災害列島 命を守る情報サイト

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台風 教訓 支援

もうこの家では暮らせない…房総半島台風の被害

壊れた屋根にブルーシートがはられたままの家々。いまだに残っているとは、1年前には想像もしていませんでした。
去年9月、千葉県を襲った台風15号では、8万1000棟を超える住宅に被害が出ました。久しぶりに被災した町を訪れた私が見たのは、修理されないままの家に様々な思いで住み続ける人たち、そして、家を壊し街を離れることを決断した人たちでした。(千葉放送局記者 尾垣和幸)

2020年9月に放送されたニュースの内容です

目次

    被災者は言った「テレビで話題にならないでしょ」

    私が台風15号の被災地、千葉県南部に入ったのは、被害が出た翌日です。街を車で通ったり歩いたりするたびに見られる、屋根瓦のなくなった家々。被害が千葉・房総半島全体に広がっていることに、がく然としました。

    なんとかこの被害を伝えようと取材に駆け回る日々。しかしSNSには「メディアは被災地の状況を伝えていない」という投稿が相次いでいました。

    申し訳なさと悔しさを感じる中、被災者への取材で心に残った言葉があります。ぽたぽたと雨水がしみ出す家で、家主の女性が諦め顔でつぶやいた言葉です。

    「洪水で家が流れたわけじゃないし、住もうと思えば住める。
    こんなんじゃテレビでも話題にはならないでしょ」

    その言葉にショックを受けながらも、伝えるべきことを伝えなければと、取材を続けました。

    ただ、ことしに入って、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言などで、一時は現地に足を運ぶことも難しくなります。

    電話での取材では、復旧に影響が出ているという話しも聞いていましたが、ことし8月、被害の大きかった千葉県鋸南町をたずねることができました。

    1年たってもブルーシートが…

    「まだブルーシートの家が残っている」

    目にしたのは、深刻な現状でした。
    被災地は、台風被害から1年たっても多くの家で、屋根や壁にシートがはられたままだったのです。

    シートで雨風をしのいだ1年

    そのうちの1軒で声をかけると、初対面にもかかわらず男性が家に招き入れてくれました。

    「2階はもうこんな状態です」

    案内されて上がった階段の先の状況を見て、思わず息をのみました。

    大きく崩れた壁は骨組みがむき出しで、かろうじてシートで覆われてはいますが、天井まで大きく垂れ下がっています。修理されないまま、去年9月に被災した現場がそのまま残っていました。

    この家で1人で暮らす船田鉄舟さん、70歳。

    船田さんはぽつりぽつりと、ここまでに至る経緯を話してくれました。

    自衛隊やボランティアの手を借りて屋根にシートを張ってもらい、何とか雨風をしのいで1階で生活してきました。修理したいと思いつつ、お金がなくて直せないまま気が付いたら1年がたってしまったのです。

    「この家では暮らせない」 街を離れる決断

    もうこの家では暮らせない。

    しかしふんぎりがつかなかったのは、亡き母親が苦労して建てた家だったからです。父親が亡くなったあと、看護師として働き借金をして家を建ててくれました。

    船田さん
    「おふくろが建てた家だから、やっぱりおふくろのことを思うと、離れたくないなと思う気持ちはありますよね」

    しかし、船田さんはこの1年を節目に、家を離れる決断をしました。

    「そんなこんなで、やむにやまれず引っ越しです」

    修理進まず 被害が徐々に…

    この1年の間に、被害がさらに悪化してしまった人も少なくありません。

    話を聞かせてもらったのは網代彌壽雄さん、78歳です。
    住宅は、母屋と離れ、いずれも屋根瓦の8割ほどが吹き飛んだうえ、ほとんどの窓ガラスが割れました。「半壊」と認定され、すぐに業者にブルーシートを張ってもらいましたが、再び来た1か月後の台風でほとんどがはがれてしまいました。

    雨漏りが続き、被災直後は何ともなかった天井は大きく垂れ下がり、屋根裏にはカビが広がりました。

    網代さん
    「もうちょっと早く対処していれば、こんなにはならなかったんじゃないかとは思いますけどね」

    修理費は約360万円 家を修理できない

    網代さんは地元の修理業者を探しましたが、依頼が殺到していてすぐに受け付けてもらえませんでした。

    ようやく見積もりをしてくれる業者が見つかりましたがことし8月に届いた見積もり書では、屋根と雨戸の修理だけで360万円近く。

    この1年で被害が悪化し、その分修理費も高額になってしまったのです。

    業者の見積もり書

    公的な支援は約60万円のみ。

    家業の釣舟屋は収入が不安定で、貯蓄にゆとりはありません。
    結局、離れは解体し、母屋の屋根や雨戸など必要最低限だけ修理して、家族で生活していくことを決めました。

    鋸南町では、1年がたっても、修理を希望している住宅の36%しか工事が完了していません。

    その間にも家の劣化はどんどん進んでいくのです。

    5分の1が解体された地区も

    町でも被害が大きかったのが、海に面する岩井袋地区です。

    地区の風景は、被害の発生当初と比べて一変していました。
    点々と目立つ空き地。壊れた家の多くが、解体されてしまっていました。120棟あった住宅のうち、5分の1ほどにあたる25棟が解体。以前話を聞かせてもらった人の家を訪ねましたが、なくなっていました。

    空き地が目立つ岩井袋地区

    ブルーシートがかかったままの家に住む60代の女性は修理代金をだまし取られる詐欺事件が起きていると聞き、修理の依頼すら怖くなってしまいました。

    60代の女性
    「解体しても高齢の母を抱えてどこに行けばいいか分からない。
    修理が遅れているのが恥ずかしくて、人に相談するのもためらいます」

    1年がたち、助けてほしいという声すらあげることのできない人達がいつの間にかとりこぼされてしまっているのではないかと感じました。

    いよいよ町を離れる日

    9月になり、家の解体を決めた船田鉄舟さんが、いよいよ町を離れる日がやってきました。

    町の外の福祉施設に入り、共同生活を送ることになるため、持って行けるのは身の回りの物だけ。
    母親の遺影も持っていけません。

    船田さん
    「寂しいですね。
    何とも言えないです、寂しくて」

    船田さんの自宅は近く解体されます。
    鋸南町では、「半壊」以上の被害があった住宅のうち、3分の1が解体を避けられない状態になっています。

    「忘れられるのが不安」 ボランティアの模索

    築100年近い建物の屋根に3人がかりでシートを張っている現場。今町を支えているのはこうしたボランティアの人たちです。

    この日は傷んできたブルーシートを耐久性の高いシートに張り替えてなんとか被害の悪化を食い止めようとしていました。

    家主の男性
    「何回も面倒見てもらって、ありがたいですね」

    ボランティアと家主の男性

    作業をしてきた家屋は、延べ約2600棟。

    しかし、新型コロナウイルスの影響で、町外からの応援を呼ぶことが難しく、活動しているボランティアは現在、地元の人など10人ほどしかいません。

    ボランティア団体「Revive」代表 渋谷健太さん

    渋谷さん
    「全国各地で災害が発生しているなか、鋸南町のような小さな町は忘れられてしまうのではないかと不安です。
    でも、まだ、災害は続いているんです」

    「つながりを絶やさないことが大事」

    復興から取り残される人たちをどう支援していくのか、試行錯誤の中で、あるボランティア団体が、始めているのが足湯の取り組みです。

    お湯をためたおけに足を入れてもらい、リラックスしてもらいながら、被災した人たちの相談に乗っています。せきをしている高齢女性がいたため、自宅に案内してもらったところ、家の中はカビだらけになっていました。

    ボランティア団体「鋸南復興アクセラレーション」副代表 笹生さなえさん

    笹生さん
    「住民も少なくなってしまっているなかで、地域のつながりを生み出す取り組みになってほしい。行政に求めることもたくさんありますが、こうしたつながりを絶やさないことが、まずは大事だと思います」

    いまなにができるのか

    解体が続き空き地が増えていく。

    こうした事態は台風直後から多くの人が心配していたことでした。
    そして、それがいま現実になっています。

    災害の専門家も、台風15号の被害の教訓を、これからの被災者支援に生かす必要があるといいます。

    防災に詳しい東京経済大学 吉井博明名誉教授

    吉井名誉教授
    「外部から業者がすぐに派遣されてくるような仕組みを、あらかじめ都道府県どうしが協定を結んで作っておくべき。また屋根が壊れてしまい、日に日に被害が悪化していく災害を、国の支援制度は想定していない。被災者から要請があれば、被害状況を再び調べて、それに見あった公的な支援を行っていかなくてはいけない」

    「災害は今も続いている」

    取材の中で、台風15号から1年たっても復興にはほど遠い被災地の現状が見えてきました。

    ーー1年は節目でもなんでもない。災害は今も続いている。

    今の私の実感です。

    このことを胸に刻み、これからも取材を続けていきます。

    尾垣和幸
    千葉放送局記者
    尾垣和幸

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