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2019年3月5日(火)

震災8年 命救ったヘリ救助の記録

あの日、東北や関東の沿岸に押し寄せた巨大津波。
街が飲み込まれ、多くの住民が取り残された中、救助に力を発揮したのが、ヘリコプターでした。
私たちは、自衛隊や消防などに取材。
見えてきたのは、夜を徹した異例の救助活動。
特殊技術を駆使したあの日の経験を、隊員が初めてカメラの前で語りました。

自衛隊 救助ヘリ機長(当時)
「ゴーグルを航空機に準備して離陸しました。」

知られざる、ヘリ救助の記録です。

初めて明らかに ヘリ救助の全容

リポート:中島俊樹(NHK仙台)

仙台市にある陸上自衛隊、霞目駐屯地です。
宮城県内のほかの航空拠点が浸水したため、ここが警察や消防も含めた、ヘリの唯一の発着場になりました。

震災当時、救助ヘリの機長を務めた馬場正幸さんです。
パイロット歴およそ30年のベテランが、記憶を風化させまいと、初めて当時の経験を語りました。

自衛隊の救助ヘリ機長(当時) 馬場正幸さん
「仙台東道路(沿岸の高速道路)よりも海側は、すべて水面だった。
信じられない感じだった。」

3月11日。
休みで自宅にいた馬場さんが急いで駆けつけ、ヘリで飛び立ったのは、地震から2時間余りたった午後5時でした。
向かったのは、7キロほど離れた仙台市の沿岸部。
取り残された人を多数確認しました。

行ったのは、ワイヤーでつり上げて安全な場所へ運ぶ「ホイスト救助」です。
給油時間も短縮しながら、基地との往復を繰り返しました。

自衛隊の救助ヘリ機長(当時) 馬場正幸さん
「救わなければいけない要救助者はたくさんいたので、飛行班員には持てる最大のパフォーマンスで任務をやれと。」

日没後の救助を可能に 「ナイト・ビジョン・ゴーグル」

しかし、わずか30分後、状況は一変。
日没を迎えたのです。

二次災害の危険性が高まるため、警察や消防が救助を中断。
しかし、馬場さんたちだけは、ある特殊技術を使って続行を決めました。
防衛作戦に使う装備、「ナイト・ビジョン・ゴーグル」です。

このタイプのゴーグルを使って撮影した映像です。
真っ暗闇でも、わずかな光りを感知して、はっきりと見ることができます。
地上40メートルからでも、真夜中に歩いている人を確認できました。

馬場さんたちは、偶然にも震災の半年前から集中的に訓練していたため、他の隊員とともに3機を飛ばすことができました。
馬場さんは目をこらして、助けを求める人のSOSを探しました。

自衛隊の救助ヘリ機長(当時) 馬場正幸さん
「屋根の上にのぼっている人、両手を振るような形。そして住宅の中におられる方、1階は全部水なので、2階からライトを照らしてヘリコプターに合図を送るというお宅があった。」

自衛隊の3機は明け方まで沿岸と基地の往復を繰り返し、120人以上を救助しました。

災害救助で得た教訓

それでも馬場さんは、助けを求める人を全て救助することはできなかったと振り返ります。

自衛隊の救助ヘリ機長(当時) 馬場正幸さん
「需要に対して、供給が圧倒的に足りていない。
今できることやっていこうということだったと思う。」

加えて、活動は仙台市周辺に限られていました。
深刻な被害を受けた石巻市などは、近くの松島基地が被災した上、悪天候も重なり、翌朝まで向かうことができていませんでした。

翌朝5時すぎ。
ようやく石巻方面に向かうことができた隊員たちは、厳しい現実に直面しました。
隊員の1人、荒牧孝さんです。
手遅れになった現場での被災者の言葉を、今も忘れることができないといいます。

救助を担当(当時) 荒牧孝さん
「『さっきまで生きていたけど連れて行ってくれないか』という依頼がけっこうあった。
少しでも暖かい所に(遺体を)連れて行ってあげたい気持ちだったが、『すみませんけど生存者が優先です』というやりとりが何件かあった。
もうすこし早く来ていればと思うところもあるし、自分たちも全力で頑張っていたし、その葛藤があった。
正直、整理できたかどうか分からない、今も。」

震災の経験を、次にどう生かすのか。
昼夜を問わない救助活動で1人でも多くの命を救うために、霞目駐屯地では震災の後、着陸場所を3割拡大。
より多くの応援ヘリが活動できるようにしました。

さらに、救助活動のエリアも広げています。
石巻市周辺でも訓練を行い、搬送先の病院などと連携を確認しています。
馬場さんは、あの日に経験したすべてを、後輩たちに伝えていかなければならないと考えています。

自衛隊の救助ヘリ機長(当時) 馬場正幸さん
「訓練でやってきたことは、間違いではなかったと確信できた。
日頃の訓練や使命感は大事だぞと伝えていかなければならない。」



高瀬
「本当にギリギリの状況の中で、一人一人が力の限りを尽くしていたんだということを改めて感じます。
8年たっても、知らないことがまだまだあるんだと思いました。」

和久田
「時間がたったからこそ語られる事実や、あの日、一人一人が抱いていた思い、そしてそこから得られる教訓を伝え続けていくことが、改めて大切だと感じます。」

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