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2021年6月13日

コラム タイガー立石のミラクルワールドのもと

「七転八虎不二〜変容する画家 タイガー立石」いかがでしたか? 日美ブログではタイガー立石(立石紘一/立石大河亞)のイメージの源泉にスポットをあてます。こちらもあわせてどうぞ!

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「強行着陸」 1965年 田川市美術館

小説・映画・漫画

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「香春岳対サント・ビクトワール山」 1992年 田川市美術館

かつて九州・筑豊における最大の炭都と言われた福岡県・田川市で1941年に生まれた立石紘一。60年代に入って石炭から石油にエネルギーの主役が替わるまでは、“黒いダイヤ”(石炭のこと)を求めて働きに来る人々で溢れ返り、街は活気に満ちていました。と同時に、サーカスや芝居小屋などの大衆娯楽にも恵まれていました。映画館も充実していて、1960年には田川地区だけで25軒もあったそうです。そうした環境の中で小学生時代の立石は「ファンタジア」などのディズニー映画や、シュールな杉浦茂の漫画、手塚治虫のSF漫画などに没頭していたと言います。高校生の頃には地元の「田川東映」で映画のフィルム運びや看板描きのアルバイトなどをしていました。

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「大農村」 1966年 個人蔵(田川市美術館寄託)

1961年から東京に出て油絵やネオンの作品を発表する一方、1965年からは漫画も描き始めました。SF小説も好きでよく読んでいましたが、中でもお気に入りは『人間の手がまだ触れない』などで知られるロバート・シェクリイ。シェクリイと言えば、奇想天外な着想・設定で知られる作家です。また風刺が効いて人気が高かったアメリカの雑誌『MAD』(赤塚不二夫やモンキー・パンチらも影響を受けたと言われている。※2019年に廃刊)にも夢中に。タイガー立石の1966年の油絵「大農村」には『MAD』のイメージキャラクター、アルフレッド・E・ニューマンが描きこまれています。
 
イタリア・ミラノに旅立つ前年、1968年に見たスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」には非常に衝撃を受けたと語っています。同映画のクライマックスでは時空をワープする「スターゲート」のシーンが登場しますが、SFでは時空間の歪みやトポロジー※といったトピックがしばしば登場します。タイガー立石の絵画空間でも時空がぐにゃぐにゃ歪んでいたり、内と外が混沌としていたりと、トポロジー的な発想に通じていると感じられる作品が少なくありません。

※トポロジー……ゴムボールを凹ませたかたちと元のゴムボールの球形は同一、といったように連続的に変形が可能な図形は全て同一視されるという幾何学の発想で、位相幾何学とも呼ばれる。

空想とシュール

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エットレ・ソットサス/原画:タイガー立石 「祝祭としての惑星:星を見るためのスタジアム」 1972年 埼玉県立近代美術館

ミラノに移住したのが1969年。その後立石はイタリアの建築家エットレ・ソットサスと出会い、事務所に在籍します。ソットサスはこの頃、ユートピア的ビジョンで描いた近未来都市像を多く提示していますが、実際に絵を制作していたのがタイガー立石でした。1972年、惑星移住のための住居案として雑誌『カザベラ』にて発表されたソットサスの図案「祝祭としての惑星」もタイガー立石の手による絵ですが、SF的で空想性の高いものです。 

イタリア時代にタイガー立石はシュール・リアリズムの画家、ジョルジョ・デ・キリコとも会っています。イタリアの広場をモチーフにしたデ・キリコの絵画とSFや西部劇をミックスしたかのようなコマ割り絵画をタイガー立石は70年代初頭に発表しています。タイガー立石には他にダリやマグリットなどからインスピレーションを受けたと思われる作品もあります。

禅の公案

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「七転八虎富士」 1992年 ANOMALY

タイガー立石には禅の影響も感じられます。宋の時代の中国の禅僧、無門慧開(むもんえかい)が著した禅の公案集『無門関』と1960年代に出会い、生涯大事にしていたと言われています。

タイガー立石という回路の中でさまざまなイメージや観念が変換され、ああした亜空間のような絵画が形成されていったのでしょうか。縦横無尽に広がるその世界をどうぞお楽しみください。

展覧会情報

◎大・タイガー立石展
4月10日–7月4日 千葉市美術館
7月20日–9月5日 青森県立美術館
9月18日–11月3日 高松市美術館
11月16日–2022年1月16日 埼玉県立近代美術館/うらわ美術館