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2019年11月1日(金)

パラ陸上世界選手権へ 期待の新星

11月7日に、パラ陸上の世界選手権がアラブ首長国連邦のドバイで開幕します。
今回の世界選手権は、4位以内に入ると来年の東京パラリンピックの代表に内定する大切な大会です。
その中で注目される選手のひとりが短距離の石田駆選手、20歳。
日本記録を連発する期待の新星です。

新たな自分で挑む 石田駆選手(20)

世界選手権に向けて、パラ陸上のトップ選手30人が集結した先月の日本代表合宿。
そこに初めて参加した石田駆選手。
腕に障害があるクラスの100メートルと400メートルに出場します。
石田選手がパラ陸上を始めたのはことし2月。
わずか半年あまりで日本代表にまで駆け上がりました。

石田駆選手
「陸上を始めた中学のころからこのジャパンというのは憧れだったんで、代表になれたっていうのはなんか新鮮な感じがしますね。」

中学時代から陸上一筋で、高校総体にも出場した石田選手。
スポーツ推薦で大学に進学します。
しかし大学入学直後の去年5月、左肩に骨のがん「骨肉腫」という病気が判明します。

手術は13時間におよび、左肩は人工関節に、そして肩周辺の筋肉の大部分を失いました。

石田駆選手
「腕が動かなくなる手術をするので、陸上人生を諦めなければならないかもしれない、ということを医者は言ってたんですけど。
ショックとしか思えなかったですね。」

“もうかつてのように全力で走ることは出来ない”。
そう落ち込む石田選手にパラ陸上への挑戦を薦めたのが父親の正美さんでした。

父 石田正美さん
「まだ二十歳、まだ20年の人生ですので、将来、何かこう本人の力になるものがないのかと考えたときに、やっぱり陸上競技なんだなって。」

父親に促され、地元の障がい者スポーツクラブに入った石田選手。
それでも最初は前向きに取り組むことはできませんでした。
しかし、クラブで障害のある選手たちがイキイキと活動する姿を見て、「できないこと」を嘆くのではなく、「できること」に目を向けることの大切さを実感していきます。

石田駆選手
「障害がある方どうしで、高い目標に向かっていくっていう団結力を感じて。
そこでようやくパラ競技に前向きになれたっていう感じでしたね。」

“もう一度、全力で走りたい”。
石田選手は競技復帰をめざして、本格的に練習を再開します。
ところが、左腕が使えないためどうしても体のバランスが崩れてしまい、当初は、走る事への恐怖も感じたといいます。
そんなとき、石田選手が頼ったのが高校時代の陸上部の恩師、髙木伸吾監督でした。

髙木監督がアドバイスしたのは、振れない腕の代わりに肩甲骨を使って、より体の中心でリズムをとること。
失った左肩を意識するのではなく新しい走りを作りあげていく喜びを石田選手に伝えていきました。

髙木伸吾監督
「彼がちょっと不自由な体になって、動きに制限がかかったところで、じゃあ動かせる部分でどういうふうにこう、よさを出すかとか、合理的に動かすかっていうことを考えていくのが逆に楽しみじゃないかなって。」

ここから石田選手の走りが変わります。
大学の陸上部の練習に加わりながら体の中心でリズムをとる今の体ならではの走りを日々追及していきました。

そしてことし6月。
初めて出場したパラ陸上の大会で大きな結果を出します。
腕に障害があるクラスの400メートルで、ほかの選手を大きく引き離し、優勝。
このクラスの日本新記録も樹立しました。
さらに1か月後、ジャパンパラ陸上の100メートル。
石田選手は、このときも日本新記録となる11秒18で優勝。
なんとこのタイムは、病気になる前の自己ベストを上回るものでした。

病気が発覚して1年あまり。
困難を乗り越え、新たな自分への自信をつかんだ石田選手。
初めての世界選手権に挑みます。

石田選手
「病気をしたことによって新しい世界が生まれるということになることを、1人でも多くの人に知っていただくということが自分にできることなんじゃないか。
世界選手権で必ず4着以内に入って来年の東京パラリンピックの出場を決めたいという気持ちがすごく強くて。
全力で頑張っていきたいと思っています。」

実はもともと陸上をやっていた方が障害を負ったあと、もう一度陸上に取り組む人は少ないそうです。
かつての自分の記録を超えられないことへのジレンマもあり、パラ陸上のトップ選手の中にも、もともと陸上をやっていた方はあまりいません。
そのため石田選手が活躍する姿を見て、諦めずに陸上を続けようと思う人が増えてくれればと期待されています。

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