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2019年8月15日(木)

終戦時の総理大臣 秘めた覚悟とは

戦争が終わった74年前の8月15日。
内閣総理大臣だったのが鈴木貫太郎です。
就任は終戦のわずか4か月前、秘めた覚悟で戦争終結に導きました。
いま、孫が祖父の足跡を語り継ごうとしています。

昭和天皇の説得 家族に見せた涙

都内に住む鈴木道子さん。
昭和6年生まれの87歳、元首相の長男の娘でずっとそばで暮らしていました。

祖父の鈴木貫太郎が第42代内閣総理大臣に就任したのは、日本の敗色が濃厚になった昭和20年4月。
昭和天皇の側近・侍従長だった鈴木は、天皇の再三の説得を受け、77歳という高齢ながら就任しました。
その際の演説で決意を次のように述べています。

第42代内閣総理大臣 鈴木貫太郎
「まず私が一億国民諸君の真っ先に立って死に花を咲かす。
国民諸君は私のしかばねを踏み越えて国運の打開にまい進されることを確信。」

この頃、戦局は悪化し日本の敗北はもはや決定的でしたが、軍の一部は徹底抗戦や本土決戦を主張していて、戦争の終結に動くことは簡単なことではありませんでした。

鈴木貫太郎の孫 鈴木道子さん
「天皇陛下から、政治に疎くてもよい、耳が遠くてもよいと言われて、最終的には鈴木でなくてはならない、まげてなってほしいと。
もうお断りすることができずに、ついにお受けしてきたと、涙ながらに家族に話したんですね。」

軍に命を狙われた二・二六事件

鈴木はかつて軍部に命を狙われたことがありました。
昭和11年の二・二六事件。

侍従長だった鈴木は、昭和維新を掲げ決起した陸軍の青年将校に襲撃されました。
眉間などに銃弾を受けひん死の重傷を負いましたが、奇跡的に一命をとりとめました。
道子さんはその日のことを覚えています。

鈴木貫太郎の孫 鈴木道子さん
「雪が深かった日で、私と兄は風邪をひいて寝ていましたが、電話が鳴って貫太郎が危篤だと。
大急ぎで父が飛んでいきました。
やっぱり、二・二六事件のことがあるので、自分の身は捨てなくてはいけない、自分のことを考えてはいられない、ということをひしひしと感じたと思うんですね。」

“バドリオ”になる 終戦への覚悟

事件から9年、総理大臣を引き受けた鈴木は、戦争終結への強い覚悟を秘めていました。
しかし在任中、沖縄での激しい戦闘や、広島・長崎への原爆投下など、戦況は絶望的となります。
それでも、国民に真実が知らされることはなく、軍の一部は本土決戦、一億玉砕を訴え続けていました。
鈴木は、戦争の幕引き役を担う覚悟を「ある言葉」で表現していたと言います。

鈴木貫太郎の孫 鈴木道子さん
「自分は“バドリオ”になるぞと。
当時日本では、イタリアが負けたのはバドリオ首相のせいで、売国奴だと新聞でたたかれていました。
あえてその“バドリオ”を使って、祖父はそういうふうになるということを、家族にひそかに告げたんだと思います。」

※バドリオ=降伏を決めたイタリアの首相

御前会議 異例の“ご聖断”を要請

昭和20年8月10日、皇居で開かれた御前会議。
戦争継続か終戦かで意見が分かれる中、鈴木は異例の行動に出ます。
天皇に「ご聖断」を要請したのです。
その後、ポツダム宣言の受諾が決定。
玉音放送が8月15日に行われました。

同じ日の早朝、鈴木の自宅は、終戦に反対する軍の一部によって焼き打ちされました。
鈴木は間一髪、難を逃ました。

語り継ぎたい祖父の足跡

孫の道子さんは最近になって、祖父の足跡を語り継ぐ活動を始めました。
この夏、都内の図書館で開かれた講演会には多くの人が詰めかけました。
道子さんが必ず伝えるのが、祖父が臨終の際に残した言葉です。

鈴木貫太郎の孫 鈴木道子さん
「私は祖父の左側に座って左手をずっとなでていたんですね。
意識がなくなる最期、『永遠の平和』という言葉を祖父は2度繰り返しました。」

そして今、大事にしてほしいと願う祖父の言葉があります。

鈴木貫太郎の孫 鈴木道子さん
「戦争に負けた日本はこれからどうしたらいいか。
日本国民は『うそをつかぬ国民になること、そして絶えざる努力を続けていくこと』であると。
いま非常に大切な言葉だと思います。」

終戦時の総理大臣 いま振り返る意義とは

鈴木貫太郎をいま振り返る意義は何なのでしょうか。
実は、鈴木が総理に就任してから終戦に至るまでの4か月については、歴史家の間でもさまざまな見方があります。
まず、もっと早くポツダム宣言を受諾していれば 原爆投下やシベリア抑留などの悲劇などは避けられたのではないかという批判があります。
一方で、鈴木の慎重な終戦工作があったからこそ、日本はイタリアの様に内戦になることもなく、ドイツの様に壊滅的な本土決戦を戦うことを避けられたという評価もあります。
ただ、1つ確実に言えるのは、撤退は、指導者にとって最も難しい決断だということで その意味で、鈴木が終戦に果たした役割を振り返ることには、現代的な意義があります。
近年、国際秩序が不安定さを増す中で、国際紛争は一度大きくなれば収拾が容易ではないことを、鈴木貫太郎は、私たちに教えているのではないでしょうか。

取材:増田剛記者(国際放送局)
取材:吉岡礼美ディレクター(おはよう日本)

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