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「日曜美術館」ブログ|NHK日曜美術館

出かけよう、日美旅

第51回 アメリカ東部の町へ アンドリュー・ワイエスをたどる旅

2017年9月10日

厳しい自然と、そこで懸命に生きる人々を描いたアメリカの画家、アンドリュー・ワイエス。
生涯、ペンシルべニア州チャッズフォードとメイン州クッシングという2つの町だけで制作しました。画家のすべてがあるそれらの町を訪ねました。

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メイン州クッシングのオルソン・ハウス。歳月にさらされた建物と、住人のクリスティーナとアルバロの姉弟がワイエスの心を強くとらえた。

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(※今回の日美旅は、アメリカロケに行った番組ディレクターからの情報をもとに再構成しています)

2009年に91歳で生涯を終えたアンドリュー・ワイエスは、今年生誕100年を迎えました。
生涯、ワイエスは一度もアメリカから出ることなく、故郷のチャッズフォードと、避暑地として知られるクッシング、この2つの町だけで作品を描きました。
きらびやかな都市と対極の世界を見つめ続けたのです。

ワイエスゆかりの地1/ペンシルべニア州チャッズフォード

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チャッズフォード。霧が立ちこめる牧草地。

最初に、ワイエスの故郷であるペンシルべニア州のチャッズフォードに向かいました。
フィラデルフィアから車で約30分。郊外の町らしく、大きなショッピングモールなども見かけましたが、ワイエスの生家やアトリエがある場所の周囲には昔ながらの風景が残っています。

父N・C・ワイエスのアトリエ

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1911年に建てられた父N・C・ワイエスのアトリエ。

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アトリエ内部。

挿画家だった父N・C・ワイエスは『宝島』の挿絵で成功を収め、この一帯の約20,000坪の土地を所有していたそうです。実際に、敷地の広さには驚くばかりでした。
その中で、内部も公開している父のアトリエとワイエス自身のアトリエを見学しました。

父のアトリエは、青年時代のワイエスが絵を学んだ場所でもあります。窓辺や棚に、ワイエスが父に描くことを命じられたリンカーンの石膏像や、ガラス瓶などが今も並んでいました。
父の教えは、技巧の習得に役立った一方で、ワイエス自身にとっては窮屈な制約でもあったようです。独立後も、「もっと売れる絵を」という父の干渉は続きました。

ワイエスのアトリエ

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ワイエスのアトリエ。元は19世紀に建てられた学校だった。

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アトリエ内部。テンペラ作品(複製)が制作途中のように展示されていた。

次に、父のアトリエから歩いて数分の、ワイエス自身のアトリエを訪ねました。
簡素な室内の壁には、たくさんの下絵が無造作に貼られています。
絵筆を握るワイエスの息づかいが聞こえてきそうな空間でした。

カーナーの農場

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ワイエスがおよそ50年間描き続けたカーナーの農場。母屋(左)の周囲に牧草地が広がる。

小さな頃から、近隣を歩き回ることはワイエスにとって、重要な意味を持ちました。
散歩の途中で出会った、貧しい暮らしを送るアフリカ系住民などの人々を、後に作品に描くようになります。
ドイツからの移民、カール・カーナーも、その一人です。13歳の頃から、ワイエスはカーナーが営むこの農場に出入りしはじめました。
牛を育て、自給自足に近い生活を営んでいたカーナー。
たくましく生きるその姿を、ワイエスは膨大な作品に描きました。

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カーナーの農場の丘。「これから死ぬまで、この丘だけを描いていってもよいくらいだ」とワイエスは後に語っている。

カーナーの農場付近には、牧草が茂る丘が広がっています。
ワイエスが28歳の時、父N・C・ワイエスはこのすぐ近くで踏切事故のために命を落としました。
悲劇から間もなく、ワイエスは絵筆を握りこの丘の近くに立ちます。その時、丘をよろめきつつ駆け下りてくる少年が目にとまりました。この光景を、ワイエスは「冬 1946」という作品に描きました。
絵の中の少年は、悲しみとかすかな解放感を漂わせています。父の死に対する自身の複雑な感情が反映され、ワイエスの転機となった作品と言われます。
実際にこの坂を下り、当時のワイエスの心境を想像してみました。

ブランディワインリヴァー美術館

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独立戦争において激しい戦場になったブランディワイン川

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ブランディワインリヴァー美術館。元は水車による製粉所だった建物。

ワイエスのアトリエから10分ほど西に歩くと、ブランディワインリヴァー美術館にたどり着きます。
ワイエスは作品が描かれた場所でその作品を見てもらうことを大切に考えていたそうですが、ここには、父N・C・ワイエス、ワイエスの長男のジェイミー・ワイエスを含む、3代の作品が収蔵されています。
これまで訪れたワイエスゆかりの場所へのツアーもここで申し込みが可能です。

ワイエスゆかりの地2/メイン州クッシング

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ロブスター漁の漁船が行き来するクッシングの港。

チャッズフォードを後にし、フィラデルフィアから飛行機で北東に約3時間。メイン州の中核都市ロックランドを経てクッシングに着きました。
冬が長いこの土地の森は針葉樹が多く、空はワイエスの作品を思わせる鉛色をしていました。
今でも夏の間は、ボストンなどの大都市から多くの人々が涼を求めてやって来ます。
そのためか、漁業に従事する人たちの生活のつつましさが一層目につく気がしました。

オルソン・ハウス

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ワイエスが300点以上に及ぶ作品に描いたオルソン・ハウス。かつて漁師宿として賑わったが、見る影もないほど荒廃していた。

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ワイエスはこの家の一室をアトリエとして借り、一年の半分はここで制作に励んだ。

クッシング港から5分ほど歩くと、港を見下ろすように建つ家があります。
ワイエスが300点以上の作品に描いた、オルソン・ハウスです。
ワイエスが訪れた当時、この家にはスウェーデンからの移民の娘、クリスティーナ・オルソンとその弟アルバロの2人が暮らしていました。
クリスティーナの足が不自由になり、手入れができなくなったため、家は日々荒廃しつつありました。
しかし、ワイエスはこの家に強く魅せられるとともに、懸命に生きるクリスティーナの気高さに強い尊敬の念を抱くようになったのです。
ある日、ワイエスは、草地を這って移動するクリスティーナの姿を目撃します。その後ろ姿は、代表作「クリスティーナの世界」に描かれ、世に知られることになりました。

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クリスティーナが座っていた椅子。

オルソン・ハウスに入ってみると、全14室もある内部の広さは想像以上でした(公開されているのは一部の部屋のみです)。
壁のあちこちに残る生々しい傷からは、クリスティーナの息づかいと積み重なった歳月の感覚が伝わってくるようでした。

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ワイエスの墓。オルソン・ハウスを眺めるように建っている。

オルソン・ハウスを少し下った場所に、ワイエスの墓が建っています。
オルソン家の墓地で、クリスティーナやアルバロとともに眠りにつくことをワイエスは望みました。簡素な墓標は、いかにもワイエスらしいと感じました。

ワイエスセンター(ファンズワース美術館併設)

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ワイエスセンター外観。19世紀の教会を改装した建物。

クッシングから車で北東に約15分。観光客で賑わう港町、ロックランドにあるワイエスセンター。世界最大のワイエス・コレクションを所蔵しています。
オルソン・ハウスへのツアーは、ワイエスセンターで申し込むことが可能です。

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ロックランドのメインストリート(左)、メイン州の名物といえばロブスター(右)

メイン州の名物といえば、メイン湾から上がったロブスターです。溶かしバターとレモンでいただきます。

番外編 日本でワイエスに出会う「丸沼芸術の森」

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(左)過去10回のワイエス展を開催してきた「丸沼芸術の森」。(右)オルソン・ハウスとクリスティーナを描いたシリーズ(過去の展示風景)。

実は日本に、ワイエスの貴重なコレクションがあります。
収蔵しているのは、若手アーティスト支援のためのスペース、埼玉県朝霞市にある「丸沼芸術の森」です。
代表の須崎勝茂氏は、若手画家の学びに役立てたいという思いからワイエス作品の収集を志しました。収集の精神にワイエスは大いに賛同し、238点にのぼる作品がもたらされました。
9月16日から開催される「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」(11月19日まで)では、コレクションの中心である、オルソン・ハウスを描いた水彩とデッサンから、約60点が展示されます(作品の展示替えあり。前期10月22日まで、後期10月24日から)。「クリスティーナの世界」をはじめとする名作の習作にあたるデッサンからは、ワイエスの思考の跡が生々しく浮かび上がります。

関連情報

[アメリカ/ペンシルべニア州 チャッズフォード]
◎ブランディワインリヴァー美術館
1 Hoffmans Mill Rd, Chadds Ford, PA 19317
※父N・C・ワイエスのアトリエ、ワイエスのアトリエ、カーナーの農場はすべて美術館から徒歩圏内です。

[アメリカ/メイン州 クッシング、ロックランド]
◎オルソン・ハウス
384 Hathorne Point Rd, Cushing, ME 04563

◎ワイエスセンター(ファンズワース美術館併設)
16 Museum St, Rockland, ME 04841

[日本/埼玉県朝霞市]
◎丸沼芸術の森
埼玉県朝霞市上内間木493-1
開館時間:午前10時~午後5時
休館日:月曜日
※常設展はありません。

「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」の開催は9月16日から11月19日までです。


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