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2020年8月1日(土)

ハンカチにのせた少女の夢 多くの人の心へ

黄色に染まる空に、真っ白の灯台。明るく手をふる人たちが、印象的なハンカチ。描いたのは、福島県いわき市の小学4年生、鈴木姫花さん。東日本大震災の津波で、祖母とともに亡くなりました。当時10歳でした。震災から9年あまり。このハンカチは、これまで1万も作られ、さまざまな人の手にわたり影響を与えています。

<この記事のポイント>
◆デザイナーになる夢を抱いていた鈴木姫花さんは、10歳の時に津波の犠牲となりました。父親の貴さんたち家族はその夢をかなえてあげたいと、姫花さんが描いた灯台の絵を元にしたハンカチ作りに取り組んできました。
◆姫花さんのハンカチ作りは1万枚を超え、いろんな人の手に渡り、防災意識の一助になったり、東北に思いを寄せる力になったりと、多くの人に心に届いています。

“デザイナーになりたい” 少女の夢をのせたハンカチ

鈴木姫花さんは、絵を描くことが大好きで、元気で朗らかな女の子。小学4年生の時に書いた作文には、20歳なったら「デザイナーになりたい」と夢をつづっていました。

姫花さんの父親 鈴木貴さん
「真面目で優しく勉強も得意。親として娘をみた時にどこにだしても恥ずかしくない。しっかりとしたかわいらしい女の子だと思っていました。」

震災前、姫花さんが描いたいわきの観光名所・塩屋埼灯台です。震災の2年前、灯台をテーマにした全国の絵画コンクールで入賞した姫花さん。家族や友だちと上ったこの灯台が、姫花さんのお気に入りでした。

しかし、東日本大震災の時、遊びにいっていた父親の実家で、津波に巻き込まれ、灯台の近くで亡くなりました。父親の貴さんたち家族は、姫花さんの「生きていた証」を残してあげたいと考え、震災の翌年、さまざまな人の協力を得て、姫花さんの夢をのせたハンカチ作りを始めました。ハンカチは地元の土産店で売り、収益はすべて、震災義援金として市に寄付しています。

姫花さんの父親 鈴木貴さん
「亡くなってしまいましたが、娘を育てているつもりで生きているように手をかけてあげたい。」

ハンカチ作りは1万枚に 多くの人の心に届く

震災から9年余り。姫花さんのハンカチは、多くの人の心に届いています。およそ30年前、大火砕流で犠牲者を出した雲仙・普賢岳。その近くにある島原中央高校。校長室には、姫花さんのハンカチが飾られています。この高校では、防災意識を高めようと、修学旅行先にいわき市を選び、鈴木貴さんから震災の教訓を学んできました。

去年(2019年)、実際にハンカチを手にした吉田彪流(たける)さんは、真っ先に祖母の清美さんに見せ、防災のことを考えたと言います。

吉田彪流さん
「被害が大きかった時に逃げ遅れたり、危ないことにあったりするのはおばあちゃんだと思った。姫花さんの話を聞いて改めて自然災害の恐ろしさも学んだ。」

毎日の生活を、ハンカチとともに過ごす人もいます。愛媛のミカン畑、農作業用のバイクに着けられているのが、姫花さんのハンカチです。持ち主は、ミカン農家の飯田衣美さんです。姫花さんと同じ年頃の娘がいる飯田さんは、被災地から遠く離れていても、ハンカチにふれることで、そこで生きていた人の気持ちを忘れたくないと言います。

みかん農家 飯田衣美さん
「姫花ちゃんのハンカチを通じてみんなが、東北を応援しているのかな。」

7月26日は、姫花さんの20歳にあたる誕生日でした。デザイナーになる夢をかなえようと生まれたハンカチは、1万枚に達しました。父親の鈴木貴さんは、ハンカチが欲しいという人いる限り、作り続けていきたいと話しています。

姫花さんの父親 鈴木貴さん
「彼女の夢がかなうような気がするし、亡くなってもなお仕事をして人の役に立っている。娘が生きているのと違わないんじゃないかって思っています。」

取材:齊藤翼ディレクター

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