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2020年5月8日(金)

作家 原田マハさんが見る「フランスと日本」

3月30日から18日間にわたってSNSで公開された小説「喝采」。新型コロナウイルス感染拡大で厳しい外出制限、いわゆる「ロックダウン」が続くフランス・パリでの体験をセルフドキュメンタリー形式でつづられています。作者は原田マハさん。日本とパリに拠点を構え、美術史をもとにしたフィクションを紡ぐ作風で人気を集める作家です。フランスと日本の2つ国の動きは原田さんにどう映っているのか聞きました。
聞き手は高瀬耕造キャスターです。

Q:原田マハさんは日本で緊急事態宣言が出される前の4月上旬にパリから帰国して、いまは長野のご自宅で生活されているということですが、どのような日々を過ごしてらっしゃいますか?

私はもともと移動が趣味だというふうに公言していたぐらいだったんですけど、いまは対面や外出が98%減になりまして。出かけずにずっと家にこもっています。もともとリモートワークが主体だったので、何ら不便なく、リモートワークを続けております。

パリで経験した“ロックダウン”

Q:新型コロナウイルスをめぐって、原田さんがいたパリ、それから帰国したあとの日本の動きをまとめました。パリでは3月17日に外出制限が発表されて、27日はその制限が延長されました。原田さん、いわゆるロックダウンですよね。日本の外出自粛に比べるとかなり厳しいものだったんですよね?

3月16日にマクロン大統領のスピーチがありまして、翌日の12時(正午)から外出禁止ということですね、それでもう一斉に、もう本当に“突然”っていう言葉がぴったりのような形で、街中から人影がサァーッと消えまして、本当にその外出禁止というのがもう目に見える形であっという間に始まりました。本当に驚きでした。

Q:パリの人々、それから原田さんご自身も、どんどん追い込まれていく、そういった精神状態だったのでしょうか?

最初はちょっと、ピンと来てない感じがしたんですね。もともとパリ市民、フランスの人々というのは人とコミュニケーションもすごく好きですし、少し前までパリの街角や家ではにぎやかにしているわけなんですけれども、それが本当にもうあっという間にシャッターを閉めて、人々はもうなすすべなくとにかく家の中に閉じこもるということで、もう慌てて引っ込んでしまったというふうな形だったので、とにかく最初は衝撃と驚きという形でした。

タイトル「喝采」に込めた思い

Q:それがその間外出禁止ですね、それがその延長されて続く中、3月30日にSNSで原田さんは小説の公開を始めました。変わりゆくパリの様子や原田さんの気づきなどを18日間にわたってつづっていくのですが、そのタイトルが「喝采」。一見前向きなタイトルにも聞こえますが、このタイトルに決めたきっかけがありました。
外出制限が出された直後から、パリの市民たちは、夜8時になると過酷な現場で働く医療従事者に向け拍手を送り始めました。この光景が原田さんの心を捉えたのです。

最初、ロックダウンが始まったばかりの時はいったいどうしたらいいか分からなくて、1日に一度程度の必要最低限の外出しか許されていなかったんですね。それで、外出するときも外出許可証のようなものを政府のホームページからダウンロードして、それを帯同してなければすぐ罰金になったりとか罰せられるという非常に厳しい状態だったんですけども、もう出かけること自体が非常にこうネガティブな形になってしまいました。それで私もずっとこう家の中に閉じこもっていたんですけれども、あるときにさざ波のような音が窓辺に聞こえてきて、何かなと窓を開けてみましたら、私の書斎はセーヌ川沿いにあるんですけども、そのセーヌ川沿いの建物の窓という窓が全部開け放たれて、そこで人々はバルコニーに出て、盛んに拍手喝采を送っていたんですね。それがすぐにニュースなどで見て、医療従事者や危険な仕事していらっしゃる最前線で生活を支えてくださっている皆さんへの感謝の気持ちの表れということで、人々が拍手喝采をしていらっしゃるっていうことを知って非常に感動しまして、その中に私も入っていきまして、その時にこの歴史的な瞬間を何か文章にとどめておきたいというふうに心が決まりましてすぐに「喝采」というタイトルが思い浮かびました。

Q:その時のことを書いた文章の一部がこちらです。
  『澄み渡った夕空に響き渡る喝采。
   命の証しだった。』
  命の証しということばに込めた意味というのはどういったことなのでしょうか?

人々の喝采というのは、私たちの生活を支えるくれる最前線の方々に向けての喝采だったんですけれども、パリの市民が全員窓辺に出て自分たちの姿をお互いに見せながら拍手をするということは、「私たちが今一緒に生きている」、そして「決してひとりではない」「私たちは連帯し、命をつないでいるんだ」ということをこの喝采に込めて表しているような、そんな気がしたんですね。ですからこの「喝采」という言葉の力強さ、それから美しさを“命の証し”に込めました。

帰国時に感じた“日本人の強さ”

Q:原田さんはその後パリを離れ、日本へ帰国する決断をします。その時に書かれた文書もまたとても印象的でした。
『着陸後、防護服の検査官が機内へ乗り込んできても、検査待ちの列に並んだ時も、私たちは静かに全てを受け止めた。
 人前で喋らない。
 それが日本人の強さなのだと、到着ロビーに出てから気がついた。』
こういったとき人前でしゃべらないこと自体は当然かなと思うんですけれども、これが日本人の強さに映ったということですか?

そうですね。私もフランスに行って、フランスや欧米と日本人の生活習慣の差、文化習慣の差のようなものをずっと考え続けてきたんですけども、帰国便に乗ったときに、ほとんど日本人だったんですけど、乗客のみなさんが、私も含めて本当にしんと静まりかえっていたんですね。それで到着する前も到着してからも、検査の列に並んだときも私たちひと言もものを言わなかったと。日本人にはですね、公の場であまりしゃべらないとか、「人前」という言葉があるかと思うんですけれども、これは欧米の方々と比べてずいぶん違うなというふうに感じました。欧米の人というのは、自分たちの主張をすることが非常に大切だというふうにおそらく言われていると思うんですけれども、私も欧米の友人たちから、「日本人はシャイだね」とか「どうして日本人はしゃべらないの」っていうふうに言われるんですけれども、この人前でしゃべらないということが物理的・身体的にいま重要なもの、コロナ禍の今においては非常に重要であり、また、ぐっとこらえてのものを言わないということが、私たち日本人の強さなのだと、非常にこう胸を打つ瞬間でした。

未来へのメッセージ『たゆたえども沈まず』

Q:戻ってこられた日本でも緊急事態宣言が延長となって我慢する日々が続いていますが、これから私たちがどう生きていったらいいのか、原田さんにそのキーワードを用意していただきました。

『たゆたえども沈まず』という言葉なんですけども、私の小説のタイトルにもつけた言葉なんですが、古来パリのセーヌ川というのは、非常に嵐があったりとか洪水があったりでパリの人たちを困らせたと。しかしながらパリの中心にある、セーヌ川の中心にあるシテ島は、どんな嵐の中でもそれを耐え抜いて、嵐が過ぎればまた姿を現すということで、パリの人々はこのシテ島をパリそのものに例えて、「たゆたえども沈まず」、どんなに厳しい困難な状況の中にあっても、必ずいつか嵐は過ぎ去ると、そしてまたパリが姿を現すということでこの言葉はパリの紋章にも使っているということなんですね。ですからいま私たちもフランスの方々、世界の方々と同様に「たゆたえども沈まず」の精神できっとこの困難を乗り越えていってほしいと思います。

「おはよう日本」では、新型コロナウイルスによる不安が渦巻くいま、各界の方に生きるヒントや危機を乗り越える提言をシリーズでインタビューしています。
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