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2017年7月23日

第48回 唐津〜佐賀へ 青木繁をたどる旅

天才とうたわれながら不遇のうちにこの世を去った明治の洋画家・青木繁。代表作「海の幸」誕生の地である千葉県館山市布良(めら)や郷里の福岡県久留米市がゆかりの地としてよく知られていますが、佐賀も青木繁と深い縁がありました。晩年を過ごした土地・佐賀へ、青木を感じに行きました。

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青木繁の常設展示室がある河村美術館(唐津市)。

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青木繁は久留米市に生まれ17歳で上京。東京美術学校西洋画科に入学し、卒業後、22歳で「海の幸」を制作。その年の画壇の話題を一手にさらい天才の名声を欲しいままにしました。ところがその3年後、東京府勧業博覧会に出品した自信作「わだつみのいろこの宮」が、ちまたの評判は良かったものの審査評が低く、三等末席という結果に。加えて久留米の実家で父が亡くなり家族と衝突。追い込まれた状況の中で恋人、そしてその間にできた自らの子とも会うことはできないまま、九州を流浪する日々が始まり、そのうちに病に倒れ失意の中28歳の若さでこの世を去りました。

青木の運命を左右した「海の幸」「わだつみのいろこの宮」の2作品は現在、ともに国の重要文化財指定を受けています。20代という若さで描いた絵で、しかも2点も重文指定を受けていることは驚きに値します。そして100年を経過した今なお、青木繁のファンは少なくありません。  

河村美術館で作品を堪能

そんな青木の作品20点が常設されている「河村美術館」が唐津にあります。青木の作品が収蔵されている美術館はいくつもありますが、常にまとまった数の作品が見られるミュージアムは貴重です。

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1910年作「夕焼けの海」。この作品は貸し出しをしないため、唐津まで来ないと見ることはできない。

作品は小品中心ではありますが、1901年頃、まだ10代のときに描いた「ランプ」から、晩年1910年の作「夕焼けの海」まで、各時代の青木繁作品を見ることができます。ほか、「海の幸」と同時期に描かれた「海景」(1904年)、「神話」(1906年)、「浴女」(1910年)など。

中でも必見は「夕焼けの海」で、絶筆と言われる「朝日」と同時期に描かれたとされている絵。現館長の河村榮三さんによると「夕焼けの海」には当時の唐津の特徴的な風景が描かれているそうです。これは石炭を運んでくる船で、唐津では明治期、そうした船が日常的によく見られたといいます。

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左から「男半裸体」(1901年)「ランプ」(1901年)。

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「神話」(1906年)。「わだつみのいろこの宮」と同時期の作。

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「浴女」(1910年)。佐賀市の古湯温泉滞在時の体験をもとに描いたと言われる。

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青木繁以外に、同時代の近代洋画家の作品のコレクションの展示室もある。写真は岸田劉生。 

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唐津城のそばにあり、美術館の窓からも見える。河村家はかつてお殿様に仕えた御典医だった。

こちらは唐津出身の昭和の実業家、河村龍夫氏のコレクションをもとに設立された美術館ですが、河村氏はまた佐賀時代の青木繁の足跡を追った論文なども発表しており、大変参考になります。

唐津湾で想いをはせる

青木が描いた海と聞いてまず思い浮かぶのは「海の幸」の頃の作品に登場する千葉の海で、力強く荒々しい印象が強いです。しかし「夕焼けの海」や「朝日」といった、唐津湾が題材になっている晩年の海の作品は、穏やかで癒やしを感じる絵となっています。きれいに朱に染まっている点も特徴的です。

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唐津城内の公園から眺める唐津湾。

したがって、日没あるいは日の出の頃の唐津湾はさぞかし辺り一面赤く……と思ったのですが、地元の方に聞いたところ、あまりその印象はないようでした。「地形的に朝日がよく見えるというのでもないからねえ。夕日にしても、呼子の辺りはきれいだけど、ほら、湾自体が奥まっているから。そんな真っ赤に染まるというのではないかな」。

よく言われることですが、青木の絵は写生ではなく、スケッチは参考にしつつも最終的には自分の想像力で描いたようです。
描かれた場所を探すというよりむしろ、青木は晩年なぜあんなに優しいタッチの朝日もしくは夕日の光景を描いたのか、その心境に思いをはせながら海を眺めるのが良いかもしれません。

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地元の食と言えば呼子のイカ。薄造りの刺し身やイカしゅうまいなど土地の味を楽しむ。

青木が療養した古湯温泉

唐津駅から車で約1時間、佐賀駅からなら約30分のところにある温泉郷「古湯温泉」。昔から湯治場として知られています。青木は亡くなる半年前の1910年9月頃、かっ血したことをきっかけに療養を勧められこの地に数週間滞在。そのときの宿「扇屋」が今も残っています。明治18年から続く宿で歌人・斎藤茂吉もとう留したことで知られています。

おかみさんに聞きました。「その頃はまだ各宿に温泉は引いていなかったのです。2か所温泉があって、そのどちらかにつかって、周りの宿に泊まるというものでした。その当時の扇屋の建物が現在もはなれとして保存されています(注)。最初は青木さんもそちらにお泊りだったんですが、お金がないのがわかって途中から布団部屋に移されたと伝え聞いています」
注……柱や欄間の一部は明治時代のものを移築して使っているが全体は昭和に建て替えられたものです。

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古くからの湯治場として知られる「古湯温泉」。最近では映画祭なども行っている。

実際にお湯につかってみました。古湯温泉の特徴は「ぬる湯」と言って38度程度で長湯に向いています。のぼせることなくいつまででも入っていられます。山あいの景色もすばらしい。何でも、昔の人はこちらに徒歩もしくは馬車で来たそうですよ。

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「斎藤茂吉が泊まったはなれ」として公開しているが、青木繁が泊まった部屋でもある。

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はなれは宿の方にお願いすれば見せてもらうことが可能。

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長湯できて癖になる「ぬる湯」。 

佐賀・青木が画会を開いた宿 

古湯温泉から車で佐賀駅へ。駅から南へ約1キロ、1910年4月に青木が画会(展示即売会)を開いた場所として知られる曙旅館は今も「旅館あけぼの」として営業中です。画家が亡くなって100年以上が経過した今もなお、ゆかりの宿が残っていて宿泊することができるのも旅の楽しみでしょう。

九州放浪時代、青木は多くの人にサポートされていたようですが、そのひとりが地元の有力代議士・西英太郎でした。青木繁が催した画会は、西が全面的に後援してくれたおかげもあって盛況、作品はほぼ完売だったと言われています。しかし久しぶりにまとまったお金が手に入ると青木は遊興と酒に浪費し、たちまち数か月でもとの無一文に……。

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青木が佐賀で画会を開いた宿。現在も旅館として営業中。

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「青木繁を語り尽くす会」など青木にまつわるイベントも開催しており、ファンが定期的に集う宿でもある。

宿にも迷惑をかけたようで、同年の8月末までとう留していた曙旅館でも終盤の宿代や飲食費は未払いだったとのこと。そのため宿側が担保として差し押さえたのが青木晩年の作品「温泉」で、しばらくこの宿に掛かっていたそうです。無銭飲食で、警察にも訴えられていたことがわかっています。

最終的には青木の旧友であり、また青木の死後遺作の保護に尽力した梅野満雄が、宿に未払い代金を立て替え払いすることで解決したとか。なお、このとき曙旅館が梅野に渡した領収書や未払い分の明細書が、長野県にある梅野記念絵画館・ふれあい館に保管されています。(このミュージアムには青木繁のスケッチが多くあります。)

佐賀県立美術館で青木繁の絶筆に対面

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佐賀県立美術館。絶筆「朝日」をはじめ4点の青木作品が収蔵されている。

佐賀県立美術館には佐賀出身の近代洋画家・岡田三郎助を紹介する常設展示室があるのですが、現在の展示では同時期の洋画家として青木繁の「朝日」(1910年、小城高等学校同窓会黄城会蔵[寄託])と「繊月帰舟(せんげつきしゅう)」(1910年、個人蔵[寄託])も紹介されています。今年の11月5日まで展示されるとのことです。

青木の絶筆と伝えられる「朝日」は、結核で病状悪化して入院した後、やはり青木の旧友・平島信が当時勤務していた小城中学校(現・佐賀県立小城高等学校)にお願いして購入してもらったという経緯があるため、今も所有は同校の同窓会です。美術館に管理が寄託されるまでは普通に同窓会館内に掛けてあったのだとか。

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岡田三郎助の画業を紹介する展示室「OKADA-ROOM」。

学芸員さんのコメントです。「昔は、同窓会の時期だけ学校にお戻ししていたと聞いていますが、現在は移動のリスクなどもあるので行っていません。ただし、その時期は出来れば展示するようにしたいと考えています。たまにお電話で『佐賀に帰省するのですが、今展示はされていますか』とお尋ねいただくこともあります」

ちなみに青木の画家人生が暗転するきっかけとなった「わだつみのいろこの宮」三等末席の出来事は前述しましたが、そのときの展覧会で一等を取った画家のひとりが岡田三郎助。青木はその後流浪の途へ。岡田三郎助は画家として確固たる地位を築いていきました。

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青木繁「繊月帰舟(せんげつきしゅう)」(左)と、絶筆の作品「朝日」(右)

「朝日」と題された作品に描かれた、辺り一面を照らす美しい光。しかし画家・青木繁の人生は常に輝かしい光とともにあったわけではありませんでした。唐津から佐賀をめぐる青木繁という画家のドラマを感じる旅、皆さんもいかがでしょうか。

関連情報

◎河村美術館
佐賀県唐津市北城内6-5
JR唐津駅より徒歩12分
開館時間 午前10時~午後5時 土日祝のみ開館

◎古湯温泉
佐賀県佐賀市富士町
(公共交通)JR佐賀駅バスセンターから古湯・北山行きバス、「古湯温泉」下車
(車)佐賀大和ICより車で約20分

◎佐賀県立美術館
佐賀県佐賀市城内1-15-23
(公共交通)JR佐賀駅バスセンターより佐賀市営バスで約15分
「博物館前」下車すぐ(もしくは「サガテレビ前」下車徒歩約2分/「県庁前」下車徒歩約10分)
(車)佐賀大和ICより車で約25分
開館時間 午前9時30分〜午後6時 休館日 月曜