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2019年1月12日(土)

映画化で再注目 ユージン・スミスと水俣

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新井
「来月(2月)、アメリカの映画制作会社が、1970代の熊本県を舞台にした作品の撮影を始めます。
主人公は、アメリカ人のフォトジャーナリスト、ユージン・スミス。
演じるのは、ハリウッド俳優のジョニー・デップさんです。」

小郷
「今回、映画で描かれるのは、遺作となった写真集『MINAMATA(ミナマタ)』です。
水俣病に苦しむ患者に密着し、被害の実態を世界に伝える役割を果たした彼の仕事に、再び光が当てられようとしています。」

ユージン・スミスと水俣 “世界に再び伝える”

報告:西村雄介(NHK熊本)

やせ細り、変形した患者の指。
遺影を掲げ、怒りと悲しみをあらわにする遺族たち。
水俣病の悲劇を記録し、世界に発信した、ユージン・スミスの写真です。

ユージンは、1971年から水俣での撮影を開始。
映画で描かれるのは、この時期の彼の活動です。
当時のユージンと、仕事をともにしてきた人がいます。
元妻のアイリーン・美緒子(みおこ)・スミスさんです。
カメラマンとして、現地で取材しました。

2人は日本で深刻な公害が起きたことを知り、水俣に渡る決断をします。

アイリーン・美緒子・スミスさん
「(水俣のことを)聞いたとき、絶対行きたい、写真でとらえるんだと。
彼らに起こった不公平なことを、世の中に伝えていかなくてはと。」

2人が知った水俣病の存在。
多くの人が病に倒れ、亡くなっていった事実に衝撃を受けました。
原因はチッソの工場廃水に含まれる水銀で、ふだん食べている魚介類が汚染されていたのです。

2人が水俣に行くことを決めたのは、水俣病の公式確認から14年後、ようやく企業の責任が追及され始めていた時期でした。
ただ、患者の悲惨な状況は、世界にほとんど理解されていなかったといいます。

アイリーン・美緒子・スミスさん
「水俣に行くと決まったので、水銀のことも勉強しなくてはと思って、(アメリカで開催の)水銀の学術会議に行った。
そこで言われたのは、“ジャーナリストなのに、なぜ水俣にいくんだ?”“水俣の事件はもう終わっている”と。
えっ、という感じで、そのはずはないと思って。」

患者やその家族が多く暮らす地域に移り住んだユージンは、彼らと一緒に食事をしたり、酒を酌み交わしたりして、つきあいを深めていきました。
被害者の日常生活に溶け込むことで、直面している苦しみの実態を写し出そうとしたのです。

ユージンが取材した患者の1人、当時18歳の田中実子(たなか・じつこ)さんです。
歩くことも話すこともできない実子さんを、ユージンは何度も訪ね、1,000枚以上の写真を撮りました。

それでも、水俣病に将来の可能性を奪われてしまった実子さんの苦悩を、自分の写真では表現しきれないと、もがき、涙を流すこともありました。
そのもどかしさを語るユージンの肉声を、アイリーンさんが記録していました。

ユージン・スミスさん
“実子ちゃん、実子ちゃん。
愛らしくて美しい人の有意義な人生が、産業発展の廃棄物によって奪われる。
私はこれまで多くの写真を撮ってきたが、この世に生きる人間で、実子ちゃんほど私の心をかき乱した人はいない。”

1975年、3年に渡る取材をまとめ、写真集「MINAMATA」をアメリカで発刊。
世界に水俣病の実態を広く伝えることになったのです。

ユージンはその3年後、病気でこの世を去りました。
さらに、それから40年。
存命の患者は、およそ340人です。
当時10代だった実子さんは、65歳になりました。
突然倒れてしまうため、ヘッドギアをしています。
介護を受けながら、家族と生活しています。

田中実子さんの姉
「(ユージンは)実子ちゃん、実子ちゃんと言葉をかけて。
(ユージンのことを)覚えてないでしょうね。」

アイリーン・美緒子・スミスさん
「水俣病は、日常的にずっと続いている。
毎日の日常、そこをとりまく大変さを見ていくと、本当に許せないことが起こったと感じる。」

アイリーンさんは、トークイベントや写真展を開催し、水俣病を語り続けています。
今回、制作される映画によって、世界が再び水俣に注目することを期待しています。

アイリーン・美緒子・スミスさん
「ユージンとアイリーンが水俣に行ったとき、そのときの患者さんの姿、闘いを描くもの。
あのときの水俣を描く。
映画が出るとき、今の水俣とか、世界の公害の状況を見つめてほしい。」

小郷
「ユージンさんの写真の数々、今でもすごくメッセージ性が強くて、訴えかけてくるものがありますよね。」

新井
「写真が発表されてから40年以上がたつわけですが、被害者の皆さんの苦しみが今も続いていることを、熊本県外の人にもさまざまな機会を通じて広く知ってもらいたいと思います。」

小郷
「この映画がきっかけとなって、若い世代など、水俣病を知らない人にも伝わるといいですね。」

新井
「監督など映画の関係者は、患者やアイリーンさんに、当時の状況などについて取材を進めているそうです。」

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