2019年8月2日(金)

京アニ 放火事件 娘を待ち続けた父親は…

桑子
「きょう(2日)、警察が名前を公表したひとり、津田幸恵さん。
事件から9日たった先週土曜日、通夜が営まれました。
父親の津田伸一さんです。
懸命に仕事に打ち込んでいた娘のことを知ってほしいと、事件直後から、私たちに胸の内を語って下さっていました。」

有馬
「娘との対面を待ち望んだ父、その2週間を記録しました。」

京アニ 放火事件 待ち続けた父親は…

私たちが伸一さんに出会ったのは、事件の翌日。
不安な思いを語っていました。

津田伸一さん
「連絡がつかんですよ。
携帯かけてもダメ」

京都アニメーションで、20年にわたって働いてきた長女・幸恵さん。
人気アニメ「Free!」などで、「仕上げ」と呼ばれる仕事に携わってきました。
幸恵さんは、先月(7月)公開された映画のメッセージボードに、作品に込めた思いをつづっていました。

“それぞれの場所、それぞれのペースで、まっすぐ夢へと向かう、彼らの姿。
ぜひ劇場でお楽しみ下さい!”

去年(2018年)妻を亡くし、兵庫県の自宅でひとりで暮らす伸一さん。
事件の2日後、幸恵さんのことを語ってくれました。
幼いころからぜんそくのため外で遊ぶことが少なかった幸恵さん。
楽しみはアニメのキャラクターを描くことでした。

津田伸一さん
「苦しんでいる日にちが長かったですね。
家で見る幸恵は、ひとりで何か書いている。
アニメのキャラクターの絵ですね。
よく描いてました。」

高校卒業後に、アニメーションの専門学校に進学。
「京都アニメーション」に就職すると、性格も前向きになり、交友関係も広がっていったといいます。

津田伸一さん
「本人は明るくなりましたからね。
あそこに就職して、変わりましたからね。
良かったです。」

伸一さんに取材を受ける理由を尋ねると、充実した日々を送っていた娘のこと、そして、そんな場を与えてくれた京都アニメーションのことを知ってほしいと話しました。

津田伸一さん
「幸恵がこんな子やったいう。
そんな子が好きで入って楽しく働けて、ここまで会社の成長とともに、会社の成長の、ちょっとでも力になっていた。
こんなええ会社やいうことが、ちょっとアピールできたらいいと思います。」

事件から6日たっても、幸恵さんの安否はわかりませんでした。
伸一さんは、食事も睡眠も十分にとれないまま、幸恵さんの帰りを待ち続けていました。

津田伸一さん
「もう1週間か。
なんか、ばたばたしてわからへんです。
あっという間やね。
あっという間というよりも、意識できん間にこんなにたったんや。
時間が止まったみたいや。
ひょこんと出てきてくれたらうれしいけど。
ほんまにひたすら待つだけで、とにかく戻ってくれんと何も始まらない。」

その2日後。

津田伸一さん
「あっ、警察。」

京都府警からの連絡でした。

津田伸一さん
「準備して、3時でいいです。」

津田伸一さん
「『顔を見られますか』って聞かれた。
『以前の元気なときの面影は見れませんよ』と言われましたね。」
 

事件から8日。
ようやく、幸恵さんと対面することができました。
警察から受け取った、幸恵さんの遺品です。
いつも持ち歩いていたショルダーバッグ。
肩ひもは、ほとんど焼け落ちていました。

津田伸一さん
「事件発生が10時30分。
幸恵の死亡時刻が、推定10時40分。
それが検案書に書かれてました。
死亡原因は焼死。
一酸化炭素中毒ですから、意識がすぐに飛んでしまう。
そんな状態らしかったですね。
だからそれが、せめてもの救いですわ。
それ自体も苦しいんやろうけどね。
かわいそうに。」

今週日曜日に営まれた、幸恵さんの葬儀。
親族だけでなく、京都アニメーションの同僚や友人が全国から駆けつけました。
喪主として、気丈に振る舞い続けた伸一さん。
取材の最後に、今の胸の内を語ってくれました。

津田伸一さん
「おらへんようなった空白感、寂しさ。
それだけはやっぱりありますけどね。
いま幸恵のことを思うと、どうしても苦しいですね。
そやから、あんまり考えたくないんですね。
考えるとやっぱり、もたんですわ。」

残された人たちの思い

桑子
「今回の事件で、犠牲になった人は35人に上ります。」

有馬
「伸一さんのように、胸中を吐露して下さった遺族。
実名を伝えることを望まない遺族。
それぞれの思いに、どう寄り添いながら事件のことを伝えていくのか、考えていきたいと思います。」

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