ページの本文へ

にいがたWEBリポート

  1. NHK新潟
  2. にいがたWEBリポート
  3. 証言から知る拉致問題 元佐渡市長

証言から知る拉致問題 元佐渡市長

  • 2022年11月06日

多くの拉致事件の発生から40年以上。さまざまな場面を見てきた人たちは、その場で何を感じ、今どう思うのか。曽我さんの帰国後の支援にあたった元佐渡市長を取材しました。
                                新潟放送局  油布彩那

まさかそんなことが起きていたとは

元佐渡市長の髙野宏一郎(たかの・こういちろう)さんです。

曽我さんのふるさと真野町(まのまち)の町長を務め、合併して佐渡市となったあとも、曽我さんや家族の支援などを行ってきました。

髙野さん
(曽我さんの帰国は)あまりにも衝撃的だったので、私ばかりじゃなくて国も県も町も混乱したというか。
まさかそんなことが自分の身辺に起きるとはという驚きしかなかった。

「ソガヒトミ」は「曽我ひとみ」

北朝鮮が初めて拉致を認めた2002年9月の日朝首脳会談。

このとき、北朝鮮が示した拉致被害者の情報のうち、政府が把握していなかったのが曽我ひとみさんでした。

髙野さんは、1978年にとなりの集落で親子が行方不明になっていたことは知っていましたが、北朝鮮に拉致されていたとは思ってもみませんでした。

髙野さん
(朝のニュースの)テロップでカタカナですが、『ソガヒトミ』という名前が流れてそれを見て、なんのことやらぴんとこなかったわけですよ。
「新潟県の曽我ひとみ」確かにそういう風な、ナレーションがあったと思うんだけども。
それがその『曽我ひとみ』なんだよっていう電話があったんです。

父・茂さんと県庁へ

髙野さんは急いで役場に行き、知事に連絡。

ひとみさんの父・茂さんと県庁に向かうことになり、多くの報道陣に囲まれる日々が始まりました。

髙野さん
「とにかく来てくれ」と、当時の平山知事に言われたから慌てて、お父さんに背広借りて着させて、ネクタイして。新潟に着いたらもう降りる前に報道各社が来ててすごかった。

 

大騒ぎだったけども、どうしたらいいかもわからないし、国とも連絡取れるわけないし。

24年ぶりにふるさと佐渡へ

 

その後、真野町で行方不明になっていた曽我さんであることが確認され、北朝鮮で元アメリカ軍の兵士と結婚し、2人の娘がいることもわかりました。

そして、24年ぶりにふるさとに戻り、父親との再会を果たしました。

母親がいない、夫と娘は北朝鮮に

当初の予定は、2週間ほどの一時帰国。

夫や娘は北朝鮮に残したままでした。

さらに、北朝鮮から「日本にいる」と聞かされていた母親は日本におらず、複雑な思いを抱えた曽我さんの姿も髙野さんは見てきました。

髙野さん
2週間だんだん経つよっていう時に、曽我さんに聞いたら、曽我さんはね「わからない、わからない」としか言わない。
お母さんが日本にいると思って帰ってきたから、
いないことのショックというのが、彼女にとって二重に重い問題だった。

佐渡での生活を支援へ

その後、政府の方針もあり、曽我さんはふるさとで暮らすことになりました。

真野町は帰国家族支援室を設置するなどして、ひとみさんの生活の支援はもちろん、帰国する家族の支援を検討する段階に入りました。

髙野さん(当時)
定住に向けたトレーニングというのが大事だと思っていますので、ゆっくり24年のギャップを埋められるような時間をかけたトレーニングをご自分の意思でやっていただけるということであれば、そういう提案をしたい。

再び、夫や娘と暮らせる日を待って

曽我さんは准看護師の資格を生かし、嘱託職員として働きながら、家族らと再会し、再び一緒に暮らせる日を待っていました。

家族と佐渡で暮らす

そして、2年後。

夫のジェンキンスさんと2人の娘と一緒に、ふるさとで暮らすことがかないました。

どうすれば安心して暮らせるか

髙野さんは、どうすれば曽我さんたちが安心して暮らすことができるかを第一に考えていたといいます。

髙野さん
北朝鮮で教育を受けて成人に近くなっている子どもたちが日本社会で生活できるようになるかは一番の問題だし。どうしたら安心して生活できるかという普通の事を考えてた。
どういう仕事ができるか、どういう風に受け入れることができるかということを一番先に考えていたんですよね、それに尽きるんだけど。

母・ミヨシさんの行方わからず

曽我さんの帰国から10月15日で20年。

しかし、母親のミヨシさんの行方はわからないまま44年がたち、ミヨシさんは12月で91歳になります。

髙野さん
(北朝鮮の)過酷な環境の中で、日本と違うわけですよ。その中で本当に取り戻すのに、時間のゆとりはない。具体的にどこまで進んでるかというのは本当教えてもらいたい。

当時の熱い思いを

自らも救出に向けた活動を行う中で、拉致問題を知らない人々が増えていることを実感し、以前のように『自分ごと』として救出活動に取り組める人が必要だと訴えます。

髙野さん
署名活動をしていても、年を経ることに関心をひかなくなって以前と全く違いますよね。

当時の熱い思いを取り返さなきゃいかんというね。不当に拘束され、拉致された人を取り戻さなきゃいかんと。(政治も)やっぱり世代が変わるたびに引き継がれていかなくなる。これが問題。

以前のことじゃなくてそういう事件が起きたことを自分のものとして訴えていくかということが大事なんで。

  • 油布彩那

    新潟放送局 記者

    油布彩那

    令和元年入局
    警察取材や拉致問題を担当

ページトップに戻る