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2017年12月3日(日)

残留孤児 孤立する老後

“私は、この大地の子です。”

1995年のドラマ『大地の子』。
戦後、中国に取り残された日本人残留孤児が、差別や貧しさと闘いながら生き抜いた、過酷な半生を描きました。

“やっぱり日本へ帰りたい!”

1930年代から、開拓団として、旧満州に移り住んだ日本人たち。
終戦直前の旧ソ連参戦の混乱で、多くの子どもが親と生き別れ、孤児として、中国で生き続けざるを得ませんでした。



孤児たちは、戦後30年以上たって始まった国の帰国事業で、ようやく祖国へ戻ります。
2,556人の孤児が日本に帰国しました。
しかし、帰国から40年あまりたった今、高齢化した孤児たちに厳しい現実が突きつけられています。

ディレクター
「あっ、大丈夫?
お母さん、大丈夫?」



必要な介護を受けられていない人が少なくないのです。
残留孤児が直面する、老後の課題を追いました。

二宮
「厚生労働省が7月に発表した調査結果によりますと、残留孤児を含む、帰国した中国残留邦人の平均年齢は76歳。
70歳以上の高齢者は93%を超え、介護が必要な年代に達しています。

しかし同じ調査で、介護保険の制度について知っているか聞いたところ、36%が『知らない』と回答しました。
つまり、本来受けられるはずの介護サービスを受けられていない可能性があるということなんです。」

小郷
「取材を進めると、その背景には『孤立』があることが分かってきました。」

残留孤児 孤立する老後 “介護保険 知らない”

名古屋市に住む残留孤児、松田秀子さん、78歳です。
中国で結婚した夫とともに帰国し、2人で暮らしています。
6歳のときに親と生き別れ、40年以上、中国で暮らしていました。
日本語はほとんど話せません。

松田秀子さん
「お皿に移しましょうか?」

秀子さんの夫
「もういらない。」

松田秀子さん
「全部食べなきゃダメよ。」

松田さんは、国が1981年に始めた残留孤児の訪日調査をきっかけに、帰国を果たしました。
当時の松田さんの映像が残されていました。

松田秀子さん(当時47歳)
「親族が見つかるか分からないけど、祖国に帰ることができてうれしい。」

しかし、祖国で待ち受けていたのは、厳しい現実でした。
直面したのが、「言葉の壁」です。
長年、中国語で生活してきた孤児たち。

「みな元気です。」

日本語を教える教室が各地で開かれましたが、再び話せるようになった人はほとんどいませんでした。
松田さんも教室に通いましたが、50歳近くになってから言葉を覚えるのは困難でした。
夫は認知症で、目を離すことができません。
周囲に助けを求めることもできず、孤立を深めています。

松田秀子さん
「周りは私を『中国人』だと思っている。
でも、私は『日本人』。
あいさつ以上の会話は成り立たない。」

こうした孤立が妨げになって、介護の手が届きにくくなっている実態があります。

滝本家義さん、73歳です。
狭心症や糖尿病を患い、目があまり見えません。
去年(2016年)から、ほとんど寝たきりの生活を送っています。



中国人の妻も、脳梗塞の後遺症で足に麻痺が残り、歩くこともやっとの状態です。
取材中、トイレに行った滝本さんの妻。



ディレクター
「あ、大丈夫?
お母さん、大丈夫?」

家義さんの妻 宋玉芳さん
「これは(足の)しびれ。」

ディレクターが手伝い、やっとのことで立ち上がることができました。
1日数回、転倒することもあります。
夫婦には3人の子どもがいますが、生活が苦しく、頼ることができません。
2人は日本語が不自由なため、誰にも相談できず、孤立していました。
我慢するしかなかったといいます。

家義さんの妻 宋玉芳さん
「自分で頑張るしかないと思っていた。
(夫は)足がとても腫れて、目も腫れている。
病院に行けず、我慢していた。」

こうした滝本さんの窮状に気がついたのが、中国出身のケアマネージャー、木村武英(きむら・ウーイン)さんです。

ケアマネージャー 木村武英さん
「水分をとることはとても大事。
私の言うことをちゃんと聞いてね。」

木村さんは、言葉の壁で周囲に助けを求められない残留孤児と介護施設をつなぐ橋渡しをしています。

ケアマネージャー 木村武英さん
「(残留孤児は)自分の気持ちを正しく伝えるのが難しい。
顔色を確認しながら、必要あるときは、こちらに電話して。」




滝本さんが通う病院から「孤立している」と聞いた木村さん。
家を訪れ、その危機的な状況に驚きました。

毎日転倒を繰り返す2人の身体には、今も傷が絶えません。

ケアマネージャー 木村武英さん
「(このままだと)2人一緒に寝たきりになる。
危険な状態。
転倒の可能性が大きかった。」

夫婦が助けを求められなかった理由の1つは、孤立していたため、介護サービスを受けられる制度があるのを知らなかったからです。

家義さんの妻 宋玉芳さん
「どういう(介護)制度があるのかも分からない。
言葉が分からないから(介護サービスを)利用しようとも思わなかった。」



木村さんは、貧しさや孤独を耐え抜いてきた我慢強さも、支援を遠ざける理由になっていると考えています。

ケアマネージャー 木村武英さん
「こんなに頑張っているのに、それでも介護は使わないと言い張った。
不自由になったら、公的支援をもらうのが普通。
本人たちの“我慢力”にびっくりした。」

木村さんの説得で、ようやく介護認定を受けることになった滝本さん夫婦。

転倒の原因になりやすい床に寝る生活を辞め、介護保険を使ってベッドをレンタルしました。




一度腰を下ろすと立ち上がれなくなり、転倒を繰り返していたトイレ。
便座をかさ上げし、手すりをつけることで転倒する回数は減ったといいます。

家義さんの妻 宋玉芳さん
「木村さんのおかげで、すごく楽になった。」

木村さんは、残留孤児たちの声に耳を傾け、社会が歩み寄っていく体制作りが必要だと考えています。

ケアマネージャー 木村武英さん
「(残留孤児たちに)せめて、あと5年、10年、20年、“普通の日本人”みたいな、普通の生活を送ってもらいたい。」


小郷
「言葉の壁もあって、ひきこもりがちになってしまって、せっかく制度があっても、それを利用できていないというのが現状なんですね。」

二宮
「残留孤児を含む中国残留邦人に対して、国は、さまざまな支援制度を設けてはいます。
介護保険については、給付には条件はありますが、対象となるサービスを受けるのに必要な費用を支援するほか、自治体の窓口などで、そうした情報を中国語で提供したり、相談も行っています。
また、来年(2018年)の3月までに、中国語を話せるボランティアを、介護施設や自宅に派遣する取り組みを始めることにしています。
ただ、これは要介護認定を受けた人が対象です。」

小郷
「そうしますと、VTRに出てきた滝本さんがそうだったように、要介護認定を受けていない人は、こうした支援制度があるということを知らないと、なかなか利用につながらないですよね。」

二宮
「高齢化すると、余計閉じこもりがちになるとも言われますし、行政や周囲が残留孤児の状況について、積極的に情報を集める仕組み作りも必要だと感じました。」

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