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2019年8月14日(水)

戦後74年 戦争孤児 “人生の空白を埋めたい”

戦争によって親を失った「戦争孤児」。
その数は、12万人を超すといわれています。
当時幼かった子どもは、親の名前や顔を知らないまま生きてきました。
今、自らの生い立ちを調べ始めた女性がいます。
知るほどに募る、親への思い。
戦争孤児の日々を追いました。

戦争孤児 戸籍の父母は空欄

北海道江別市に住む、谷平仄子(たにひら・ほのこ)さん、74歳です。
物心ついた時には、戦争孤児が暮らす施設で過ごしていました。
親の身元が気になっていましたが、戸籍を見ても分かりませんでした。

谷平仄子さん
「全く空欄なんですよ、この大きな枠が。
親が全然分からなくって。」

見せてくれたのは、5歳の時に引き取ってくれた里親の写真。
育ててもらった感謝から、生前、実の親のことは聞けませんでした。
大学を卒業して教師になり、子や孫にも恵まれた仄子さん。
人生の晩年を迎え、実の親への思いが募るようになりました。

谷平仄子さんインタビュー
「自分の人生を見た時に、分からないままで、分かって死んだ方が幸せかもしれない。
知りたいです。」

人生の空白を埋めたい

去年の冬、夫と共に調査を始めた仄子さん。
訪ねたのは埼玉県にある、かつて暮らした施設です。
初めて見せてもらったアルバム。
そこに、幼いころの自分の姿を見つけました。

谷平仄子さん
「あ、自分でも分かります。
これです。
私です。」

さらに当時の名簿には、実の親につながる重要な記録が残されていました。

施設職員
「名簿上はですね、お母さんが菅谷みさをさん。」

生まれて初めて知った母親の名前。
住所も書かれていました。

谷平仄子さん
「菅谷みさをさん、私の母なんですね。
きのうまでは、知りたい知りたいと思ってたんです。
だけど、知りたいではなく、会いたいって気持ちに変わっちゃったんです。」

かつての住所には、母親の情報が残っているのではないか。
区役所を訪ね、戸籍や住民票がないか調べました。
ところが…。

谷平仄子さん
「らちあかないね、全然だめ。」

親子関係を立証できないとして、情報を提供してもらえませんでした。

実際の住所で、母親の消息を尋ねてみました。
生きていれば、90歳前後のはずです。

谷平仄子さん
「この辺に菅谷さんっていうお宅、ご存じないですか?」

「菅谷、知らないけど…。」

74年もの歳月が経った東京。
結局、母親の名前以上の情報は得られませんでした。

情報公開がもたらした衝撃の事実

北海道に戻った仄子さん。
その後、実の親につながる、ある手がかりを得ました。
里親に引き取られるまでのいきさつを記した記録が、行政にも残されているというのです。
仄子さんは情報公開制度を利用し、北海道庁に資料の開示を求めました。
そこには新たな事実が記されていました。

母親と別れた時の最後の状況。
病だった母が乳児を抱えて、空襲から避難する事ができず、焼死したと思われると書かれていました。

谷平仄子さん
「母の命の引き換えで、私が生きている。
お墓で眠っているかもしれないですけども、本当にすがりつきたいです。」

黒く塗りつぶされた人生の空白

もう1つ、驚くべきことが分かりました。
空襲の中、別の女性が仄子さんを預かり、2年以上もの間、育ててくれたと見られる記述が見つかったのです。
しかし、その女性の名前は黒塗り。
個人情報のため、知らせることができないということでした。

谷平仄子さん
「お恥ずかしいんですが、何とか見えないかと削ってしまったんです。
もう1人、育ての親がいたんだというのは、本当に知りませんでしたから。
会いたいですね。
お礼も言いたいですし。」

戦争孤児が直面する、情報の壁。
仄子さんは、弁護士の力を借りることにしました。
弁護士は、「育ての親の名前を知る権利は法律上、保障されている」と言います。

広田拓郎弁護士
「憲法13条の人格的生存権のひとつとして、保障されるべきであると考える。」

仄子さんは北海道に対して、あらためて黒塗り部分の開示を求めました。
「私はどこの誰なのか。」
その思いが仄子さんを突き動かしています。

谷平仄子さん
「肝心の名前だけ消されているという意味が、分からないんじゃなくて、冷たいなと思いましたね。
戦争によって、親と引き裂かれた子どもがいる。
いた、いる。
私はまだ現在進行形なんですよね。
終わってないんですよね。
そこを忘れてもらっては困るんですよ。」

戦争孤児 求められる支援

仄子さんが北海道に求めた、育ての親の名前の開示について結論が出るまでは、まだ数か月かかるとのことです。
また、仄子さんのような戦争孤児の調査を支援する組織などは、ほとんどないそうです。
戦争孤児に詳しい立教大学の浅井春夫名誉教授は「戦争孤児に親の情報を提供するのは本来、戦争を起こした国家の責任だ。それなのに、孤児に出自を知らせない。それは国の怠慢と言える。国は孤児の戦後史に関する調査などを行う機関を設けるとともに、出自を知りたい孤児を支援する相談窓口を設ける必要がある」と指摘します。

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