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2017年8月16日(水)

廊下の後ろに立っていた「戦争」

三條
「今週は、戦争の歴史や平和へのメッセージをお伝えしています。」

和久田
「今日(16日)は、日本を代表する映画監督の1人、大林宣彦さんへのインタビューです。」 

今年(2017年)6月。
大林監督は、7か月ぶりに公の場に姿を見せ、衝撃的な告白を行いました。

大林宣彦監督
「私ごとながら、去年の8月に肺がん第4ステージ、余命3ヶ月という宣告を受けまして、本当は、いま、ここにいないのですが、まだ生きております。」

自らの病を明かした後、平和への願いを語る姿に、多くの人が心を打たれました。

和久田
「大林さんは、今年79歳。
闘病を続けながら、自らの集大成と位置づける映画を製作、12月に公開予定です。
その作品の大きなテーマも戦争です。
戦後72年、私たちにどんなメッセージを伝えようとしているのか、大林さんを訪ねました。」

戦後72年 若い人たちへ 大林宣彦監督×和久田麻由子

私たちを笑顔で迎えてくれた大林さん。
闘病が続いているといいますが、若い世代に思いを伝えたいと、熱く語り始めてくれました。

大林宣彦監督
「本当に好きなんだ、若い人は。
未来だから。
僕の未来でもあるんだから。
若者はちゃんとこたえてくれる。」

ふるさとの広島県尾道市で撮影した「転校生」や「時をかける少女」「さびしんぼう」の、いわゆる「尾道3部作」などで知られる大林さん。
昭和52年に、テレビコマーシャルから商業映画に進出。
若者たちの情感をみずみずしく描いた作品で人気を集めてきました。
一方で、ここ数年は、戦争を色濃く反映した作品を続けて制作しています。
終戦の年の8月、新潟県長岡市で多くの犠牲を生んだ空襲。
その慰霊の花火をめぐり物語が展開した「この空の花」。
3年前には、かつての樺太で戦闘を体験した人物の苦しみを描きました。

大林宣彦監督 いま“戦争”を映し出す思い

なぜ、戦争を映し出すようになったのか。
大林さんは、あるものを取り出し、教えてくれました。

大林宣彦監督
「あなたがいらっしゃるから用意していた。
こういう絵を僕は描いていた。」

幼い頃に書いていたという絵です。
今の思いに至る原点だといいます。
大林さんは昭和13年生まれ。
3歳の時、太平洋戦争が始まりました。
国策のもと、日本中が戦争に突き進んでいく中で、大林さんは少年時代を送ります。
今回、見せてくれた絵は、当時、熱心に描いていたというものでした。
日本の飛行機が攻撃しているのは、敵国・アメリカとイギリスの指導者。
2人が悲鳴を上げて助けを求めている様子が描がれています。

大林宣彦監督
「たぶん僕が5歳か、子どもの絵ですよね。
戦争に賛成も反対もない。
あるのは日常。
しかも、あしたは死ぬのが当たり前だった時代。
だから死ぬことも、こわくない。
いま思い返すと、戦争中の家のどこにでも廊下があって。
特に日本は古い大家族式の家。
廊下の後ろに不思議な気配が立っている。
その気配は何だったんだろうと思うと、それが戦争だった。
戦争とは、そういうもの。
いつのまにか、そこに立っている。」

肌で感じてきた戦争。
その感覚が忘れられることへの危機感が、大林さんの映画作りの根底にあるといいます。

大林宣彦監督
「戦争に負ければ潔く死のうと思っていたが、日本の大人たちがひょう変した。
誰も死なない、誰も反省しない、戦争のことなんか忘れて。
僕も間違いだらけの生き方をしてきた。
だから自分の間違いを反省して、よりいい方向にしようって思っている。
(若い人たちには)すばらしい未来を作ってと伝えられたら。」

大林宣彦監督 “集大成の作品”に込めた思い

そして今。
大林さんは、映画人生の集大成という作品の公開を12月に控えています。
映画「花筐/HANAGATAMI」(はながたみ)
今回、特別に一部を公開してくれました。

主な舞台は、太平洋戦争開戦前夜の日本。
自分らしく生きたいと、青春を謳歌する若者たち。
そこに戦争の暗い影が迫ってきます。
若者たちはその理不尽さに、もだえ苦しみます。

“お母さん、日本国はまた戦争を始めました。”(映画「花筐/HANAGATAMI」より)

“自分たちは、お国のために、また死にます。”(映画「花筐/HANAGATAMI」より)

“青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ。”(映画「花筐/HANAGATAMI」より)




 

原作は作家、檀一雄さんの短編小説です。
大林さんが若い頃に惚れ込み、40年前にシナリオも書き上げましたが、映画化は実現しませんでした。

和久田
「40年前でなく、いま私たちに訴えかけるもの、いま発表した理由を教えて頂けますか。」

大林宣彦監督
「戦争がそこにいるから。
40年前は高度経済成長で、みんなもうかったとかなんとか言っているから、誰も耳を貸してくれなかった。
もう戦争を知らない世代しかいなくなった。
理屈をつければ、戦争も必要。
そういう時代になってしまった。
『大林よ、いまこの映画を作って若い人たちに伝えよ』ということが天命。」

戦争と隣り合わせの感覚を感じてもらうため、大林さんは何度も言葉を選び直したといいます。

大林宣彦監督
「はじめの台本は、まだ40年前の台本に近かった。
それが撮影している間にこうやって付箋を入れて。
『青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ』も、撮影中に現場で出来てきた言葉。
『お母さん、この国はまた戦争を始めました。僕たちは、また死にます』。
これも、また死ぬというのはこわい。
つまり、人間というのは戦争の消耗品だから、何度も何度も殺されている。
実感がある人間は実感を伝えなくてはいけない。」

大林宣彦監督
「みなさん、おはよう。
未来の映画界の新鋭諸君よ。」


 

がんと診断されてから、今月(8月)で1年。
大林さんは、精力的に活動を続けています。

大林宣彦監督
「すべて肉眼で見ることが大事ね。
モニターはうそをつくから。」

映画の世界に飛び込みたいという若者たちへの指導。

新潟県長岡市へも足を運びました。
5年前、空襲の犠牲者を慰霊する花火を映画にした場所です。

大林宣彦監督
「空から落ちてきて爆発するのが爆弾。
下から打ち上げて祈るのが花火。
世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げれば、世界は平和になるのにと。
そういう思いで、いつも花火を見上げている。」

インタビューの最後、私たちに語ってくれたのは、映画を作り続ける大林さんの「揺るぎのない信念」でした。

大林宣彦監督
「映画という虚構は、ひとごとであることを、わがこと、自分ごととして味わうことが出来る。
忘れられた歴史、人々が気がつかない歴史、しかし確かにあった歴史、その歴史を実感し、我がこととして受け止めることで、もう二度と戦争なんか嫌だということになってくる。
死ねない。
そういうことをちゃんと伝えておかないと。」
 

和久田
「お話をうかがっていて、終止、優しく、おだやかに、さとすように語りかけてくださるその表情が印象的だったんですが、大林さんがずっと持ち続けてきた思いを若い人にきちんとそしゃくして受けとめてほしいという、そんな気持ちが伝わってきました。」

三條
「インタビューにうかがうところで、わざわざ昔の絵を用意してくださったりと、なんとか思いを託したいんだという気持ちが伝わってきましたし、われわれ若い世代、戦争を知らない世代としては、その思い、監督は『戦争の実感』ということをおっしゃっていましたけど、その実感を感じ取る、感じ取ろうとする責任があるなと感じました。」
 

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