これまでの放送

2017年5月31日(水)

消えた天気予報 その時何が…

高瀬
「今日(31日)は『天気予報』について考えます。」

和久田
「天気といえば、気象予報士の酒井さん!」


酒井気象予報士
「明日6月1日が何の日か、皆さんご存じでしょうか?
こちら、『気象記念日』なんです。
明治8年のこの日、今の気象庁にあたる『東京気象台』が設立され、東京で気象と地震の観測が始まったんです。
それから142年。
今では当たり前となっている天気予報、これから雨の本格的なシーズンとあって、気になる方も多いと思います。
しかしこの天気予報、かつては国民の前から姿を消したこともありました。」

相次ぐ台風・大雨 重要性増す天気予報

リポート:加藤大和記者(社会部)

私たちの生活に欠かせない天気予報。
台風や大雨が相次ぐ中、重要性が増しています。

「(天気予報)見てます。
出かけるときは気にして見ています。」

「アプリで見てますね。
これでいつも確認しています、便利ですよ。」

その内容や精度も進化しています。
気象衛星による詳細な観測。
地球全体の写真が、2分半に1度、送られてきます。

台風の目やそれを取り巻く積乱雲の姿までも、くっきりととらえます。
こうしたデータをもとに、気象庁は台風の進路を予報。

今年(2017年)7月からは、洪水や浸水の危険性を地域ごとに細かく示し、迅速な避難につなげるための情報も新たに発表されます。

太平洋戦争 消えた天気予報

命を守る天気予報。
しかし、かつて姿を消したことがありました。
そのことを示す資料がNHKに残されています。

今から76年前、昭和16年12月8日のラジオの番組表です。
午前6時台を見ると、放送される予定だった天気予報の欄に二重線が引かれ、消されていました。
この日始まった太平洋戦争。
真珠湾攻撃の直後、軍が当時の中央気象台長にあてた文書です。

“直ちに全国気象報道管制を実施すべし。”

天気予報などの気象情報は軍事作戦に深く関わるとして、軍が国民から隠すよう命令したのです。

当時、気象台の職員だった増田善信(ますだ・よしのぶ)さんです。
16歳だった増田さん。
京都の日本海側にあった測候所で天気予報の作成などにあたっていました。
測候所には、全国の気象観測データが、毎日、数字で送られてきていました。
昔も今も変わらない世界共通のルール。
これをもとに天気図を作成し、天気予報を発表していました。
ところが、開戦を境に、観測データはすべて暗号化されました。

気象台 元職員 増田善信さん
「まず送られてくるのがこれ(青・上段)だと、それに乱数(赤)を足すと。
そうすると、はじめて元の電報が表れてくる。」

天気予報は作り続けましたが、住民に伝えることは禁止されました。
冬場に天気が変わりやすい日本海。
天気予報が命綱となる地元の漁師から詰め寄られることもありました。

気象台 元職員 増田善信さん
「極めて厳しい気象現象が起こる可能性があると思われる時に、教えられないって言うのは本当に心苦しい感じでしたね。」

消えた天気予報 伝えられなかった台風

天気予報が隠されたことで、多くの命が失われる事態も起きました。

山口県宇部市に住む大亀恆芳(おおがめ・つねよし)さんです。
8歳の時、天気予報を知らされないまま、突然、強い雨や風に襲われたといいます。

大亀恆芳さん
「雨が相当降っていましたね。
どんどん風が強いうえに、雨が土砂降り。」

開戦の翌年、昭和17年8月の「周防灘台風」です。
九州の西の海上を北上し、日本海へ。
満潮の時刻と重なり、山口県沿岸の「周防灘」などで高潮が発生しました。
軍は当初、気象台に台風の進路や警報をラジオなどで伝達することを禁止しました。
大亀さんが家族で避難を始めたのは、台風が最も接近していた夜8時頃。
突然、堤防が決壊したという知らせを聞いたからです。
避難の途中に通りかかった田んぼで、高潮が流れ込んでくるのを目にします。

大亀恆芳さん
「稲の上、10センチか20センチぐらいをドババーッと。
恐ろしかったですよ。」

急いで高台へ上がり、家族全員、ぎりぎりで難を逃れました。
その時、暗闇から助けを呼ぶ声を聞いたと言います。

大亀恆芳さん
「『助けてぇ!』って、こういう声です。
もう死ぬかもしれない、次の瞬間は。
その時の人間の声ですから、すごいですよ。
こんなことになるとは全然、夢にも思わない。
天と地がひっくり返ったような状況ですから、あすの朝まで命が助かるかなと。」

夜が明けると、信じられない光景が広がっていました。
高潮や暴風などで多くの家屋が倒壊。
犠牲者は、山口県を中心に1,100人以上にのぼりました。
あの時、天気予報がきちんと伝えられていれば、多くの命が助かったと考えている大亀さん。
今、その大切さを改めて感じています。

大亀恆芳さん
「当時のことを思ったら、恐ろしいですよ。
情報がまったくなかったんですから。
今、その情報(天気予報)がバサッとストップしたら、それは大変なこと。
日本は平和な状況が続いていますから、この平和な状態がずっと続いてもらうように願っています。」

なぜ天気予報が“軍事機密”に?

高瀬
「取材にあたった加藤記者とお伝えします。
戦時中、天気予報は軍事情報として隠されてきたということですが、なぜここまでしなければならなかったのでしょうか?」

加藤大和記者(社会部)
「天気予報や気象データが、軍事作戦と密接に関わっているからなんです。
例えば空気が乾燥し、強い風が吹く時に焼い弾を落とせば火が燃え広がりやすくなりますし、上陸作戦には波の高さが大きく影響します。
なので絶対に敵に漏れてはいけない情報で、そのために国民からも隠したんです。
今回、取材で何人もの気象庁の元職員の方にお話を伺いましたが、暗号化されていた観測データは終戦直後に元に戻され、1週間後からはラジオの天気予報が徐々に再開しています。
皆さん、ラジオからそれが流れるのを聞いて、『戦争が終わったんだ』と実感したと話していました。」

和久田
「ただ、今も世界各地で紛争や武力衝突は起きていますよね。
世界でも天気予報への影響はあるのでしょうか?」

加藤記者
「残念ながら、ないとは言い切れないんです。
こちらは各国の気象観測データを集めたインターネットのサイトです。

内戦が続く中東・シリアのページを見ますと、赤枠のように空白になっていて、観測データが入ってきていないことを示しています。
内戦が始まる前と比べるとデータの数が半分以下に減っていて、戦闘で機器が破壊されるなどして観測ができなくなっているとみられています。
中東と聞くと離れた地域の問題のように感じるかもしれませんが、専門家は、こうしたデータの欠測が続けば、いずれは日本の天気予報にも影響を及ぼしかねないと指摘しています。」

青山学院大学 非常勤講師 饒村曜さん
「大気に国境はありませんので、世界どこでもつながっています。
従って、気象観測というのは昔から協力して観測しないと話にならない。
天気予報・防災は各国協調してあたらなくては駄目な仕事の最たるもの。
私は“平和の象徴”、これは平和の象徴として各国共同で取り組むと。」

加藤記者
「戦争のない平和な世界だからこそ、天気予報が毎日私たちのもとへ届けられるのだということを、明日の気象記念日を前に改めて考える必要があると強く感じました。」

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