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2019年8月25日(日)

車いすテニスのレジェンド 国枝慎吾の“新境地”

開幕が1年後に迫った東京パラリンピック。
車いすテニスで金メダル獲得の期待がかかるのが、国枝慎吾選手です。
これまで男子シングルスでは四大大会で通算22回の優勝。
パラリンピックでは北京、ロンドンと2大会連続で金メダルを獲得するなど、10年以上、世界の車いすテニスをリードしてきました。
ただ、前回のリオデジャネイロ大会ではメダルに届きませんでした。
1年後の東京で2大会ぶりの金メダルを目指す車いすテニスの第一人者は、これまでとは異なるアプローチでパラリンピックに臨もうとしています。

車いすテニスのレジェンド 国枝慎吾選手

先月(7月)、海外遠征中の国枝選手です。
長年世界のトップを走ってきたレジェンドも、35歳。
入念なケアを欠かすことはできません。
それでも、いったんコートに立つと猛練習で自らを追い込みます。

そんな国枝選手を奮い立たせていることばがあります。
ラケットに記している「オレは最強だ」。
その自信の源が卓越した技術です。
正確無比のコントロール。
そして、鉄壁の守備。
巧みな車いすさばきでどんな球にも追いつきます。
粘りのテニスで、20代のころは“国枝一強”ともいえる時代を築き上げました。
国枝選手は25歳当時、王者としての思いを語っていました。

国枝慎吾選手
「世界1位に恥じることのないプレーをしたいと。
しなければならない。」

競技人生の分岐点

ところが、3年前のリオパラリンピックで車いすテニス界の構図が大きく変わります。
若手たちが台頭し、『パワー』を前面に押し出したプレーを次々と繰り出したのです。
国枝選手はその波にのまれます。
準々決勝の相手は、高速サーブが武器の27歳。
国枝選手は終始力で押され、ストレート負けでメダルにも届きませんでした。

国枝慎吾選手
「もう完全に(王者の)看板は向こうだと、あの瞬間に思った。」

王座を奪い返すため、国枝選手は自らの粘りのテニスを見直すことにしました。
昨シーズンから指導を受けるコーチとともに取り入れたのが、攻撃的なバックハンド。
ポイントを奪える、威力のあるショットを身につけようとしたのです。

国枝慎吾選手
「今までだとちょっと(国枝の)バックに打っておけば、ある程度つないで来るだろうと(思われていた)。
脅威を与えられるようにプレッシャーをかけられれば、よりこちらの展開に持っていきやすいかなという狙い。」

挑戦者として東京へ

リオでの敗北は、競技に向かう心にも変化をもたらしました。
先月、遠征中に取材に応じた国枝選手は、妻やスタッフたちとリラックスした様子で過ごしていました。

マネージャー
「昔はそんなにね、こういう(笑顔を)見せなかった。」

国枝慎吾選手
「格好つけなくなったんですよ。」

自分自身に課していた、王者として負けられないという思い。
そこから解放され、挑戦者として競技を純粋に楽しめるようになったといいます。

国枝慎吾選手
「変化することに対しては以前よりもさらに恐れなくなったと思いますね。
自分が変わっているのを実感するときが一番わくわくしますし、それが35歳にもなってあることはすごく幸せですね。」

この夏、新たなスタイルがどこまで通用するのか確かめる絶好の機会がありました。
四大大会の1つ、ウィンブルドン選手権。
パワーのある選手が有利とされる、芝で行われる大会です。
準決勝の相手は、大会3連覇を狙う強豪です。
序盤、力強いショットに押され主導権を握られますが、それでも国枝選手は挑む気持ちを失いませんでした。

国枝慎吾選手
「ずっと取り組んでいることに集中して、そこに賭けて、これで負けたらしょうがないと。」

強化したバックハンドを決め、最後までミスを恐れず攻めのショットを貫きます。
この試合、逆転で勝利をもぎとりました。
1年後の東京も、挑戦者として突き進む決意です。

国枝慎吾選手
「東京の舞台でも、やることはやっぱり相手に立ち向かって自分自身のプレーの質に挑戦していくことだと思うので、東京の時には1年前の今に比べものにならないくらいのプレーをしたいと思います。」

国枝選手が常々語っているのが、「負けることがスイッチになる」ということばです。
順調な競技人生のように結果を見ると感じますが、敗れた経験や悔しさをその後の成長につなげてきたということです。
中でもリオパラリンピックの敗北は、肩の力を抜いて、純粋に選手として高みを目指すきっかけになったと話していました。
国枝選手は今後、四大大会など車いすテニスのツアーを戦いながら1年後の東京パラリンピックを迎えます。
さっそく、全米オープン車いすの部が9月5日に始まります。

取材:今井美佐子記者(スポーツニュース部)

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