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「日曜美術館」ブログ|NHK日曜美術館

アートコラム

コラム ニューヨークのアーティストコミュニティ

2021年2月21日

2/21放送「クラスター2020 ~NY美術家 松山智一の戦い~」いかがでしたか? 日美ブログではニューヨークのアーティストコミュニティについてレポートします。こちらもあわせてどうぞ。

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ニューヨーク、ブルックリンのグリーンポイントにある松山智一さんのスタジオ。(番組の映像より)

アーティストが街をクールにする

松山智一さんのスタジオがあるのはニューヨーク、ブルックリンのグリーンポイントという街です。また、その前は同じブルックリンのブッシュウィックというエリアに住んでいて、今でこそお洒落な街区になったが当時は強盗に銃をつきつけられるような治安の悪い地域だった、と語る場面が番組で登場しました。

アートの最前線ニューヨークで作家たちはどんな地域に住み、時代のアートシーンを生み出してきたのでしょうか。

イメージが良くない地域にアーティストが住むようになることで「クール」だと印象が変わり、後に続くようにして飲食店やブティックが出店。さらに分譲マンションなどが建設され家賃相場が高騰する。安く住めなくなったり広いスペースを得られなくなったアーティストがまた別の街へと移る。そしてその地域がまた着目される。ニューヨークではこうしたサイクルが繰り返されてきました。

ローワー・マンハッタンの時代

1950年代にはローワー・マンハッタン(マンハッタンの南部)西側のグリニッジ・ヴィレッジにマーク・ロスコやバーネット・ニューマンら作家たちが集まり「ニューヨーク・スクール」と呼ばれました。

1960年代、SOHOは前衛芸術運動「フルクサス(Fluxus)」の作家たちの拠点でした。今では高級ブティックやセレクトショップが居並ぶショッピングストリートですが、アーティストたちが住み出した当時は荒廃していました。

SOHOの地価が上がり始め、アーティストたちが次に移ったのがその東にあるイースト・ヴィレッジやローワー・イーストサイドでした。60年代にはウィリアム・バロウズなどのビート・ジェネレーションとチャーリー・パーカーなど前衛JAZZの拠点であり、70年代にはアンディー・ウォーホルがイベントを重ねたクラブ「Electric Circus」があり、80年代にはキース・ヘリングやバスキア、マドンナ、ケニー・シャーフなどが「Club57」というクラブから刺激的な発信をしていました。

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ニューヨーカーなら誰もが知る有名な壁画スポット、バワリー壁画。2019年に松山さんが担当した。
Artist Tomokazu Matsuyama, Courtesy of Goldman Properties and Goldman Global Arts Houston Bowery Mural in New York City

番組では松山さんが2019年に手がけた壁画が紹介されていましたが、ローワー・イーストサイドから近いこの場所はもともとキース・ヘリングが1982年に壁画を描いたことで有名になったスポットです。2008年にこの壁面を買った不動産オーナー兼美術愛好家が、気鋭のアーティストの発表場所としたことで、ニューヨークのアート名所として再び脚光を浴びるようになりました。

壁画があるバワリーという地区は今日では現代美術館「ニュー・ミュージアム」や高級ブティックホテル「バワリー・ホテル」がそびえたちます。注目のエリアとして不動産開発が活発化している場所ですが、キース・ヘリングたちが活躍した当時はホームレスと売春婦が多いことで有名でした。 

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1982年にキース・ヘリングが手がけた壁画。バワリー壁画のルーツ。
Artist Keith Haring, Courtesy of Goldman Properties and Goldman Global Arts Houston Bowery Mural in New York City

ブルックリンも高騰

1990年代、住宅価格の高騰によってアーティストたちはマンハッタンを脱出し、イーストリバーを渡った対岸、ブルックリンのウィリアムズバーグ辺りに移動し始めました。やはり治安が相当に悪いエリアで知られていましたがイメージは一変、2000年代になると今一番お洒落なエリアとして観光客も多く訪れる場所になりました。

松山さんが現在スタジオを構えているグリーンポイントはウィリアムズバーグと隣接しており、ウィリアムズバーグとともに高級化してきた経緯があります。

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ブルックリン、ウィリアムズバーグの風景(番組の映像より)。

ウィリアムズバーグも家賃が高くなって、アーティストはその東に隣接するブッシュウィックに移動し始めたのが2000年代。ちょうどその頃、松山さんが住んでいたわけですが、当時の様子とその後の変化は冒頭のコメントの通りです。

新天地を求めて

さらにブルックリンも家賃が上がり、最近はマンハッタンから電車で2時間ほど掛けて北上した、いわゆる“アップステート・ニューヨーク”のハドソン市辺りでスタジオを構えるアーティストが増えてきているとのことです。

心おきなく制作ができる環境を得るためという、アーティストの目的は一貫していますが、結果的に新しい街を発見し耕す存在であり続けてきました。 彼らはこれからどこに行くのでしょうか?


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