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2018年6月 3日

第69回 松本へ 柚木沙弥郎の型染に出会う旅

心が躍るような模様を布地に染める染色家・柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)。95歳を迎えた今も、新たな創造を続けています。柚木さんが高校時代を過ごした地であり、様々な場所で作品を見ることができる長野県・松本を訪ねました。

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鮮やかな柚木沙弥郎の型染絵(中央の四角い額11点)。個展の会場でもあった工芸店にて。

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東京・田端に生まれた柚木さんと松本の出会いは、78年前にさかのぼります。松本の旧制高等学校進学がきっかけでした。在学中に開戦。大学進学を機に松本を離れますが、染色家になってからも、展覧会のために度々この町を訪れてきました。
芹沢銈介の型染カレンダーを見て染色家を志し、民藝運動の提唱者・柳宗悦からもじかに薫陶を受けた柚木さん。民藝運動の香りが色濃く残るこの町で、柚木さんの作品は、人々の暮らしの近くに息づいています。

ちきりや工芸店

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明治期に建てられた白壁と格子状のなまこ壁の蔵造りの建物が目印の工芸店。1974年以降、柚木さんの個展の会場にもなった。

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柚木さんの型染絵。桃太郎や金太郎からメキシコの楽隊まで、楽しいモチーフ尽くし。

柚木さんの個展の会場にもなった工芸店を訪ねました。なまこ壁の土蔵を利用した古物店などが立ち並ぶ、中町通にある「ちきりや工芸店」です。
建物に足を踏み入れると、棚いっぱいに並べられた各地の陶磁器やガラス、さらに世界中の日用品や玩具が目に飛び込んできます。
ひときわ楽しげな空気を漂わせているのは、壁面の柚木さんの色鮮やかな型染絵です。
馬に乗ったガウチョやホルンを吹く楽隊のような異国を思わせるモチーフから、金太郎や桃太郎など日本的なキャラクターまで、眺めていると心が浮き立ちます。
「温かみがあって楽しいから、いつまで見ていても飽きないの。どなたの心にもすーっと入ってくる感じよね」店主の丸山眞佐子さんは目を細めます。

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店の奥のケースに大切に飾られている柚木さんののれん「踊る人」(右)。隣のグァテマラの絣に織られた人物とダンス合戦しているかのよう。

「奥の部屋に、柚木先生のいいのれんがあるのよ」と眞佐子さんに案内され、ガラスケースに大切に収められた作品を見せてもらいました。
特にお気に入りの作品を並べたこのコーナーには、沖縄の紅型(びんがた)や南米の絣(かすり)、アフリカの絞り染めなど、強い個性を持つ作品が並びますが、柚木さんの型染は違和感なくなじみつつも、おおらかな存在感を放っています。
この店での個展で発表されたこの作品について、「しゃれているでしょ? ここに飾りたくて最初から売らないつもりだったの」と眞佐子さん。眞佐子さんの宝箱のようなこのお店の宝物のひとつなのです。

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1947年に父・丸山太郎さんが開いた「ちきりや工芸店」の現店主・丸山眞佐子さん。

「ちきりや工芸店」は、眞佐子さんの父・丸山太郎さんが創業しました。東京・駒場に日本民藝館が開館した1936年、上京を機に同館を訪れた太郎さんは、柳宗悦が提唱した民藝――民衆の日常品に美を認める考え方に傾倒していきます。1947年、生業の紙問屋を営んでいた店の半分に、各地の工芸品を取り揃え店を始めました。
「柳先生の影響で、父はとっくりやそばちょこの絵に感動したの。“こんなに美しいものがあったんだ!”って」
丸山太郎さんは、芹沢銈介の弟子である染色家・三代澤本寿(みよさわもとじゅ)、後に「松本民芸家具」を設立した池田三四郎らとともに、松本に民藝運動を深く根付かせることに貢献します。新しい作り手の紹介も行いました。
「この方はすばらしいな、と思えば父は展覧会を企画しました。父は心を打つものしか飾らなかった。柚木さんの型染も、いつの時代に見ても本当にきれいでしょ」

あがたの森文化会館/旧制高等学校記念館

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ヒマラヤ杉の木立に建つ旧松本高等学校校舎。現在では市民の憩いの場として使用されている。

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大正期の高等学校建築としては初めて重文に指定された校舎。

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校舎の一角にある旧制高等学校記念館。柚木さんがデザインした記念館マスコットのスタンプ。

柚木さんと松本の町との出会いは、旧松本高等学校に進学した1940年にまでさかのぼります。
青春時代の舞台だった場所を訪ねてみました。松本市の東、緑深いあがたの森にある、あがたの森文化会館です。背が高い針葉樹に囲まれて、柚木さんが学んだ旧松本高等学校校舎が建っています。信州大学の前身の一つとなった旧松本高等学校は、戦後の学制改革で廃止されましたが、校舎は大正期を代表する木造洋風建築物として保存され、現在では市民の生涯学習の場に使用されています。
併設して、旧制高等学校記念館があります。入口で、柚木さんデザインによる学生を描いたマスコット「バンカラ」のスタンプを見つけました。
記念館では、全国の旧制高校の資料が展示されるとともに、写真や落書きなどの資料から「松高」の自由で先進的な空気を感じることができます。

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談話室を飾る、柚木さん作「青春群像」(1993年)。

松本での日々は、談話室に掛けられた作品にいきいきと描かれています。
着古した学生服にマントをまとい高げたを履いた「バンカラ姿」の学生たちの、エネルギーに満ちた様子。描かれた応援団風の学生の手に勢いよく翻る、松高の名前を染め抜いた幟(のぼり)に目が行きました。
「私の布に対する印象は静止している布ではなくて流動する布なのである。(中略)そんなフレキシブルな布にふさわしい模様を布に贈りたいと私は思っているのだ」
柚木さんのそんな言葉を思い起こしました。
ここに描かれているのは、まだ民藝運動の薫陶を受ける前の思い出ですが、布という素材への柚木さんのまなざしを感じました。

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国宝・松本城。背後にそびえる北アルプスの山々。

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「松本城天守閣」(ちきりや工芸店刊『松本の思い出』より)

松本市中心部に戻ってきました。
町のランドマーク、松本城の堀端をしばし歩いてみます。
柚木さんは松本での青春時代を振り返り、よそ者だからこそ松本の楽しさを享受できたと語っています。
「なにしろ学校や寮を中心にぼくたちの生活上必要とする所へは歩いて行ける。そして松本の町を取り囲む里山は香ぐわしい自然の息吹をムンムン発揮する。遠く北アルプスの峰峰は朝に夕に若者の心をときめかしてくれる。僕の予想した以上に松本は厳しく美しい理想的な環境だった」
快晴に恵まれたので、この日も天守閣の向こうに雪をいただいた北アルプスの山々が美しく浮かび上がるのが見えました。

松本の町で出会う柚木さんのデザイン

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菓子店のケースには、柚木さんデザインのケーキの包装が。「開運堂」にて。

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柚木さんデザインの猫が乗っているのは松本民芸家具の椅子。家具店「松本民芸家具」にて。

松本ほど、柚木さんのデザインや作品と出会える町は他にありません。
菓子店のケーキや、ホテルのパンフレット、家具店の小物など、町のあちこちで柚木さんのデザインを目にすると、ユーモアと楽しさにあふれた創作の世界を旅しているような気分になります。

松本の町に息づく柚木さんの作品

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居酒屋「しづか」の入り口では柚木さん作ののれんがお客さんを迎える。女将・市東浩子さん。

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「しづか」にて。なんとも元気のよさそうなバッタ。一目見て気に入って買い求めた、と女将。

ちきりや工芸店で初個展を行った頃に柚木さんの作品に出会い、求めた作品を今も大切に所蔵している人がこの町にはたくさんいるそうです。
当時から続く松本のお店では、現在も柚木さんののれんが客人を迎え、日常ににぎわいを添えてくれます。
「展覧会で柚木先生の作品を一目見て大好きになりました。私は帯も持っていますよ。大切に使って、今では時々若女将が締めています。松本には今でも大切に持っている人が多いのではないかしら。明るくて優しい作品はいつまでも飽きません」と語るのは、居酒屋「しづか」の女将(おかみ)・市東浩子さん。

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浅間温泉の旅館「菊之湯」。大女将の中條今子(きょうこ)さんは、柚木さんの作品を展覧会ごとに少しずつ買い求めてきた(こののれんは菅原匠の作品)。

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階段を登ると出くわす型染布。招き猫のようにユーモラスな存在感。

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ロビーに飾られた「ならぶ人ならぶ鳥」1982年。

松本駅からバスで20分。浅間温泉にある菊之湯もそんな場所の一つです。柚木さんが個展の最後の日に宿泊する宿だったこともあり、大女将の中條今子(きょうこ)さんは展覧会ごとに少しずつ作品を買い求めてきました。
信州に古くから伝わる本棟造りによる館内には、19世紀ドイツ製のオルゴールからだるままで、国や時代を超えた民芸品が数多く飾られていますが、一見無国籍な柚木さんの作品と温かい調和が生まれています。
「好きなものなら何でも飾ってしまうの。個展で見た柚木さんの作品がどうしても気に入って、同じ柄を染めてもらいました。ピアノの周りにお客様が集まるロビーに飾ったら、楽しい雰囲気がぴったりでした」
暮らしの中に美があると説いた民藝の思想。
その民藝の美意識を宿し続ける松本の町で、柚木さんの作品は、現在もなお人々の暮らしに寄り添い、愛されています。

インフォメーション

◎旧制高等学校記念館
長野県松本市県3-1-1
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
アクセス 松本周遊バス「旧松本高校」下車すぐ

◎ちきりや工芸店
長野県松本市中央3-4-18
アクセス JR篠ノ井線松本駅から徒歩11分

◎しづか
長野県松本市大手4-10-8
アクセス JR篠ノ井線松本駅から徒歩15分

◎菊之湯
長野県松本市浅間1-29-7
アクセス 浅間線・新浅間線バス「下浅間」下車2分