東日本大震災から6年半 奥村奈津美
ニュースリーダーの奥村です。
2011年3月11日
私は、仙台でアナウンサーをしていました。
地震発生直後から緊急報道に携わり、
余震が続く中、ヘルメットをかぶりながら
仙台のスタジオから全国に伝えていました。
その後、被災地の取材で出会ったのが、
宮城県気仙沼市唐桑のカキ養殖業者の皆さんでした。
壊滅的な被害を受けても諦めず、
復興しようとする皆さんの姿に心打たれ、追ってきました。
2011年夏、広島のカキ養殖業者の支援を受け、養殖用イカダを作る様子。
(左)デジカメで撮影しているのが私です。
何もなくなった海に、次々とイカダが浮かんでいく様子に
養殖業者のみなさん「絶対復興する」と希望を持てたと、おっしゃっていました。
震災2年後からカキの出荷を再開し、
現在、唐桑での水揚げは、9割くらいまで回復したそうです。
実は、この唐桑に、いつしか、プライベートでも訪れるようになり、
今では、「第二のふるさと」のような存在になっています。
2015年春の唐桑の海
今年の夏、嬉しいニュースがありました。
唐桑の養殖業者さんの1人、Sさんが、家を再建されたのです。
今年の春訪れた時に、完成目前の家の前で撮影
津波で、家も漁具も、全て流されてしまいましたが、
仮設住宅で暮らしながら、漁業を再開し、
やっと「我が家」を構えることができたのです。
本当は、もっと早く完成する予定だったそうですが、
復旧工事の混乱もあり、なかなか思うように進まず、
こんなに時間がかかってしまったそうです。
Sさんは9人家族
90歳の祖父母、両親、息子夫婦に、3人の子ども。
狭い仮設住宅では、一緒にご飯食べることができず、
「6年半経って、やっと、家族みんなで食事できるようになった」と、おっしゃっていました。
ただ、その一方で、一家の大黒柱としては、
これから30年くらいかけて、漁業と家の再建にかかった費用を
返していかなきゃいけないそうです。
今年春の唐桑市内の様子
未だに仮設住宅に暮らしている方、
ふるさとに帰ることができない方も多くいらっしゃいます。
街の復興、産業の復興、そして、一人一人の復興には、
まだまだ時間がかかると思いますが、
これからも見つめ続けたいと思います。
投稿者:奥村奈津美 | 投稿時間:18:46