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2019年9月12日(木)

家族で臨む サイパン“最後の慰霊”

太平洋戦争の激戦地・サイパンでは、戦時中、現地で暮らす日本人およそ1万5,000人が戦闘に巻き込まれて犠牲となりました。
遺族らでつくる団体は毎年現地で慰霊祭を開いてきましたが、かつて1,000人を超えた参加者も高齢化で去年は20人あまりにまで減り、50回目の節目のことしを最後に、終えることになりました。
そこに、今回初めて参加した2人のひ孫とともに現地に赴いた1人の女性がいました。
家族で臨んだ最後の慰霊を見つめました。

今年(2019年)8月下旬の那覇空港には、サイパンへの慰霊団の姿がありました。
最後とあって、今年の慰霊には、この10年で最も多い130人あまりが参加しました。

その1人、金城米子さん(89)です。
戦前、移住先のサイパンで暮らし、14歳の時に目の前で父親が戦闘に巻き込まれ犠牲となりました。

金城米子さん
「慰霊はもうこれで終わりだから。
父を寂しくさせてごめんねと。」

太平洋戦争で、当時日本の統治下にあったサイパンでは、日米両軍による激しい地上戦が繰り広げられました。
戦場を逃げ惑い、犠牲となった民間人は、およそ1万5,000人。
その実に9割近くは、移住者の多くを占めていた沖縄出身の人たちでした。
金城さんは、戦後すぐに、母親らとともに沖縄に強制送還されました。
父親の唯一の形見の手帳を今も大切に保管しています。
父親の熊雄さんは、生活のために、家族とともにサイパンに渡り、工場で懸命に働き続けていました。
熊雄さんの遺骨は、今も見つかっていません。
「父を現地に残してしまった」という思いが、金城さんの心から離れないといいます。

ひ孫に語り継ぐ決意

30年以上にわたり、慰霊に参加してきた金城さん。
最後となる今回、熊雄さんのことや当時の体験を伝えようと、初めてひ孫2人に付き添ってもらうことにしました。
金城さんは、出発前の空港でこう語りました。

金城米子さん
「サイパンのこと学校で教えてないでしょ。
私たちが避難したとこと、怖かったよとか、そういう場所に連れて行きたいです。」

中学生のリリカさんと、高校生のともえさんは、金城さんがかつてサイパンに暮らしていたことも今回初めて知りました。

仲松ともえさん
「(サイパンに)『行く?』って言われた時に『何しに行くのかな』と思った。
戦争についてどんなことがあったのか、ちゃんと学んでいきたい。」

サイパンに到着した金城さんたちがまず訪れたのは、島南部の郊外の住宅地です。
戦前、沖縄出身者の集落があり、金城さんは穏やかな日常を送っていたといいます。

金城米子さん
「いろんな遊びで遊んでましたよ。
丸書いて丸書いて跳ぶケンケンパーとか。
縄跳びも、天気のいいときにやっていました。」

しかし、戦争でアメリカ軍の攻撃が激しくなると、金城さんの家族は、北へ北へと逃げる生活を強いられました。
金城さんたちを乗せた車が島の北部に近づいた時、金城さんの表情が険しくなりました。
切り立った崖の下に広がる雑木林。
戦時中、アメリカ軍の激しい砲撃が降り注ぐ中、この場所で身を潜めていました。
そして崖の近くに移動した際、父親の熊雄さんがアメリカ軍の砲撃を受けたのです。
金城さんは崖を指さし、こう話しました。

金城米子さん
「あれが艦砲射撃の痕。
バターンって怖い音がして、
そこで亡くなっているわけです、父は。」

家族の悲劇の場所に立ち会った子どもたちの表情も変わっていきました。
ともえさんは、金城さんにたずねました。

仲松ともえさん
「戦争で一番怖かった出来事は?」

金城米子さん
「弾にあたって、その場で死ぬかもと。
それが怖かったです、一番ね。
艦砲射撃の破片とか、機銃(掃射)が大変だったので。
逃げ回るのに一生懸命でした。」

そして、現地で最後の団体慰霊が行われました。
リリカさんとともえさんは、片ときも離れずに金城さんに寄り添っていました。

遺族らでつくる団体の代表は、式典のあいさつで次のように述べました。

南洋群島帰還者会 上運天賢盛会長
「南洋における帰還者会の活動の最後の慰霊祭であります。
身体も衰えて参りしました。
しかし、戦争のことを思う心はいささかも衰えていません。」

この先も戦争の記憶を語り継いで欲しいと願う金城さん。
その思いを、2人のひ孫たちがしっかりと受けとめていました。

棚原リリカさん
「(戦争のあった現地を)見て感じる時と、見ないでそのまま話聞いて感じる時とでは全然違うなって感じたし、すごく怖いなと思いました。」

仲松ともえさん
「戦争のことについて学んで、みんなにこのサイパンで何が起こったか伝えたいなって思います。」

金城米子さん
「戦争っていうのは大変ですよ、同じ人間が、人間を殺して、逃げ回ったりして。
(本当の)怖さはわからないと思うけど、でも、(サイパンで見聞きしたことを)よく覚えていてほしい。」

遺族らのサイパンへの団体慰霊は、今回が最後となりましたが、金城さんの2人のひ孫は、今後も現地に慰霊に訪れて戦争について学びたいと話しているということです。

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