黒石寺蘇民祭 なぜ絶える? 信仰を守り抜くための決断

黒石寺蘇民祭 なぜ絶える? 信仰を守り抜くための決断
厳冬の真夜中、裸の男たちが「蘇民袋」を奪い合い五穀豊穣や無病息災を祈るお祭り「蘇民祭」。

1000年以上続くとされる伝統の祭りだったが、担い手不足から、ことし2月を最後に、惜しまれながら歴史に幕を閉じた。

なぜ終了を決断せねばならなかったのか。取材を進めると、裸の男たちが躍動する場面とは別のところに祭りの“核”があり、守り抜いてきた信仰を大切に思うからこそ、そう決断をせざるをえなかった実情が見えてきた。
(盛岡放送局 ディレクター 山本恭一郎)

黒石寺蘇民祭、終了の衝撃

岩手県奥州市水沢。県の中央を縦断する大河、北上川沿いに位置するのが妙見山黒石寺だ。

開山は平泉の中尊寺や毛越寺よりも古く、東北随一の歴史を誇る黒石寺。

この寺で2月17日、1000年以上続くとされるある祭りの歴史が幕を閉じた。
黒石寺蘇民祭。厳冬の真夜中、裸の男たちが「蘇民袋」を奪い合い五穀豊穣や無病息災を祈るお祭りだ。

メディアでも度々取り上げられ、近年では黒石町の人口900人の3倍以上、3000人が全国・全世界から集まり、その活気は衰えるところを知らなかった。

しかし黒石寺の住職は昨年の12月、突如として祭りの終了を宣言。大きな衝撃が走った。
会見で住職が語ったのは、祭りの担い手が高齢化し、人手が足りないという実情だった。

しかし、あれだけの参加者と活気のある祭り。若い担い手は集めようと思えばいくらでも集めることは可能なのではないか?

秘められた「仏の遣い」たちの存在

私たちが問いをぶつけたのは、他ならぬ黒石寺蘇民祭の終了を決断した藤波大吾住職(41)。

2018年から先代を引き継いで黒石寺の住職となった。
藤波住職によれば、蘇民祭の「核」は裸の男たちが躍動する場面とは別にあるという。
黒石寺 藤波大吾住職
「確かにお祭りに来てくださる方、関わってくださる方は多いです。けれどお祭りの核を担ってくれる人がいない。そこは替えがきかない部分なんです。例えばお祭りの前から、儀式に使う木を山から切ってくるとか、蘇民袋を作るとか、袋の中に入れるお守りを作る、そういう外には見えない作業をしている人たちがいます」
住職がいう「核」を担うのは、黒石寺の檀家たちだ。

黒石寺の檀家は14軒と少なく、さらにそのなかでも「門前」と呼ばれる10軒の檀家たちが主となってこの核の部分を担ってきたという。
例えば、お立木(おたてぎ)という儀式がある。

寺近くの山から木を切り出し、高さ3mほどの竹を真ん中にして、周囲を木でぐるりと囲む。

それを12周、縄で縛って固定する。

お立木には「ここで蘇民祭を開催する」というしるしの意味や、神が宿る場所としての意味合いがあるという。

これは祭りの1か月以上前に行われる儀式だが、こうした儀式を行うのも檀家の仕事だ。
「蘇民祭で仏様の前に出るというのはそれなりの準備と覚悟が必要です。いろいろなものを整え、心を落ち着けることができてようやく仏様と対話ができる。そういう意味で過程の儀式、準備というものが信仰の上で核になると考えています」
その儀式を担う檀家たちはいったいどんな存在なのか。

そして「その仕事には替えがきかない」とはどんな意味なのか。

藤波住職によれば、黒石寺の檀家たちは毎年の蘇民祭報道と打って変わってほとんどメディアに出てこなかった存在だという。

恐る恐る住職を通して檀家への取材を依頼すると、インタビューの了解を得ることができた。

「仏の遣い」と対面する

お祭り当日からさかのぼること1か月前。
私たちは黒石寺の境内から目と鼻の先にある檀家の家を訪れた。

今回、取材に応じてくれたのは10軒の檀家を束ねる存在である、檀家総代の渡邉章さん(78)。
渡邉家は代々黒石寺の檀家で、章さんが8代目。小さいころから自分たちは「仏の遣い」だと言われて育ったという。
渡邉章さん
「親世代の背中をみて、こういうふうに仏様に遣えているんだなと。黒石寺の檀家は信仰を親から子、孫へと受け継いでやってきました」
仏に遣えるために檀家たちが特に大切にしたのは、祭り1週間前から行われる「御精進」というものだ。
「肉・魚は当然口にしてはだめです。それから今日のようにお客を家の中に入れるということもしません。御精進をしていない人を家に入れて、“火”が混じってしまうとまずい」
蘇民祭では火を神聖なものとしてあがめる。

御精進をしている家の火と、していない家の火は混じらない様に別けなければならないという。いわゆる別火精進と呼ばれるものだ。

御精進をしていない家で沸かされた湯やタバコ火をもらうことも禁じられたという。

厳しい信仰を守り継いできた渡邉さん。祭りを継続するために外から檀家を手伝う提案も受けたが、それを了承することができなかった。
「毎年毎年、御精進をして身を清めているからこそ、作ったお守りをお薬師様に上げることができる。外から人を入れてお守りを作ってお薬師様に持っていったとしても、それはお寺自体も受け付けないと思います」
代々、こうした儀式の仕事は檀家10軒のみに割り振られ、親から子に口伝のみで受け継がれてきた。
その仕事を担う檀家が高齢化するとともに、10軒の半数近くに跡取りがいないという現状がある。
檀家の中での継承ができなければ蘇民祭は終了せざるを得ない運命にあったのだ。

1000年も続いてきたお祭りを途絶えさせるのは、あまりにも残念だ。そして排他的だという意見もあるかもしれない。
しかし仮に、来年から檀家がやってきた儀式を崩してでも祭りの継続を優先させるとしたら。
檀家の立場を想像すると「それでは、いままで何代にもわたって厳しい信仰を引き継いできた努力はなんだったのか?」という思いが起こるのを推察せざるを得ない。

今回の終了の判断は、むろん蘇民祭を粗末に扱った結果ではなく、むしろこれまで守り抜いてきた信仰心への矜持、信仰を大切に思うからこそ、断腸の思いで決断したのではないかと感じた。

千年の祭りが終了、その先は。

2024年2月17日。

例年以上の参加者、多数のメディアで境内はごった返した。
蘇民祭は通常よりも短縮した形で行われ、17日の深夜に終了。千年の祭りはその歴史に幕を下ろした。

翌18日の朝8時。
多数の人が訪れたことで黒石寺の本堂は泥と砂で汚れていた。

その汚れを檀家総代・渡邉章さんが掃除していた。
「最後だからといって特別なことはなかったですよ。いつも通りです」
意外にも冷静な反応にどぎまぎしていると、最後に渡邉さんはこうつぶやいた。
「でも、語り継がれていくのではないですか。このお祭りは」
来年から今の形での黒石寺蘇民祭は行われない。

だが寺と檀家たちは護摩祈祷など、できうる限りの儀式と信仰をこれからも続けていくのだという。

黒石寺蘇民祭が終了したあとの未来。その継承はどのように行われていくのか。新しい課題が私たちに投げかけられている。

(この記事は2月16日に放送された、いわチャン「千年の祭りが絶えるとき~最後の黒石寺蘇民祭~」の放送内容をもとに執筆しています)
盛岡放送局 ディレクター
山本恭一郎
2019年入局
文化福祉番組部を経て、現所属