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妙高市・スノーボード冨田せな 銅メダルの裏に恐怖との戦い

  • 2022年04月25日

ことし2月の北京オリンピック。スノーボード女子ハーフパイプで銅メダルを獲得した新潟県妙高市出身の冨田せな選手。この種目で日本女子初のメダルを獲得した冨田選手ですが、そこに至る道のりはかつてない恐怖との戦いでした。
「この会場で『かっこいい滑りをするぞ』っていう気持ちになれた。
恐怖を乗り越えて取れたメダル」
快挙の舞台裏を、冨田選手の言葉とともに振り返ります。

(新潟放送局 記者・本間祥生)

写真:ロイター/アフロ

スノーボードは"生活の一部"

妙高市出身の冨田選手がスノーボードを始めたのは3歳の時。
スノーボード好きの父親に連れられて近所のスキー場に通い始めました。

幼いころの冨田せな選手

雪は自然と、そこにあるものでした。

物心ついたときには滑っていたので、滑り初めの記憶はありません。冬は学校が終われば滑りに行って、生活の一部のような感覚でした。

空中に飛び出していく気持ち良さと、多種多様なスタイルに魅せられ、小学1年生から本格的にハーフパイプを始めました。

彼女の初めてのオリンピックは高校3年生のとき、18歳で出場した前回のピョンチャン大会。初出場ながらダイナミックな滑りで8位入賞を果たしました。

写真:ロイター/アフロ

"引退も考えた"3年前の大けが

順調にキャリアを積んでいた冨田選手に試練が訪れたのは2019年の12月。
北京オリンピックと同じ会場で行われたワールドカップの練習中に転倒し、頭を強く打ちました。大けがを負い、3か月間の絶対安静が必要だと診断されました。

自分が休んでいる間にほかの選手がうまくなったり、結果を出したりするのを見るのがつらかったです。正直、引退も考えました。

このとき冨田選手を支えたのは、両親からの言葉でした。

「引退するのは、もう一度大会に戻って、他の選手との差を自分で感じてからでいい」。

これをきっかけに気持ちを奮い立たせ、競技に復帰。急成長を遂げた2歳年下の妹、るき選手とともに北京オリンピックへの切符を手にしました。

"滑るのが怖い"かつてない恐怖

活躍を誓った大舞台でしたが、公式練習でコースに立った冨田選手に再び、試練が訪れます。

”滑るのが怖い”

会場は3年前に大けがを負ったあのコース。
当時の記憶がよみがえり、かつてない恐怖心に襲われました。

写真:ロイター/アフロ

けがをしたときの記憶はなかったので、これまではそれをいいことに滑ってたんです。だけどいざ北京の会場に入ると、思い出しちゃった訳じゃないけど、そこに恐怖心が残ってて。大会自体に出たくない、怖すぎて滑りたくないっていう気持ちになってしまいました。

恐怖を乗り越えた先に

棄権も考えたという冨田選手。
背中を押してくれたのはずっとそばで見てきてくれた日本チームのコーチやスタッフ、そしてSNSを通じて日本から届いた応援のメッセージでした。

恐怖心を正直に打ち明けたらコーチやスタッフから「少しずつでいいよ」と言ってもらえて、本当に力になりました。SNSでもたくさんのメッセージが来て、応援してくれている人がこんなにたくさんいるんだって、本当にうれしかったです。ここでやめるわけにはいかないと思ったし、この会場で「かっこいい滑りをするぞ」っていう気持ちになれました。

写真:ロイター/アフロ

覚悟を決めた冨田選手は1本目から持ち味の高いエアを次々に成功させて銅メダルを獲得。つらい記憶が残る場所を、みずからの滑りで最高の思い出の場所に変えた瞬間でした。

恐怖心を乗り越えて取れたメダル。本当に自信になりました。

写真:ロイター/アフロ
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