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2019年1月29日(火)

“夜更けにバナナ”原作者が問う “障害者と生きる意味”

“俺が人生楽しんじゃいけないのかよ!”

映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」。
重い障害がある男性が、24時間ボランティアの介助を受けながら自宅で生活する姿を、実在した男性をモデルに描いています。
深夜2時。
主人公は…。

“バナナ食べたい、バナナ。”

ボランティアに、遠慮なく自分の欲求を突きつける主人公。
これまでにない障害者の描き方が話題になっています。

映画の原作者、ノンフィクション・ライターの渡辺一史さんです。
原作で、主人公の男性とボランティアに密着した渡辺さん。
それから15年。
先月(12月)出版した本では、当時の体験をもう一度振り返ることで、「障害者と生きる意味」を問うています。
そこに込められたメッセージとは?

“自分が生きたい人生”から得たもの

リポート:廣岡千宇(NHK横浜)

なぜ今回、原作に描いた日々を振り返ろうとしたのか。
その大きな理由が、相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害された事件です。
事件を起こした植松聖被告の「障害者は不幸をつくることしかできない」という主張。
インターネット上には、被告に同調し障害者を支える意味を疑問視する声もありました。

ノンフィクションライター 渡辺一史さん
「胸に手をあててみれば、自分もかつては漠然と、そういえば思っていたなと。
植松被告や同調する人たちに、どうすれば言葉を届けさせられるか、どうすれば彼らの心を揺さぶるような言葉を発せられるか。
そのための体験は、本当に自分の中にはある。」

その体験とは、映画の主人公・鹿野靖明さんとの出会いでした。
「障害者が自分の人生を選択できる社会にしたい」。
42歳で亡くなるまでの19年間、自ら500人以上のボランティアを集めて、自宅で生活しました。

ノンフィクションライター 渡辺一史さん
「障害者とボランティアの人たちとの交流というと、思いやりに満ちあふれたやりとりを思い描いていたんだけど、そんな現場ではさらさらないぞと。
ボランティアを叱りつけたりとか、あるいはわがまま言いすぎてボランティアに逆襲されたりとか。
生身の人間同士のぶつかり合いがあった。」

渡辺さんは、この鹿野さんとボランティアとの関係にこそ、「障害者と生きる意味」の答えがあると考えました。
どれほど周囲を巻き込んでも「自分が生きたい人生」に執着した鹿野さん。
その姿から、ボランティアたちもまた、大切なものを得ていたのです。
その1人、短期大学で社会福祉を教える山内太郎さんです。
「ボランティア募集」のチラシを大学で偶然見て、軽い気持ちで参加しました。

ある日、山内さんがたばこを吸っていたところ、「自分も吸いたい」と鹿野さんに介助を求められました。
体に悪いと止めると、「なぜ俺だけ吸っちゃいけないのか」と強い反発を受け、障害者を“守らなくてはいけない存在”と見ている自分に気づかされたといいます。

札幌国際大学 短期大学部 山内太郎さん
「役に立ちに来た、ちゃんとしたことをしに来たみたいな感覚で行っていたら、そこにカウンターパンチを食らうというか、“お前いい人になろうとしたろ”とか言われて、“すみません”みたいな。
上から目線じゃないかとか、自分の中のドロドロした部分を毎回、鏡に映されるような感覚。」

今、路上生活者の支援をしている山内さん。
鹿野さんとの出会いがあったからこそ、本当の意味で人と対等に向き合えるようになったと感じています。

札幌国際大学 短期大学部 山内太郎さん
「自分を客観視できるようになったのは鹿野さんとの経験があって、『支援されている』ではないが、逆転と言っていいのか分からないが、こっち側が一方的に何か与える側ではない状態になっている。」 

“他人や社会に堂々と助けを求めてもいい”

原作者の渡辺さんは、鹿野さんが亡くなった後も、数多くの障害のある人と関わり続けています。

「自分の生き方を、自分で決めることが大事。」

渡辺さんは、障害のある人から得たことを、本の中で記しました。
そのひとつが、映画でも描いた“人に迷惑をかけること”の大切さです。

“できる男ぶるのも大概にしろよ。
人にはできることより、できないことの方が多いんだぞ。”

「できないことは、人に支えてもらえばいい。人は誰しも支えなくして生きていけないのだから」と伝えています。

ノンフィクションライター 渡辺一史さん
「他人とか社会に堂々と助けを求めてもいい。
それは健常者こそ心に突き刺さる考え方。
“人に迷惑をかけない”社会規範の中で、自分だけですべてを抱えこんで孤立してしまって、誰にも助けを求められない状況に健常者ほど陥りがちだが、そこをすごく楽にしてくれる。」

「障害者は不幸をつくることしかできない」と主張した植松被告。
渡辺さんは著書で、こう結んでいます。

“あの障害者に出会わなければ、今の私はなかった。
そう思えるような体験をこれからも発信し続けていくことが、植松被告に対する一番の返答になるはずですし、同調する人たちへの何よりの反論になるはずです。”



和久田
「考えてみれば、人と人との複雑な関わり合いのはずが、どうして、どちらかがどちらかを支えるという一方通行の単純な構図として捉えて縛られていたんだろうと、私自身、はっとさせられました。」

高瀬
「渡辺さんは、『障害者の存在を否定する人は、“障害のある人が大切なものを与えてくれていても気づく力がない”と自ら告白しているようなものだ』とも書いています。
その気づく力が自分にはあるかどうか不安にはなりますが、少なくとも自分は、誰にも頼れない、頼ってはいけないような社会は嫌だと思いました。」

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