'
日曜美術館サイトにもどる
アートシーンサイトにもどる
2017年4月16日

第41回 チェコへ ミュシャを訪ねる旅

アルフォンス・ミュシャが晩年手がけた壮大な連作絵画「スラヴ叙事詩」全20点がそろって初来日中です。
そこではミュシャと聞いて多くの人が思い浮かべる、優美なパリ時代のアール・ヌーヴォーとは異なる作風が展開されています。
祖国に戻ったミュシャは何を思い、伝えようとしたのか。「スラヴ叙事詩」制作の地・チェコを旅しました。 

mucha_01.jpg
プラハ旧市街にある市民会館の「市長の間」に描かれたミュシャの天井画。

nb414_2.jpg

1.“スラヴ叙事詩が生まれた場所”ズビロフ城へ

mucha_02.jpg
いろんな時代の建物が混在しているズビロフ城。写真中央に見える塔がもっとも古く、12世紀の建造。

まず始めに、チェコの首都プラハから車で高速を西に走ること1時間、ズビロフ城を訪れました。
現在は古城ホテルとして営業していますが、巨大連作絵画「スラヴ叙事詩」は1910年から16年にわたってこの場所を住まい兼アトリエにして制作されました。ミュシャがアトリエにしていたホールは今も健在、見学することが可能です。

mucha_03.jpg
「スラヴ叙事詩」を描くためのアトリエとして使っていた、ズビロフ城のホール。このホールでは、ウェディングもできるそうです。

大きいものでは縦6m☓横8mにも及ぶ「スラヴ叙事詩」のシリーズにはたくさんの人物が描きこまれていますが、ミュシャはズビロフの町の人たちを代わる代わる城に呼んで、民族衣装を着せてポーズもつけて写真を撮影。それをデッサンして絵の中に配置するという制作手法を取っていました。
顔もモデルになった人そのもので描かれています。描かれた本人や家族は「あれ私だよ」「うちの娘だ」などと盛り上がったとか。町の人にとって楽しい体験だったようです。

mucha_04.jpg
ミュシャがズビロフの町の体育館のために描いた垂れ幕。

このホールには現在、ミュシャが描いた垂れ幕が飾られていますが、これは「スラヴ叙事詩」に協力してもらった町の人々へのお礼にミュシャが寄贈したもの。もともと地域の運動施設のために描かれたものですが、年月を経て今はズビロフ城にあります。

また、ズビロフ城の下の階にバーがありますが、その壁にはミュシャが町の人をモデルとして撮影したときの写真が展示されています。「スラヴ叙事詩」と一致する場面のコピーも展示されているので、比べながら見るのが楽しいです。
もちろん、ビール大国として知られるチェコの本場のビールを堪能することもできますよ。

mucha_05.jpg
ズビロフ城の中庭から奥に見える建物に、かつてミュシャが家族と住んでいた。  

雪に覆われた冬に訪れたためプラハから車で1時間ほどかかりましたが、春や夏ならもっと早く着けるでしょう。プラハっ子は気軽な郊外として足を運ぶそうです。緑の大平原の景色も美しいに違いありません。

mucha_06.jpg
城の回りにはブドウ畑もある。春になると緑の平原が美しい。

2.プラハ市内へ

mucha_07.jpg
町の色の淡い調子がミュシャの「スラヴ叙事詩」の色を連想させる。薄暮に染まるブルタヴァ川。

プラハは世界最古にして最大の城と言われるプラハ城と旧市街、そしてチェコを代表する作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」でも知られるブルタヴァ川(モルダウ川)などが景色を形づくる大変に美しい町です。 
夕暮れにうっすらとかすみがかかった淡い色彩を見ていると、ミュシャの「スラヴ叙事詩」のそれを思い出させます。

mucha_08.jpg
プラハ旧市街。中央、光のあたっている高い建物が「天文時計」でも知られる旧市庁舎。

プラハ生まれのカール4世(カレル1世)が神聖ローマ帝国皇帝の座に就いた14〜15世紀に一大文化都市として発展しました。今、街を代表する歴史的建造物の多くはこの頃築かれたものです。しかしその一方で、ドイツの影響下に置かれ公用語もドイツ語だったように、自国のアイデンティティーを長年否定されてきました。チェコ語で書かれた聖書が16世紀までなかったというのは象徴的な出来事と言えるでしょう。

mucha_09.jpg
プラハ城とカレル橋。カレル橋はカレル1世の名から取られている。

3.市民会館

20世紀になってもそれは続きました。そんな中にあって「祖国の文化復興」を願ってつくられたのが市民会館でした。ここが完成した6年後の1918年、新たな国家チェコスロバキアが誕生しています。

mucha_10.jpg
プラハ旧市街の中にある市民会館。 

この中にある「市長の間」の天井画をミュシャが手がけています。パリで成功を収めたミュシャが祖国に戻って手がけた最初の作品です。また制作時にはすでに「スラヴ叙事詩」の構想も固まっていたとのことで、「市長の間」の天井画も同じ世界観で描かれています。 

「市長の間」は公開はされていませんが、館内ツアーが組まれているので、チケットを買えば一般の人もガイドに付き添われて見ることができます。

mucha_11.jpg
「市長の間」天井画。真ん中にはワシが飛んでいる。

正円の形をした天井画の中央には、大きなワシが描かれています。スラヴ民族の間で文化の守り神と伝えられる存在。その回りを民衆が囲んでいます。

頭に赤い花飾りがつけている女性も見えます。ミュシャがチェコに戻ってから手がけたポスター「ヒヤシンス姫」でも、赤い花飾りを頭につけた様子が印象的ですが、スラヴ民族の女性はお祭りなどでよくつけるとのこと。またミュシャの研究者によればパリ時代と違い、パリで描いた女性よりも顔つきが丸っこくなる“スラヴ顔”だそうです。腕なども、パリのような都会の女性と違ってよく見ると太い。農作業をする人の力強い手です。

mucha_12.jpg
「市長の間」天井画(部分拡大)。

中心を占める民衆を、スラヴ民族の歴史にとって重要な役割を果たした偉人が守護するように周りに配されています。その人物たちは「スラヴ叙事詩」に登場する人々と重なっています。

4. クレメンティヌム内の礼拝堂「鏡の間」/聖ヴィート大聖堂 ミュシャのステンドグラス

mucha_13.jpg
市民会館の近所の「クレメンティヌム 礼拝堂『鏡の間』」でスメタナの演奏を聴く。

ミュシャが「スラヴ叙事詩」を着想するきっかけは、パリからアメリカに移り住んだ後に、スメタナの交響詩『わが祖国』を聴いたことだったと言います。

市民会館近くに、16~18世紀に建設されたヨーロッパでも最大規模の複合建造物クレメンティヌムがあり、その中の礼拝堂で毎週のようにスメタナの演奏があります。1000円くらい払えば観光客もコンサートを聴くことが可能です。

なお、プラハ市内では他に、プラハ城の城内にある聖ヴィート大聖堂で、ミュシャが手掛けたステンドグラスなども見ることができます。

mucha_14.jpg
プラハ城の中でも高い建物で目立つ聖ヴィート大聖堂。その中にミュシャのステンドグラスが。(写真提供=Michal Koža)

5. ミュシャの生まれた町・イヴァンチツェへ

最後はミュシャが生まれた町、イヴァンチツェへ。今回はプラハから車で行きましたが、鉄道ならユーロシティなどの高速鉄道に乗りブルノまで行き、そこからローカル線に乗り換えです。片道4時間くらい。

ミュシャが祖国に戻って活動の拠点にしたのはプラハ、すなわちボヘミア地方と呼ばれるチェコの西側地域ですが、出身は東側のモラヴィア地方。チェコ第2の都「ブルノ」から近いイヴァンチツェという町です。
同じチェコで地域性や文化も若干違っていて、たとえばボヘミアは工業の町というイメージもありますが、モラヴィアはより農村地域の印象です。またチェコのお酒といえばビールを連想される方が多いでしょうが、モラヴィアは温暖で果物がよく獲れることもあってブドウの生産が盛ん。なので、ワインやブランデーといったお酒がよく飲まれます。

6. ミュシャの生家と聖母マリア被昇天教会

mucha_15_2.jpg
聖母マリア被昇天教会。イヴァンチツェのシンボルでもある。

この建物、ミュシャ好きの方なら見覚えがある方もいるのでは? ミュシャがパリ時代に描いた「イヴァンチツェの思い出」という作品の背景にも描かれています。また「スラヴ叙事詩」の中にも「イヴァンチツェの兄弟団学校」という一枚があり、この教会が登場します。

イヴァンチツェの駅から歩いて数分の近さですが、何を隠そう、この教会はミュシャが生まれた家と広場を挟んで向かいにあります。

mucha_16.JPG
教会内を見せてもらいました。

ミュシャの頃と変わらず今も町の教会として使われていますが、席のところにミュシャが子ども時代に残したとされる落書きがあります。アルフォンス・ミュシャのAとMを組み合わせたモノグラムのようになっていて、ミュシャの美の原形を見る思いです。

mucha_17.JPG
教会の座席にミュシャのものと伝えられる落書きが。

向かいのミュシャの生家はイヴァンチツェ博物館として使われており、その中にミュシャ記念ギャラリーがあります。
「スラヴ叙事詩」の下絵が数点収蔵されており見ごたえがあります。原寸ではありませんが、それでも縦が1メートル以上の大きなものです。 

mucha_18_2.jpg
教会の向かいに立つミュシャの生家。建物の一部がミュシャ記念ギャラリーになっている。

「スラヴ叙事詩」の一枚「イヴァンチツェの兄弟団学校」にはチェコ語で初めて印刷されたという聖書を手にして、学校の校庭で人々が平穏に過ごしている様子が描かれています。また絵の中に描かれた、老いた男性に聖書を読み聞かせる少年は、若き日のミュシャ自身をモデルにしていると言われています。
ミュシャの故郷にささぐ思いと、自国の文化を取り戻した誇りと、チェコの美しい景色が一体になった、そんな一枚です。

今回の旅では、ミュシャとその祖国への思いをたどりました。春、草木がもえる美しいチェコの景色をめでながら、旅されてはいかがでしょうか。

住所とアクセス

ズビロフ:
・ズビロフ城(Zámek Zbiroh)
Zbiroh 1, 338 08 Zbiroh
プラハから車で約1時間/または鉄道「Kařez」下車、バスに乗り継ぎ「U Slunce」下車、そこから1km

プラハ:
・プラハ市民会館(Obecní dům)
Náměstí Republiky 5,111 21 Praha 1
地下鉄B線・トラム・バス「Náměstí Republiky」下車

・クレメンティヌム内の礼拝堂「鏡の間」(Zrcadlová kaple /Klementinum)
Křižovnická 190 Karlova 1 Mariánské nám. 5 Praha 1
地下鉄A線・トラム「Staroměstská」下車

・聖ヴィート大聖堂(Katedrála svatého Víta)
Pražský hrad III. nádvoří 48/2,119 01 Praha 1
トラム「Pražský hrad」下車、徒歩3分/地下鉄A線「Malostranská」下車

イヴァンチツェ:
・聖母マリア被昇天教会 (Kostel Nanebevzetí Panny Marie)
Palackého nám. 188/18, Ivančice
プラハから車で約3時間/またはプラハから高速鉄道(ユーロシティもしくはレイルジェット)で「Brno」下車、チェコ国営鉄道で「Moravské Bránice」駅乗り換え、「Ivančice」下車

・ミュシャ記念ギャラリー(イヴァンチツェ美術館別館) (Galerii Památníku Alfonse Muchy /Muzeum v Ivančicích)
Palackého nám. 9th, Ivančice
プラハから車で約3時間/またはプラハから高速鉄道(ユーロシティもしくはレイルジェット)で「Brno」下車、チェコ国営鉄道で「Moravské Bránice」駅乗り換え、「Ivančice」下車

展覧会情報

東京・六本木の国立新美術館で「ミュシャ展」が開催中です。2017年6月5日まで。