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2019年8月16日(金)

大学生がたどる“戦争と若者”

日本で最高峰とも言われる、中学生の英語の弁論大会「高円宮杯全日本中学校英語弁論大会」は、各都道府県の予選を勝ち抜いた中学生が、社会や将来などへの思いを自由に発表していきます。
実はこの大会、元特攻隊員が特攻によって戦死した友人との約束を果たそうと始まりました。
この事実に興味を持った大学生がいます。
この夏、特攻隊員たちが抱いていた思いに迫る旅に出かけました。

“英語”普及を夢見た特攻隊員たち

中学生に英語を教える活動を行う大学生の堀田智之さんは、2年前から英語弁論大会の運営に加わっています。
大会の成り立ちに興味を持った堀田さん。
気になる資料に出会いました。
70年を誇る弁論大会の歴史が記された年鑑です。
そこには、軍服姿の若者の写真が、多数掲載されていました。
大会は、太平洋戦争で生き残った特攻隊員によって作られたのです。

大会を設立した鈴木啓正(ひろまさ)さんは、中学校時代にイギリスの歴史に興味を持ち、世界情勢を学びます。
英語を身につけなければ、将来、世界を敵に回してしまうという危機感を持ったといいます。
そして、鈴木さんは中学時代、富永靖さんという親友に出会います。
富永さんは鈴木さんの考えに共鳴し、2人で、将来、英語の弁論大会を作ろうと約束しました。
しかし、その後2人は、別々の特攻隊に志願。
富永さんは戦死し、鈴木さんは生き残って約束を果たします。

なぜ、英語を広める夢を持っていた2人が、特攻隊に身を投じたのか。
堀田さんは、夏休みに調べることにしました。

国際基督教大学 3年 堀田智之さん
「この大会を作り上げた鈴木会長の本当に目指していたものは何だったのか、何を目指しこの大会を立てたのか。」

堀田さんは鹿児島県にある特攻の資料館を訪ねました。
戦死した多くの特攻隊員の写真の中に、富永さんのものも展示されています。
学芸員は、富永さんが特攻隊員に志願した背景に、一家の名誉を守りたいという強い思いがあったとみています。

陸軍司令官としてフィリピンの戦線にいた父親の恭次さんが、昭和20年のはじめ、部隊を置き去りにして台湾に逃亡。
以来、「ひきょう者」と批判を受けたといいます。
その数か月後、富永さんは、特攻隊に志願して出撃。
終戦の3か月前、沖縄の沖合で帰らぬ人となりました。

知覧特攻平和会館 学芸員 八巻聡さん
「(富永さんの)父親はそういう汚名があるかもしれないけど、自分は違うんだと、自分は特攻隊員としてしっかり自分の役割を果たすんだという気持ちがあったのかなと。」

国際基督教大学 3年 堀田智之さん
「(特攻は)単純にかわいそうとか、そういう言葉で片づけてしまうのではなくて、彼なりの名誉挽回、汚名返上じゃないですけど、そういう気概があったりしたのかなというふうに思いました。」

富永さんの出撃を、手紙で知った鈴木さん。
それでも、あとを追うように特攻に志願していました。
2人の夢を実現させるのではなく、特攻に突き進んだのはなぜなのか。

堀田さんは、鈴木さんの妻の順子さんを訪ねました。

鈴木順子さん
「若い人たちはもう生きるか死ぬかの、それしかもう選択肢がないくらい、日本の状況がせっぱ詰まっていた。」

鈴木啓正さんは、富永さんの出撃を知った一週間後、特攻の志願書を渡され、死を覚悟したといいます。
しかし、友との約束も忘れてはいませんでした。
後日、当時の気持ちを書き残しています。

鈴木啓正「亡き親友を偲びつつ…」より
“自分は国のために死ななければならない。
でも生きたい。
もし、生き残ることができたら、私が富永君と中学時代から計画していた英語弁論大会の事業を必ずやります。”

そして生き残った鈴木啓正さんは、終戦から4年後に最初の弁論大会を実現。
その後も英語教育に情熱を傾け、弁論大会の運営に生涯をささげました。

鈴木順子さん
「当時、夢を打ち砕かれてしまった、実現するどころか、そこのプロセスにさえ入れなくて命を失った大勢の方のことを考えたら“そこで富永さんとのお約束が生かされる時が来たんだ”と決断したんだと思います。」

堀田さんは、この夏、特攻に運命を翻弄された2人の思いに触れました。
今、11月の弁論大会に向け準備を進めています。

国際基督教大学 3年 堀田智之さん
「若者は常に夢を持って、それを発信し続けてほしいというその思いを忘れずに大会を運営することが、この大会にとって必要なことではないかと思っています。」

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