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2018年12月11日(火)

平成30年の歩み 夫婦でともに

先月(11月)、全国各地から結婚30年目を迎えた3組の夫婦が愛媛県宇和島市に招かれました。
特産品の真珠にちなんで、結婚30年・「パール婚」を祝う催しです。
経済や社会の変化、そして震災。
平成を共に歩んできた、それぞれの夫婦の30年です。

経済の激変を支えあって

愛媛県の地方銀行に勤める久米良樹さん。
平成に入ってから激変する日本経済に翻弄されてきました。

久米良樹さん
「仕事の内容もずいぶん変わりました。
社会も環境も変わりました。
大変な時代を生き抜いてきたという気持ちはあります。」


新婚当初はバブル絶頂期。
好調な経済を支える仕事にやりがいを感じる良樹さんを、妻の初江さんが支えてきました。

久米初江さん
「24時間フル活動していて、疲れ切って寝ている毎日。
仕事柄しかたがないですよね。」


ところがバブル崩壊で状況は一変。
日本経済は“失われた20年”と呼ばれる、低迷の時代に陥ります。
30代になった良樹さん、融資担当の係長ポストに就きました。
経済の低迷に苦しむ企業をどうやって救うのか。
仕事の中身はバブルの頃とは大きく様変わりしました。
銀行に勤め始めてから、最もつらかった時期だという良樹さん。
当時は単身赴任で1人暮らし。
毎週末、訪れてくれる初江さんと過ごす時間が唯一の救いだったと言います。

久米良樹さん
「自分の能力では、無理なんじゃないかと思っていた時期があった。
それに対して妻は、『もっと頑張れ』という対応ではなかった。
『辞めてもいいよ』ということばをかけてくれたとき、肩の荷が下りたような気がしました。」

「パール婚式」の当日。
良樹さんは初江さんへの感謝をつづった手紙を携え、会場を訪れました。

久米良樹さん
「『感謝』などという言葉ではとても言い足りない。
もしその時『仕事を辞められたら困る』と言われていたら、精神的に追い込まれて、持たなかったと思います。」

久米初江さん
「まさか、こんなにたくさんの人の前で、ラブレターを読んでもらえることになろうとは夢にも思いませんでした。
お客様を大切にして、寄り添うための努力を惜しまない姿勢は、すばらしい手本だと思います。
あなたと結婚してほんとうに良かった、ありがとう。」

2人で乗り越えた大災害

東日本大震災で被災した、阿部剛さん、敏子さん。
予想だにしなかった大災害を2人で乗り越えてきました。
平成と共に始まった阿部さん夫婦の暮らし。


2人の子どもに恵まれ、週末は家族4人で東北各地を巡るのが何よりの楽しみでした。

幸せな日常を突然襲ったのが東日本大震災でした。
阿部さん夫婦と2人の子どもは無事でしたが、自宅は半壊。
敏子さんの母親、やち子さんは津波に流されて亡くなりました。
その7か月後、敏子さんはくも膜下出血で倒れます。
母親を亡くした悲しみと、生活再建への過労が重なった末のことでした。
意識が戻ったのは2か月後、一命は取りとめたものの左半身が麻痺して動かなくなっていました。

阿部剛さん
「あのときはどんな格好でもいいから生きててほしいと思いました。
一生つきあってやろうという覚悟はその時ありました。」


仕事と家事をこなしながら、病室の敏子さんを訪れる毎日。
休む間もなく、剛さんは体重が12キロも減るほどでした。
それでも病室では、決して、笑顔を絶やすことはありませんでした。

阿部敏子さん
「主人がつらそうな顔を見せず、いつも笑ってくれていた顔に、笑顔に支えられました。
リハビリが始まってからは、主人が喜ぶ顔を見たくて、リハビリを頑張った。」


ようやく杖をついて歩けるまでに回復した敏子さん。
結婚30年、「パール婚」を祝うため、2人で宇和島を訪れることを決めました。


敏子さんは、剛さんの手を借りて舞台に上がります。

阿部敏子さん
「病気と闘いリハビリに耐えられたのは、あなたの笑顔のおかげです。
あなたは私に、生きるための強い心を教えてくれました。
あなたが好きなお城見学へもお供させて下さい。
一段でも上に登れるように、体力をつけておきます。
あなたの姿を見失わないよう、リハビリも頑張ります。
きっとあなたは私を置いては行かないでしょう。
戻って手を取ってくれますか?。」

平成の日々を生き抜いてきた2人。
これからも支え合い、新たな時代へと向かいます。

2人にしかわからない深い経験

高瀬
「みなさん、しみじみと深い、良い表情をされていましたね。」

和久田
「本当ですね。
お2組みがとりわけ特別というわけではなくて、この平成の間に、2人にしかわからない困難、それからそれを乗り越えた経験を全国のご夫婦やカップルが持っていると考えると、あたたかい気持ちになりますね。」

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