日曜美術館HPへ
アートシーンHPへ

「日曜美術館」ブログ|NHK日曜美術館

出かけよう、日美旅

第80回 中井~御茶ノ水へ 松本竣介のまなざしをたどる旅

2018年11月18日

太平洋戦争中も都市の風景を描き、独自の表現を深めていった松本竣介(1912-1948)。
アトリエがあった新宿区中井を中心に、作品にまつわる場所を巡ります。

MS_01.jpg
中井を流れる妙正寺川沿い。竣介がスケッチ帳を手に散策した場所のひとつ。

nb1115_map1.jpg

岩手県盛岡市で少年時代を過ごした松本竣介は、17歳の年に画家を志して上京します。
終戦から3年後の1948年、36歳の若さで亡くなりますが、都市の風景は生涯のテーマのひとつでした。
制作は、スケッチ帳に風景を切り取るところから始められました。
竣介のアトリエがあった新宿区・中井を出発点に、作品に描かれた町の面影をたどりましょう。

新宿区・中井~四の坂

MS_02.jpg
西武新宿線中井駅。「N駅近く」(1940年、東京国立近代美術館)のモデルになった場所。

MS_03.jpg
静かな住宅街に新宿区立林芙美子記念館の竹林が見えてくる。

MS_04.jpg
新宿区立林芙美子記念館の奥に続く四の坂。この坂の上にアトリエがあった。

西武新宿線の中井駅から、山手通りの高架下を通って商店街を数分歩くと、静かな住宅街の中に、新宿区立林芙美子記念館の青々とした竹林が目に止まります。
付近は、目白崖線という斜面に北側を面しており、記念館の奥にも昔から「四の坂」と呼ばれた急こう配の階段が続いています。
1936年、松本禎子と結婚した竣介は松本家に入籍します。この年、四の坂を坂を登り切ったあたりにアトリエ兼自宅を構えました。
綜合工房と名付けられたアトリエでは、デッサンや油彩画を描くだけではなく、月刊誌『雑記帳』を禎子夫人とともに出版しました。
資金難のため、刊行できたのは1年2か月のみでしたが、竣介自身の随筆やデッサンだけでなく、詩人・瀧口修造や画家・藤田嗣治など、多彩な作家や画家の随筆が掲載されました。
この付近は、空襲による焼失を奇跡的に免れましたが、竣介のアトリエは老巧化のため1970年代に取り壊され、現在は中井にはありません。

新宿区立林芙美子記念館

MS_05.jpg
四の坂の登り口に面した記念館入り口。作家が亡くなるまで暮らした住まいを庭園から見学できる。

MS_06.jpg
林芙美子の書斎(右)と次の間(左)。建築家・山口文象による設計。

四の坂を訪れたので、登り口にある新宿区立林芙美子記念館を見学しました。
『放浪記』などの作品で人気作家となった林芙美子が、1941年から建設を始めたこの邸宅には、執筆の合間に庭を眺めるための半障子や使いやすそうな水回りなど、芙美子のこだわりがあふれています。
時代がしのばれるのはその間取りです。台所を中心とした棟と書斎を中心とした棟が別棟になっているのは、当時、さまざまな統制の一環として施行された建坪30坪制限を、夫である画家の手塚緑敏(りょくびん)と別名義の二棟として建てることで逃れるためだったそうです。
ご近所だった緑敏は、たびたびアトリエに竣介を訪ねています。
竣介が刊行した『雑記帳』に芙美子が詩を寄稿し、芙美子の書籍の装丁を竣介が手掛けるという交流も生まれました。

中井駅~妙正寺川沿い

MS_07.jpg
再び中井駅周辺へ。山手通りの高架からは、「郊外」(1937年、宮城県美術館)を思わせる新宿区立落合第五小学校(旧落合第二小学校)が見える。

MS_08.jpg
中井駅の南側にある寺斉橋。

子どもたちが犬と遊ぶ「郊外」(1937年、宮城県美術館)を思わせる新宿区立落合第五小学校や、「N駅近く」(1940年)の舞台である中井駅など、アトリエからほど近い場所を歩いていると、前期の作品のモチーフとなった場所を見つけることができます。
「郊外」を描いた時、竣介は生後間もない長男の死という悲劇に見舞われましたが、この時期の作品にはまだ青などの色彩と線の躍動が表われていました。
もちろん、描かれた場所は大戦と戦後の開発を経て大きく様変わりしています。それでも、起伏に満ちた中井の町と描かれた作品にあふれるリズムに、共通する印象を受けました。

MS_09.jpg
妙正寺川沿いの小道を東に進む。この日はサギやカモも見られた。

MS_10.jpg
妙正寺川沿いの染物工房・二葉苑。1920年創業。工房と展示施設がある。

MS_11.jpg
二葉苑の「引き場」と呼ばれる工房。これから色を付ける白生地に前作業をする職人さん。

妙正寺川沿いを東に進みます。竣介のスケッチに登場する染物工房・二葉苑は同じ場所で現在も伝統的な染め物を手がけています。特別に、江戸更紗の制作を見学させてもらいました。
1950年代頃まで、この界隈の染色に関係した業者は300軒を超え、最も盛んな地場産業でしたが、現在では約10社ほどに減少したそうです。

MS_12.jpg
西武線下落合駅前の落合橋。

MS_13.jpg
落合橋の北、聖母坂の上にある新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館。関連資料が閲覧できる。

しだいに低い位置を流れるようになった妙正寺川を眺めながら、下落合駅に続く落合橋にたどり着きました。中井から落合に広がるこの界隈には、画家の中村彝をはじめとした文化人たちの住居が数多くありました。1921年には、佐伯祐三も現在の中落合にアトリエ付き住宅を新築し、この地の風景を数多く作品に描いています。
一回り以上年齢が上のこれらの画家たちと竣介との間に交流はなかったようですが、この一帯の文化的な背景が、竣介の知的な絵画に与えた影響は計り知れません。

田島橋

MS_14.jpg
代表作「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館)の背景のモデルと言われる田島橋。

落合という地名は、妙正寺川と神田川が落ち合う場所が語源になっていますが、現在では下落合駅の先で妙正寺川は暗きょに消えます。
この少し先に、竣介の代表作「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館)の背景のモデルになったと言われる場所があります。
神田川にかかる田島橋です。橋の向こうには飲食街があり、高田馬場駅に続いています。
橋の南側に変電所があるのは当時のままですが、特徴的なモダン建築は約十年前に取り壊され、静かに前を見つめて立つ自画像の背景の面影はあまり感じられません。
しいて言えば、ゆるやかに広がる田島橋そのものの形でしょうか。
学生の町らしく、リクルートスーツを着た若者たちが橋を行き来しています。
竣介は中学生の時の病気が元で聴力を失ったために、召集されることはありませんでした。
太平洋戦争が始まった翌年に描かれた「立てる像」。
画家の決意に思いをはせました。

水道橋~御茶ノ水

MS_15.jpg
水道橋から眺めるJR水道橋駅舎。川面をごみの運搬船が行き来する。

nb1115_map8.jpg

JR高田馬場から水道橋に移動して、再び歩みを続けましょう。
神田川沿いにも、竣介お気に入りのモチーフが点在しています。
「白い建物」(1941年頃、宮城県美術館)のモデルになったのが、水道橋駅だと言われています。中央部分の窓の表情に通じるものが感じられます。

MS_16.jpg
聖橋。ニコライ堂とともに大胆に画面に構成された。

MS_17.jpg
最もお気に入りのモチーフのひとつ、東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)。

御茶ノ水の聖橋を渡ると、竣介が最も執着したモチーフのひとつであるニコライ堂にたどり着きます。竣介は、建築の構造が分かりやすい裏側からの眺めを好みました。
1940年から1941年頃になると、竣介は風景画の制作にますます没頭するようになります。
丁寧に段階を踏む独特の方法で、「Y市の橋」シリーズに描かれた横浜の月見橋や、「鉄橋近く」シリーズに描かれた五反田付近の鉄橋、そしてこのニコライ堂などが描かれました。
街を歩き、小さなスケッチ帖に描きとめられた風景は、アトリエで大判のデッサンに描き直され、さらに線だけの下絵に解体されました。製図版まで用いて線を引き直す厳密さでした。
そこから新たに構成された風景は灰褐色に覆われ、静けさにあふれています。
戦争へと向かう時代、むしろ冷静さを増していくような竣介の眼差しについて、ニコライ堂を眺めながら考えました。

終戦後の1946-1947年、竣介は、空襲で焦土となったこの付近の様子を「神田付近」(個人蔵)に描いています。これが最後に制作した風景画になりました。

小さなスケッチ帖をたずさえた竣介の目に映った東京。ぜひその面影をたどってください。

番外編 大川美術館

MS_18.jpg
桐生市、水道山中腹にある大川美術館。

MS_19.jpg
「松本竣介 アトリエの時間」展示室(12月2日まで)。所蔵作品「街」(1938年、左)ほか、代表作を見ることができる。

MS_20.jpg
アトリエと同じ空間に、さまざまなものを並べた「アトリエ再見プロジェクト」はクラウドファンディングで実現した。

MS_21.jpg
大川美術館を創立した大川栄二が竣介の作品を収集するきっかけとなったニコライ堂の作品。

桐生の大川美術館では、松本竣介の没後70年と開館30年を記念して、「松本竣介 アトリエの時間」展を開催しています。
クラウドファンディングで一般から広く寄せられた資金で、展示室にアトリエと同じ空間を作成し、イーゼルなど制作に関するものをはじめ、本を大切にした竣介ならではの手製の革のブックカバー、アトリエに置かれた壺など、さまざまなものを並べました。
「己れの生きてゆく呼吸を整え 愛する器物とともに語り合ひ 触れ合ひして 己の道を窮めるために部屋を持ち 器物を持つ」と1944年に手帳に記した竣介。その内面が、さまざまなものたちを通して垣間見える気がしました。
また、竣介の代表作の他、麻生三郎、鶴岡政男、靉光らアトリエを訪れて交流した画家16名の作品も展示され、作家像が新たな角度から浮かび上がる展示になっています。

インフォメーション

◎新宿区立林芙美子記念館
東京都新宿区中井2-20-1
開館時間 午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)

◎新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館
東京都新宿区中落合2-4-21
開館時間 午前10時~午後4時00分(入館は午後3時30分まで)
       (5月~9月は、午前10時~午後4時30分)
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)

◎東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)
東京都千代田区神田駿河台4-1-3
拝観時間 午後1時~3時30分(4月から9月は午後1時~4時)

◎大川美術館
群馬県桐生市小曾根町3-69
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)
※現在開催中の「松本竣介 アトリエの時間」(12月2日まで)に続き、2019年12月まで、「読書」「子ども」「街歩き」をテーマに松本竣介を連続展示します。
「アトリエ再見プロジェクト」は2019年6月16日までの展示です。


前へ

次へ


カテゴリから選ぶ

月別から選ぶ