2018年10月28日
20世紀フランスを代表する画家のひとり、ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は、生涯にわたって宗教画を描きました。ルオーが生まれたパリの下町、ベルヴィルを訪ね、彼の原風景を探ります。
丘の斜面にあるベルヴィル公園。パリでも随一の高台で素晴らしい眺め。市内が一望できる。
ルオーはキリスト像を描いた絵でよく知られていますが、代表作のひとつと言われている大作の版画集『ミセレーレ』の中に「孤独者通り」という絵があります。これはルオーが10代半ばまで暮らしたベルヴィルの、家のすぐ近所の通りを描いたものです。また1920〜1924年に制作された「郊外のキリスト」という作品にも、地元ベルヴィルの街の雰囲気が色濃く反映されていると言われています。
ルオーは、自身の世界観の原点がこの街にあると折々語っています。「私はいつもあの古い下町の私の界隈へ帰ってゆく。……私はもう長い間あの下町に住んでいる」(『ルオー』高田博厚・森有正/著 筑摩書房)。
正確に言うとルオーが生まれた場所は現在のパリ市19区のラ・ヴィレット地区。隣接する20区のベルヴィル地区周辺までを指してルオーは語っていると思われ、このコラムでもその辺りを散策しています。
朝のベルヴィル公園の風景。
ベルヴィルはパリ市の北東部、セーヌ川の右岸(北側)地域にあります。土地勘のない観光客はあまり行かない場所でしょう。ただ、何年か前までは治安が良くないと言われることも多かったですが、ここ数年はお洒落なエピスリー(食料品店)や飲食店などが何軒もオープンし、トレンドをけん引する層と言われる“BOBO”(ブルジョワ・ボヘミアン)※が増えているという話も聞きます。
※BOBO……Bourgeois-bohème(ブルジョワ・ボヘミアン)の略語。経済的に不自由なく、自由に生きる人を指す。教養があり、創造的なものを愛する。
まず、ベルヴィルという名の由来にもなった「ベルヴィル公園」を訪れてみました。
公園が町の人々の生活の一部になっている印象。ヨガをする人々。
ここはかなりの高台にあり、パリでも一番と言って良いであろう眺望の素晴らしい公園です。事実、ベルヴィルという名前は、この丘からの眺めがあまりに美しかったことから付いたと言われています(フランス語で「美しい眺め」はBelle vue)。エッフェル塔やモンパルナスタワーなどパリ市の景色が一面に広がり、初めて訪れる方はちょっとした感動を覚えるはずです。
ただ、逆に言えば“ベルヴィル”とは向こうに見える華やかな景色を表した言葉であり、その名前を冠するこちら側は、むしろそれとは対象的な、うら寂しい、場末の町だったわけです。
ともあれ、ベルヴィル公園に来ると、パリの中心地にいるときには感じることのなかったような空の広さと開放感を覚えます。公園内ではヨガをする人、おしゃべりをする人など、家の庭のように街の人たちが穏やかな様子で過ごす姿を見かけました。
街なかにはアートな壁画が多くてびっくり。
前述の通り、ベルヴィルの辺りはかつての町外れという印象から変わりつつあり、アーティストや若い人などが住み、おしゃれなお店やギャラリー、工房も増えています。アーティスティックな雰囲気を漂わせる壁画にもいくつも遭遇しました。
ベルヴィル通りで出会った壁画たち。
ギャラリーや工房なども増えている模様。
同時に街中にかなりグラフィティー(落書き)が目立つ地域でもあります。ベルヴィル出身の有名人にはルオーの他、シャンソン歌手の故エディット・ピアフなどがいますが、その生誕の地とされるベルヴィル通り72番地のアパルトマンも、残念ながらグラフィティーでいっぱいでした。
エディット・ピアフ生誕の地。番地の数字の横には記念プレートが。しかし周りはグラフィティーだらけ……。
ルオーの作品にはアフリカ系の人々や、サーカスの道化師、しょう婦などもよく登場しています。暮らした下町で日常的に身近な存在だったことが関係していると言われます。
ベルヴィルは昔から移民が多いことで知られ、現在も人種が多様です。パリでもセーヌ川の左岸地域だと観光客と白人が多い印象がありますが、ここはアフリカ系、アラブ系、中国系、東欧系……、全然違う印象です。飲食店も中華系・アフリカ系が多く、また特にアフリカ料理店でなくても、カフェなどで美味しいクスクスを出してくれるお店は珍しくありません。
ベルヴィル通りの両脇には中華料理店、チュニジア料理店などが並ぶ。
カフェでもクスクスを出している。
また、街のいろんなところでのみの市や不用品処分のフリーマーケットが行われていました。ベルヴィルは火曜と金曜の朝に大きな朝市が行われていることでも有名です。
ブロッカント(いわゆるのみの市)とヴィット・グルニエ(フリーマーケット)が入り混じったようなマルシェがそこかしこで行われていた。
マルシェの様子。火曜と金曜には、より大規模な朝市が行われている。
おしゃれな街という印象が強くなりつつあると書きましたが、細い路地に入ると人も少なく静かで、ルオーが生きた時代の雰囲気とつながっているように感じることができます。
たとえば、ルオーの生家があったとされるラ・ヴィレット通り51番地は、当時のものとは違う大きな建物になっていますが、路地自体は静かで穏やかです。
ラ・ヴィレット通り。この通りを奥に進むとルオーの生家があった場所がある。
さらに、そこから目と鼻の先、ラ・ヴィレット通りから交差するかたちで孤独者通り(ソリテール通り)があります。ここがまさにルオーが絵に描いた場所です。
ラ・ヴィレット通り51番地付近。向かって左側の大きな建物がある辺りがルオー生誕の場所と考えられる。特にプレートなどはない。
ラ・ヴィレット通り、そして孤独者通りと、この辺りの路地の建物はどことなく簡素な感じで、高さも低いものが多くなってきます。孤独者通りは、下の写真のアングルで見るとまさにルオーが『ミセレーレ』で描いたのと、構図も建物の雰囲気もよく似ています。
『ミセレーレ』の中の1枚「孤独者通り」は、このアングルから描いたのではと思われる。
孤独者通りを反対から見たところ。建物が低く空の存在感が強い。
ソリテール通り(孤独者通り)のプレート。
こちらはもう少し南に下ったところにあるノートルダム・ド・ラ・クロワ教会。ベルヴィルは建物が低いので、教会の塔がよく目立つ気がする。
また同じく生家跡地のすぐ近く、徒歩3〜4分のところにはサン=ジャン=バティスト教会があります。こちらが建てられたのは1854〜1859年です(ルオーは1871年生まれ)。以来、地域の人々が通う教会となってきました。訪れたのは日曜だったのでちょうどミサが行われていましたが、今日でも地元の人々が多く来ている様子で、ミサの後には人々と神父が親しげに会話をしていました。
サン=ジャン=バティスト教会。19世紀半ばに建てられた。ゴシック・リバイバル建築。
ルオーは父親も熱心なカトリック教徒だったそうですが、この日ミサに来ていた人たちのように、幼い頃のルオーも家族と共にお祈りに来ていたのだろう、とイメージを頭の中で重ね合わせました。
ミサの様子。奥にはステンドグラスが見える。
急速に変わりつつあるとは言え、ベルヴィルは街全体を通して見れば下町の感じもまだ残っており、どことなく心落ち着く、人間的な温かみを感じました。土地のエスプリ(気質、精神)はルオーの頃から変わらず、今もこの街に残っているのではないでしょうか。
きっと、日が暮れると、どこか物悲しくうら寂しい様子も、いまだあることでしょう。人気のない場末の路地にたたずむ二人の子ども。そこに、貧者の出で立ちで現れたキリスト。空にはそんな3人を照らす丸い月。ルオーの「郊外のキリスト」に描かれているのはそんな風景です。今でもこの町の夜にはそうした人々の姿があり、そして目には見えないけれど、どこかで見守ってくれているキリストの温かなまなざしがあるのではないか。ルオーの絵を思い出しながら、そんな空想を抱きました。
そして、建物が低く空の広いベルヴィルですから、やはりルオーの絵のごとくに、夜の月がきれいに映え、それこそ人々を見守るように照らしてくれることでしょう。
もっとも、地元の人でなければ、暗くなってからは公園など人気のない場所は避けるようにした方が賢明です。土地勘を持たない観光客は、訪れるにしてもまずは昼間をおすすめします。
公園近くのカフェでくつろぐ人々。
夕暮れ時のベルヴィル公園。タンゴを踊っている人々を見かけた。
今回の「出かけよう、日美旅」は、フランス在住の庭園文化研究家・遠藤浩子さんにご協力いただきました。ありがとうございました。
◎ベルヴィル公園(Parc de Belleville)
47 rue des Couronnes, 75020 Paris
開門時間 平日:午前8時〜 土日祝日:午前9時〜(閉門時間は季節により変動)
アクセス 地下鉄「Couronnes」または「Pyrénées」下車徒歩5分
◎サン=ジャン=バティスト教会(Église Saint-Jean-Baptiste de Belleville)
139 rue de Belleville, 75019 Paris
開門時間 月曜:午前9時30分〜午後8時30分 金曜:午前8時15分〜午後8時30分 その他の曜日:午前8時15分〜午後7時45分
アクセス 地下鉄「Jourdain」下車すぐ
◎パナソニック 汐留ミュージアム(東京)では「開館15周年特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」が開催中です。12月9日まで。