500年以上の歴史があり、世界中に愛好家がいるスコッチウイスキー。歴史と伝統、なんとなく重々しいイメージがありませんか?
そんなウイスキー業界で今、これまでにないスコッチウイスキーを作ろうという動きが広がっています。2020年には初出荷なのに、チャリティーオークションで1本600万円の値をつける銘柄も登場しました。
(ロンドン支局長 向井麻里)
※この記事は2021年11月18日に公開したものです
今も昔も変わらない“命の水”
スコッチウイスキーの産地はイギリス北部のスコットランドです。
その最大都市グラスゴーのウイスキーパブをたずねました。
バーにはスコットランド各地で作られたウイスキーがずらりと並んでいます。平日夜の比較的早い時間でしたが、多くの人でにぎわっていました。
この日は、ウイスキーのテイスティングイベントが開かれていました。
参加者は味わいや香りが異なるウイスキーを飲み比べ、その歴史や背景について説明を聞きながら、グラスを傾けていました。
私が日本人だとわかると参加者の1人が「日本のウイスキーもいいね」と話しかけてきました。
もちろん、そのあとには地元のウイスキーのことを誇らしげに語る言葉が続きます。
「スコッチには歴史も伝統もある。スコットランドのことばで、ウシュク・べーハ=命の水と言うんだ」
スコッチウイスキーを名乗ることができるのは、大麦などの穀物、水、それに酵母を使ってスコットランドで生産されたものだけです。
政府の規則では、3年間はたるで熟成させることが定められていて、イギリスの代表的な輸出品です。
スコッチウイスキーのつづりはWhisky。
アメリカやアイルランドのWhiskeyとは違っていて、そんな部分にもこだわりがかいま見えます。
スコッチウイスキーが直面する現実
そのスコッチウイスキーも、世界的に強まる脱炭素の流れとは無関係ではいられません。
ウイスキーは水をはじめとする豊かな自然から生み出される一方で、蒸留する際に、石油やガスといった化石燃料を燃焼させることで温室効果ガスを排出しているため、気候変動に対処する責任も負っているのです。
消費者も、環境への取り組みを厳しく見定めるようになっています。
グレアム・リトルジョン氏
「近年、世界中のスコッチウイスキーの愛好者たちは、持続可能な方法で作られたウイスキーを楽しみたいと思っています。そして自然を守っていると感じたいのです」
スコッチウイスキー協会は、温室効果ガスを2040年までに実質ゼロとする目標を設定。
昔ながらの蒸留所にとっては設備投資などに費用がかかるという課題もあり、試行錯誤が続いています。
1本600万円!業界に新たな風
そんなウイスキー業界で、新たな風を感じさせるできごとがありました。
「ナクニアン蒸留所」というできたばかりの蒸留所が2020年、初めて出荷したウイスキーが、チャリティーオークションで4万1004ポンド(約630万円)で落札されたのです。
背景には環境へのこだわりがありました。
オーガニックの大麦を使いフルーティーなフレーバーが特徴のこのウイスキー。
最大の特徴は製造段階での温室効果ガスが実質ゼロだという点です。
蒸留所を経営するアナベル・トーマスさん(38)は、スコットランド出身ではなく、ウイスキー製造の経験もありません。
ただ、家族が所有していた農場がスコットランドにあり、地元に根ざしたウイスキーづくりは、昔からの夢でした。
アナベルさんは2013年、コンサルタントとしての仕事を辞め、アイラ島などスコットランド各地の蒸留所をめぐりウイスキー作りのリサーチを進めました。
そして、2017年、数々の個性あるウイスキーを生み出していることで知られるハイランド地方に自身の蒸留所を設けました。
アナベルさんが強い関心を持っていた「環境」というファクターは、当時のウイスキー業界ではそこまで浸透しておらず、伝統的な業界であっても新たな分野として開拓できると感じたといいます。
アナベル・トーマスさん
「スコッチの新たな可能性を広げ、これまでと違ったことを探っていきたいです。私たちのスタッフの中でウイスキー蒸留の経験がある人は1人だけです。多様な人たちが加われば、いろんなアイデアが出てくるし、ビジネスにとってとてもいいことです」
環境にやさしいウイスキーって?
温室効果ガスをほぼゼロにするため、燃料に活用するのが木材チップです。
燃焼によって排出される分の二酸化炭素は、新たに木を植えることで吸収できるからです。
このため、木材チップを燃料にするボイラーを導入し、蒸留の工程の90%で利用することにしました。
残りの10%は再生可能エネルギーによる電力でまかないます。
ボトルには100%のリサイクルガラスを使っています。
通常のガラスよりも、生産や流通の過程で排出される温室効果ガスを40%削減できるとしています。
こうした色つきのボトル、よく見ると小さな気泡もあり、それが味わいをかもし出しています。
ただ、どっしりとした高級感ある透明なボトルを使うのが定番であるだけにリサイクルガラスのボトルは当初は驚きをもって受け止められ、「うまくいかないだろう」などという反応が多かったといいます。
「環境」投資は大きく変化
資金集めに2年、蒸留所の建設にさらに2年を費やし、実際に蒸留を始めたのは2017年です。
スコッチウイスキーは、蒸留してから3年間はたるで熟成させなくてはいけませんから、伝統の製造方法による最初のウイスキーが完成するまで、7年もかかったことになります。
アナベルさんが資金集めをしていた2015年ごろは、環境にやさしいウイスキーへの投資で十分な利益が得られるのか、投資家から厳しく問われたといいます。
ところが2020年に資金集めをした際には、「環境」がキーワードになって、新たな投資まで呼び込むことができ、アナベルさんは「環境」や「持続可能性」への関心や理解が、5年でここまで変わるのかと驚いたということです。
まだまだ先は長いけれど
ただ、課題は山積しています。
そのひとつが、商品の輸送です。
重たいボトルを車や船などを使って長い距離を輸送すれば、多くの温室効果ガスが排出されます。
環境に配慮して作ったウイスキーでも、それでは意味がありません。
このため、アナベルさんは現時点で販売をヨーロッパ内に限定しています。
アナベル・トーマスさん
「そのうち日本など世界各地でも販売したい。でも今はまだ無理ですね」
話題は集めたものの、まだビジネスは始まったばかり。
黒字化するには少なくとも数年はかかると現状を冷静にとらえています。
スコッチウイスキーの業界では、ほかにもさまざまな取り組みが進んでいます。
大手酒類メーカーは、有名ブランド「ジョニーウォーカー」で紙製のボトルを導入することを発表しているほか、そのほかの蒸留所でも、バイオ燃料を使ったボイラーを利用する動きが出ています。
伝統、そして世界的な知名度に甘んじることなく、新たな可能性を探る動きは確実に広がっています。