝鮮半島出身の戦犯たちは処刑されたのか。李さんはその意味を、いまも社会に問い続けています。

李さん
「23名の刑死した戦犯たちに申し訳が立たない。名誉回復のためにもそれはきちっとやっていただきたい。いまのままだと死んだ理由がはっきりしない。だからそういった無念の思いを多少でも晴らしてあげたい。これがいまもそうだし、これからも私の願いです。」

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