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2019年4月23日(火)

原子力 “平成の教訓”どう生かす

福島第一原発から、およそ10キロ。
今も一部で立ち入りが厳しく制限されている富岡町です。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「月に1回以上は、必ず来ている。」

一時帰宅した、北村俊郎さん。
40年以上にわたって、原発に携わってきました。
半生を振り返り、痛恨の思いを募らせています。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「いろいろな意味で原子力を推進してきたが、(原発事故は)あってはならないと痛切に感じた。」

世界最悪レベルの事故を起こした、福島第一原発。
平成の時代、日本の原子力には、どこに問題があったのか。
私たちは何を教訓として、次の時代に生かすべきなのか。
当事者の言葉から、探ります。

当事者が語る 原子力の平成

平成が始まった頃、日本の原発は事故やトラブルで止まることが少なく、関係者は「世界最高水準の安全性」を誇っていました。

「海外で起きたような重大な事故は、日本では起きない」。
電力会社の幹部として、原発の安全管理などを担当していた北村さんは、「国や事業者は自信に満ちていた」と言います。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「『日本の原子力は欧米に比べて決して負けていない』。
『うぬぼれ』、そういうものがあったんじゃないか。」

ところが、その後、事故やトラブルが相次ぐようになり、その対応を巡って歯車が狂いはじめます。
象徴的だったのが、次世代を担う原発として期待された「もんじゅ」で、平成7年に起きた火災事故です。
このとき、事故の大きさを隠すため、現場を写した映像を意図的に短く編集していたことが発覚。
社会の不信を招きました。

旧動燃 理事長
「このビデオは十数分のビデオだった。
深く反省し、残念に思っております。」

平成11年、JCO臨界事故。
16年、美浜原発の蒸気噴出事故。
19年、地震による柏崎刈羽原発の火災。
それでも、原発を巡る裁判のたびに、国や事業者は、「安全性は十分だ」という主張を繰り返しました。

電力会社の担当者
「安全性の点でも、耐震性の点でも、十分耐えうる。」

なぜ、原子力にはリスクが伴うことを社会に伝えなかったのか。
事故の後、対応にあたった、もんじゅの元所長です。
「原発を停止させる事態は避けたい」という空気が、業界にあったと証言します。

もんじゅ 元所長 向和夫さん
「当面を取り繕って、早く次にいきたいという感じが非常に強く、民間(企業)だと特に経営が重要だから。
(リスクを社会と)本当に共有するのがどういうことかを考えると、まったく足りなかったという反省はある。」

富岡町の北村さんは、トラブルが相次いだ頃、原発を推進する業界団体、今の「日本原子力産業協会」に出向していました。
そこで、海外の原発を視察、進んだ安全対策を目の当たりにします。
日本でも対策を取り入れるよう訴えましたが叶いませんでした。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「『追加の安全対策をする』と言うと、『何だ、前に安全だと言ってたじゃないか』『何で(対策を)追加する必要があるんだ』『じゃあ、前に言ったのはウソか』と(社会から指摘されると)言われてしまって、安全性について疑問を投げかけることが、なかなかできなくなってきた。」

「安全」と言い続け、深刻な事故の「リスク」から目を背けてきた、日本の原子力。
「安全神話」の中で、身動きが取れなくなっていたのです。
その危うさを覆い隠したのが「原子力ルネサンス」。
平成の半ばに世界的に起きた、原子力を再評価する動きです。

アメリカ ブッシュ大統領(当時)
「原発を政策の中心にするべきだ。」

原発は温室効果ガスを出さず、環境に優しいとされ、世界各国で建設が一気に増え始めました。
この動きの中で、日本は国策として原発の海外輸出を打ち出しました。
その方針をまとめた、原子力委員会の元トップです。
世界に原発を売り込もうというときに、水を差してはいけない雰囲気だったと証言します。

原子力委員会 元委員長 近藤駿介さん
「推進側は、ブレーキになるからなのかは別にして、『(リスクを)そこまで言わなくていいや』というのは絶えずあること。
どこまでを(リスクを)共有しなければならないのか。
十分であったかという点で見ると、結果として十分ではなかったのではないかと、反省として言える。」

リスクに関する情報を独占していた電力会社が、あえてそれを社会に伝えようとはしなかったといいます。

原子力委員会 元委員長 近藤駿介さん
「(国民が)情報を欲しいと思わないかぎり、なかなか取りにも来ない、聞かない。
人々が関心を持っていないものに、関心を持たせることができなかった。」

そして…。
原子力に潜むリスクが現実のものとなったのは、福島の事故でした。
今、富岡町には、除染で取り除いた土が、大量に保管されたままになっています。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「なんともいえないね、これ、本当。」

北村さんは原子力の歩みを振り返って、後悔の気持ちを抱いています。

日本原子力発電 元理事 北村俊郎さん
「周り流れや雰囲気、そういうものに飲み込まれていた、今になって思えば。
反省しなければいけなかったところだと思う。」

次の時代 原子力にどう向き合うか

高瀬
「原発事故が起きるまで、原子力のもつリスクに真摯(しんし)に向き合ってこなかったという当事者たちの証言を、皆さんはどう聞いたでしょうか。
取材した藤岡記者です。
改めて、平成は原子力にとってどんな時代だったのでしょうか?」

藤岡信介記者(科学文化部)
「一言で言えば、国や事業者が社会との対話に失敗を繰り返してきた時代だったと思います。
一見、情報公開を進めてきたようで、肝心な情報を伝えるのには後ろ向きでした。
福島第一原発がいわゆるメルトダウンしていたことについて、東京電力は2か月間認めず、それが当時の社長の指示だったことも事故から5年にわたり公表しませんでした。
事故のあとも、不都合な情報はできるだけ出さないという電力会社の姿勢は厳しく指摘せざるを得ません。」

和久田
「次の時代に私たちは原子力にどう向き合っていけばいいのか、取材を通して何が見えてきましたか?」

藤岡記者
「私たちの暮らしに欠かせないエネルギーをどう確保するかを考えるときに、将来、原発をどうするかという議論は避けられません。
原発を続けるにせよ、やめるにせよ、どちらを選択するにしても大きな課題があるんです。
原発を続ける場合、国の審査に合格しても、潜在的なリスクはゼロになりません。
処分場が見つからない核のごみを出し続けることにもなります。
原発をやめる場合には、再生可能エネルギーを中心に、安定供給を図る道筋を作る必要があります。
もっと導入するには送電網の整備が必要となるなど、課題はいろいろあります。

エネルギーを巡る国民的な議論は、事故直後には盛り上がりましたが、その後はすっかり下火になりました。
新たな時代に向け、国は議論の場を設け、私たちも積極的に参加することが必要だと思います。」

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