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2019年8月7日(水)

“あの日”を再現 映画「ひろしま」

原爆の投下から8年後に製作された、映画「ひろしま」。
出演している人の多くが、被爆した人々です。
映画は、海外の映画祭でも受賞するなど、高く評価されていました。
しかし、日本では大手映画会社から上映が拒否され、その存在は忘れ去られてしまいます。
完成から半世紀以上たった今、映画は世界各地で上映され再び脚光を浴びています。
なぜ、埋もれていた映画が注目されるようになったのでしょうか。

忘れられた映画「ひろしま」

映画の舞台は、1953年、原爆投下から8年後の広島。
市内にある中学校の少年少女たちが主人公です。
急性被爆の症状に苦しみ、貧困や差別に悩まされる姿を、被爆者自らが演じています。
当時、被爆地で深刻化していた実態が描かれていきます。

さらに物語は、人々の運命を変えた“あの日”へと、さかのぼっていきます。
映画の製作者達がこだわったのは、原爆投下直後の広島の姿をリアルに再現することです。
一般市民8万8,000人が出演し、被爆した衣類やがれきを持ち寄りました。
映画の脚本は、被爆した当事者達の手記を基に作られました。

つらい記憶と向き合う撮影

被爆の手記を寄せ、映画にも出演した早志百合子さん。
9歳のとき被爆し、両親とともに市内を逃げまどいました。

早志さんの手記より
“山の防空壕に入りました。
死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。
その中には、私の知っている人もだいぶいました。”

早志さんの撮影が行われたのは、被爆直後、自分が逃げまわった、まさにその場所でした。

早志百合子さん
「本当に地獄絵だったんですよね。
現実に見えている景色と、当日の景色が重なるんですよね。
本当に吐きそうになって吐いたかもしれないし、倒れそうになりましたよね。」

拒否された上映

被爆者たちがつらい記憶に向き合いながら、懸命に演じた映画。
しかし、その思いはくじかれます。
完成試写をしたところ、配給を予定した大手映画会社が、内容の一部が反米的だと上映を拒否したのです。

映画「ひろしま」より
“ヒロシマとナガサキでは結局のところ、20何万かの非武装の、しかも何らの罪もない日本人が、あっさりと新兵器の「モルモット実験」に使われてしまったのだ、と。”

映画評論家 佐藤忠男さん
「要するに、アメリカに遠慮したんです。
はっきり言って。
とにかく、映画の中で原爆について語ったり、ちょっと触れたりするだけでも大変でしたから。」

結局、映画「ひろしま」は、自主上映会などで細々と公開されるにとどまりました。

再び注目 そして世界へ

完成から半世紀以上埋もれていた映画。
そこに、再び光を当てようとする人物がいます。
小林開さんです。
祖父がこの映画の製作に関わっていたことから、多くの人に見てもらいたいと考えていた小林さん。
4年前から上映会やSNSなどを通して、映画の魅力を発信する活動を続けてきました。

小林開さん
「これを見ることによって継承ってことをしていって、そういうことによってまた、二度と核を使わない、使わせないっていう思いが芽生えるんじゃないかなっていうふうに思いますね。」

小林さんの地道な活動が実を結び、思わぬところから声がかかります。
アメリカ・ハリウッドに拠点を置くメディア会社が、フィルムをデジタル化する資金を提供し、北米での配信を決めたのです。

大手メディア会社 プロデューサー チャールズ・タベシュさん
「この映画は日本人だけでなく、アメリカ人にとっても貴重な作品です。
トランプ大統領が大統領選のとき『なぜ核兵器を使用してはいけないのか?』と言ったと伝えられています。
この映画こそ、それに対する的確な答えだと思います。」

映画「ひろしま」の上映は今、北米やヨーロッパ、アジアなど、世界10の国々へ広がっています。
去年(2018年)6月、カナダのトロントで開かれた映画の上映会。
ここに招かれたのが、サーロー節子さん。
広島で被爆し、その後、世界各地で核廃絶を訴えてきました。

サーローさんは、実際に核の脅威を体験した人たちが演じたからこそ、この映画には訴えかける力があると感じています。

サーロー節子さん
「被爆者の人たち、市民の人たちが生の声を世界に伝えようと、みんな手弁当でね、ああいうものを作った。
これは貴重な、尊い宝のようなものだと思うわ。
皆さんに、正真正銘の広島の体験というものを考えてほしいですね。
世界の人は驚くと思います。」

“核の悲惨さを後世に伝えたい”

映画の最後は、市民たちが原爆ドームを目指して行進するシーンで締めくくられます。

核の悲惨さを後世に伝えたい。
そんな思いに賛同した人が相次ぎ、最終的には2万人に膨れ上がりました。

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