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2019年4月28日(日)

ラーメン平成史

新井
「『食』で平成を振り返ります。」

石橋
「こちらは『平成で行列に並んだことのあるグルメ』について聞いたアンケートの結果です。」

新井
「私もいくつか並びましたね。」

石橋
「皆さん、いろいろな思い出があるかと思います。
1位は何かというと、ラーメンなんです。
1つの世帯が外食に使う金額を見ても、ラーメンはデフレの中、ほぼ右肩上がりです。

なぜ、これほど愛されてきたのか。
実は、『平成』という時代と深い関係があったんです。」

平成は“ラーメン進化の時代”

石橋
「新横浜ラーメン博物館にやって来ました。
こちらで、『平成』とラーメンについて教えていただきたいと思います。」

訪ねたのは「新横浜ラーメン博物館」。
博多の濃厚とんこつラーメンに、利尻昆布のうまみが凝縮した、しょうゆラーメン。
全国の名だたる有名店が出店。
ここに来ればラーメンのすべてが分かるという場所です。

ラーメンの歴史をひもとく年表もあるんです。
中でも平成の30年は、多種多様なラーメンが登場し、進化を遂げた時代だと強調されています。

ラーメンの歴史をまとめた中野正博さん。
国内外の店を6,000軒以上食べ歩いたラーメン好き。
それが高じて、この博物館に就職。
本格的に研究を始めました。

新横浜ラーメン博物館 中野正博課長
「それまではしょうゆラーメン、みそラーメンという言われ方をしていた。
横浜の“家系”ラーメンのように、“なになに系”とか。
本当に多様化したというのが平成。」

進化のきっかけはバブル崩壊!?

なぜ、平成の時代にラーメンは進化を遂げたのか。
手がかりを探るため、ある人気店にお邪魔しました。
透き通った澄んだスープで、「淡麗系」と呼ばれるラーメンの先駆けとなった店です。

石橋
「あっさりしてますけど、すごく深い味がしますね。
スープも澄んでいますね。」

くじら軒 オーナー 田村満儀さん
「いちばんのこだわりです。」

この店を開いた、田村満儀さんです。
平成7年に脱サラし、この世界に飛び込みました。
当時はバブルが崩壊し、長い不況に突入した時代。
周囲では会社を辞める人が増え始め、田村さんは思い切って、ラーメン店を開くことを決意しました。

くじら軒 オーナー 田村満儀さん
「工場が潰れたとかは耳にしていた。
不景気のときほど、ラーメン屋はいいと考えた。」

畑違いの世界から飛び込んだ、ラーメンの世界。
そこで生き残るため、目指したのが「これまでにないスープ」を作ること。
当時、主流だった鶏ガラに加え、牛すじやリンゴ、レモンなど、あらゆる材料を使い、ほかにはない味を追求しました。
「後がない」という気持ちが、田村さんを駆り立てたといいます。

くじら軒 オーナー 田村満儀さん
「おふくろも女房も『ラーメン屋なんて修行してないのにできるわけない、せっかく買った家がとられちゃう』と、さんざん反対された。
もうやるしかない、生活のために絶対成功してやるという気持ちになった。」

バブル崩壊後、田村さんのように脱サラして店を開いた人たちが中心となり、切磋琢磨(せっさたくま)したことが、ラーメンを進化させるきっかけとなったのです。

ネットの普及と「ご当地ラーメンブーム」

さらに、平成のラーメンを語る上で欠かせないのが、「ご当地ラーメンブーム」です。
和歌山や新潟など、地方の知られざる名店に光が当たり、各地で行列ができました。

その背景には何があったのか。
ご当地ラーメンブームのひとつ、徳島市を訪ねました。
人気の火付け役となった、こちらの店。
メニューは「中華そば」だけ。
豚骨しょうゆのスープに、甘辛い味付けの豚バラ肉。
生卵をトッピングするのが特徴です。

石橋
「見た目ほど脂っこくなくて、しょうゆの甘辛い味がすごくおいしいです。」

店主の猪谷貴雄さんです。
地元の人に愛されてきましたが、平成10年ごろを境に、これまでとは違う客層が店を訪れるようになったといいます。

いのたに本店 店主 猪谷貴雄さん
「北海道から九州まで来てくれるようになった。
幅が広がった。
携帯見て、地図見て来る方もいた。
うれしい。」

このころ、インターネットが急速に普及。
ネットの情報を元に、これまで知られていなかった地方の店を訪ねる人が増えたのです。

石橋
「今日はどちらからいらっしゃったんですか?」


「茨城県のつくば市。」

「群馬から。」

今や人気は全国区。
しかし、猪谷さんは、大都市には出店せず、地元での営業にこだわっています。
遠くから訪れる客のため、わざわざ駐車場を増設したほどです。

いのたに本店 店主 猪谷貴雄さん
「ここが僕、好きなんですよ。
徳島が好きなんで、ここにいて、お客さんが来て、一緒に食べられればいちばん。」

ラーメン博物館の中野さんです。
こうした地元に根を張った店によって、新たな人の動きが生まれたと分析しています。

新横浜ラーメン博物館 中野正博課長
「知られていないものが知られるようになり、それが個性的で結果的に観光資源となり、観光客も増える。
わざわざそれを食べに旅行する。
ラーメンがワンランク上の食べ物に変わった。」

今や外国人にも愛されるようになったラーメン。
時代の変化とともに進化し、多くの人を魅了してきたことが、平成の30年もの間、愛されてきた理由だったのです。

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