第63回 伊豆大島へ 不染鉄を探して
2017年、東京では初となる回顧展が行われ話題になった画家・不染鉄(ふせん てつ、1891〜1976)。東京小石川に生まれ、晩年は奈良で暮らしましたが20代半ば、3年間にわたる伊豆大島での暮らしは終生画家にとってのよりどころになっていたようです。大島へ旅し、不染鉄を感じます。
今回宿泊した伊豆大島・岡田の宿を出たところからの眺め。岡田に暮らした不染鉄も、朝起きて港の向こうに富士山を毎日眺めたことだろう。
東京の都心から夜行の客船で8時間。高速ジェット船なら1時間45分で着いてしまう、伊豆大島。
その昔、明治末期から大正、昭和、戦後に及ぶまで、多くの絵描きがこの島を訪れ、作品に描いてきたことをご存知でしょうか。最初のきっかけをつくったのは、画家の和田三造。1907年(明治40年)に発表した「南風」が大島を描いた初の近代絵画となりました。和田はもともと八丈島に行く予定でしたが、暴風雨で流されて偶然たどり着いた大島に魅了されます。かやぶきの民家が立ち並ぶ中、牛やニワトリがいて、紺絣(こんがすり)の着物姿の女性たちがゴーギャン描くタヒチの女のごとくに頭の上に荷物を載せて移動している、どこか非日常的な空間でした。
本土から120キロしか離れていないのにもかかわらず、夜、本土から船に乗り朝に到着すると、そこに広がる別世界。和田がその魅力を周囲に語ったことから、いつしか「画家ならば大島へ行け。大島を描けば一人前」と画家の間で言われるようになっていきました。
こうした中、当時20代半ばで、絵描きとしての方向もまだ定まってなかった不染鉄も大島へ。3年もの間、大島に住み、漁などしながら絵を描きました。
野田浜から富士を拝む
伊豆大島には早朝に到着。まず島の北西部にある野田浜(のだはま)に向かいました。不染鉄の代表作「山海図絵」では富士山と麓の町が描かれていますが、野田浜からの眺めはその風景をほうふつとさせると聞いたためです。
野田浜。地元の方は“ぬた”と呼ぶ。夏のシーズンには海水浴場に。また岩場の辺りはダイビングスポットとしても人気。ウミガメの産卵スポットでもある。
訪問した日はとても風が強かったのですが、野田浜から対岸の富士がきれいに見えました(もっと鮮明に見えるときもあるそうです)。また川奈や熱海方面の町の様子までもわかりました。富士山の左には、大室山も、更にその後ろには雪景色の南アルプスの姿も見えました。
野田浜から伊豆半島と富士山の眺め。対岸の町の様子まで見えるのに驚く。
不染鉄の絵は写生というよりむしろ自分の大切な記憶・思い出をイメージ化しといった印象がありますが、彼にとって記憶に焼き付いた風景だったことでしょう。
野田浜から元町港に向かう海沿いの道からはどこでもこのように対岸の富士が美しく見えます。ただし季節は冬、とにかく寒い! 島全体が活火山である大島、道沿いに早朝から開いている温泉があります。凍えた後は朝から熱い湯に浸かりました!
「岡田」地域を歩く
次に島北部の「岡田(おかた)」地域を散歩。大島には6つの地域があり、一番の中心は元町。昔から旅館なども多く、画家たちの多くは元町拠点だったようですが、不染鉄は小さな漁村の岡田に暮らしていました。島を去った後も岡田村の姿を何度も描くなど、思い入れが強かったようです。
大島を描いた画家や文学者について、独自に研究されている時得孝良さんにお会いしました。時得さんのお母さんは、不染鉄滞在当時すぐ近所に住んでいて、親交があったと言います。不染鉄が当時住んでいた家の跡に、時得さんに連れていっていただきました。
岡田。この近くに、かつて不染鉄の暮らした家があった。家を出ればすぐ海という立地だった。
不染鉄が知人に当てた絵はがきにも、当時の家の絵が描かれ、こんな文が添えられていました。「画にかくと風流ですが海に近い。潮風の吹いてくる一間にいろりの家。風の夜は浪音はげし」。
岡田の氏神が祭られている八幡神社。毎年1月には正月祭りが行われ、手踊りと天古舞い(てこまい)が奉納される。不染鉄もこうした祭りなどを通じて、地元の人たちと親しくなっていったのではないだろうか。
訪れたのも、風が激しく吹いている日でした。不染鉄が居た当時、夜になれば辺りは真っ暗、明るく華やかというより、心細いような町の風情だったのではないかと思われます。けれどもだからこそ、村の人の家で花札を打ったり、村に伝わる踊りと唄をみなで楽しんだり……、村人たちとの触れ合いから、この地に深い愛着を覚えたのではなかったでしょうか。彼の絵に描かれた大島には、そうした“土地の人々への情”“気持ちのつながり”が表されているかのようです。
実際、不染鉄は大島を去った後も、何度となく再訪していたそうです。現地で世話になった一家と連絡を取り続け、親族の結婚式に呼ばれて出たり。また島の子どもたちの絵の入選作を決めるときの相談に乗ったりもしていたようです。
時得さんに見せてもらった、大正初めの大島の村の風景。
紺絣の着物に前垂れ、頭に手ぬぐい。昭和初期頃まで島の女性たちはこうした装束が一般的だった。写真は、時得さんのお母さんの若い頃のスナップ。頭に薪などを乗せて歩いた。
お昼。大島のローカルフードと言えば、唐辛子醤油(とうがらししょうゆ)に漬け込んだ刺身を乗せた鼈甲寿司(べっこうずし)や明日葉(あしたば)料理、魚のすり身を揚げたたたき揚げなど。
元町・藤井工房
「藤井工房」には大正昭和の頃の大島の様子や、大島について描いた美術や文学に関する文献が充実。
午後からは元町のギャラリー兼喫茶店「藤井工房」へ。こちらでは、大島を描いた美術や文学についての資料を収集されています。
店内では、昭和初期に大島を訪れた彫刻家・木村五郎が、島の農民に「稼ぎ口になれば」と作り方を教えた木彫りの土産物「あんこ人形」のコレクションも見られる。
こちらは、大島の島娘をモチーフにした土産物の「あんこ人形」についての展示・ワークショップなどを行うギャラリーでもあります。というのも、当工房主宰・藤井さんのお父さんが人形づくりの職人で、その文化を後世に伝える目的で、もともと設立されたからです。働く島娘をモチーフにした人形が大島でつくられるようになったきっかけは、大正中期に芸術家の山本鼎が長野県上田市から始め、全国に広げていった「農民美術運動」の一環として、講習会が大島で行われたことでした。農民美術とは、「趣味と実益を兼ねた産業の成立(農村の副業)」を目指した創作活動でした。
大島を描いた画家についての分厚いファイル(背後)と、大島についての文学・紀行集についてまとめた本。
大島の昔の様子を伝える古い絵はがきも、藤井工房ではアーカイブされている。こちらは、昭和初期、まさに不染鉄の絵に描かれた当時の岡田の風景を記録した絵はがきより。 写真提供=藤井工房
直接その技術を島民に教え講師となったのは、木村五郎という彫刻家だったのですが、そこから派生して調べていくうちに、大島には明治の頃より名だたる芸術家がこぞって訪れていたことを知り、記録を集めるようになりました。
「芸術家たちの足跡を知ることで、大島の土地が持つ魅力も、改めて浮かび上がってくることになるのでは」。資料をいくつか見せていただきましたが、調査の丹念さに驚きました。中村彝(つね)、伊東深水、東郷青児、村山槐多、棟方志功……etc、この人もあの人も大島を訪れていたのかと、発見の連続。そしてその中にはもちろん、不染鉄についての情報もありました。
時得孝良さん(左)と藤井工房・藤井虎雄さん(右)。大島ゆかりの文人や画家について、調査・研究している。
今、藤井さんは時得さんと共に、大島ゆかりの文芸・芸術に関する書籍を編纂しているところだと言います。「詩歌」「小説」「紀行文」「美術」に分かれた4巻本で、いずれも数百頁を越すボリュームだとか。
また明治〜昭和の大島の風景や風俗を知る手がかりとなる昔の絵はがきなども、たくさん所蔵されています。不染鉄の描いた大島の絵と、同時期の絵はがきとを比べて見るのも楽しみのひとつではないでしょうか。
日本画家・伊東深水が制作した木版画集『大島十二景』。
日本画家・伊東深水が『大島十二景:春の海』で描いた場所。現在はゴルフ場になっている。
南部・波浮港へ
島の一周道路で波浮港に向かう。道中、地層断面が見られるスポットが。道の反対側は海になっており、利島・新島が見えた。
波浮港。昭和初期までは、漁船が湾いっぱいに集まっていたという。
波浮港の町の風景。2011年以降、この界隈では「波浮港現代美術展」も行われている。
大島は島内一周道路が走っており、車なら45分程度で回れてしまうコンパクトさ。景色も北部と南部でもまた違うので、一周がてら南部の波浮港(はぶみなと)にも立ち寄ってみました。不染鉄の絵にも、波浮港を描いたものがあります。
漁で栄えた当時、大きな網元の1軒だった「甚の丸」の旧邸。黒と白の幾何学模様をした“なまこ壁”の蔵(左手)は風の強い漁村にはよく見られる建物。なまこ壁の家は不染鉄の絵にも登場。
現在は静かな街並みですが、1800年に火口湖を切り開いて開港して以来、江戸から昭和初期にかけての頃は、遠洋漁業の中継地で港に入り切らないくらいの数の漁船がひしめき、栄華を極めた地域だったようです。港町特有の「丸」の名がつけられた「甚の丸邸」が当時の名残として保存されていますが、使っている建材なども素晴らしい豪邸です。また川端康成『伊豆の踊子』に出てくる大島の旅芸人一座も波浮港出身という設定ですが、実際、芸人や踊り子もこの港町のにぎわいを彩ったことでしょう。ちなみに不染鉄の絵の中では、比較的穏やかな感じの漁村風景として描かれています。
伊豆大島と言えば忘れていけない椿。大島公園にて。
失われていくものたちへのオマージュ
訪れた2月初旬、大島はちょうど椿祭りの最中でもありました。不染鉄が岡田に暮らしていた頃、毎夜豪風が吹き荒れる中、家々は椿油を使ってランプをともして過ごしたとのことです。つつましやかだけれどいとおしい人々の暮らし。不染鉄は失われていく大事なものを、その絵の中で留めようとしたのではないでしょうか。不染鉄と、かつての大島の姿を探す旅。不染鉄の絵はがきの一節で締めくくります。「君達は生きている。私の心の中にこんなにも生きている。」(『不染鉄 絵はがき集』より)
帰りの高速船(手前)。向こうには、また富士山が。
インフォメーション
◎野田浜
東京都大島町岡田
元町港より車15分、岡田港より車15分
大島バス ぶらっと・野田浜ライン「野田浜海水浴場」下車すぐ
◎八幡神社
東京都大島町岡田4
岡田港より徒歩すぐ
◎藤井工房(伊豆大島木村五郎・農民美術資料館併設)
東京都大島町元町2-1-5
元町港より徒歩すぐ
入館無料 10時〜午後6時開館 休館:水・木
◎旧甚の丸邸
東京都大島町波浮港7
元町港より車25分、岡田港より車40分
大島バス 波浮港ライン「波浮港」下車すぐ