ページの本文へ

NHK名古屋のおすすめ

  1. NHK名古屋
  2. 名古屋のおすすめ
  3. 根尾昂 中日ドラゴンズ 5年目今季を激白 「悔しさの日々だった」

根尾昂 中日ドラゴンズ 5年目今季を激白 「悔しさの日々だった」

  • 2023年12月04日

 

中日ドラゴンズの根尾昂投手は大阪桐蔭高校時代に甲子園で春夏連覇を達成。ドラフト会議では4球団競合の末、野手としてドラフト1位で入団した。その後、極めて異例となる投手への転向を決断。悔しい成績しか残せないまま5年目の今季を終えたが、ことし9月末に巡ってきた初先発では本拠地で起きる大歓声の中で7回途中を自責点ゼロと好投。改めて大舞台で活躍したいという思いを強くした。根尾投手に来季への覚悟を聞いた。
(NHK名古屋放送局 ドラゴンズ担当記者 猪飼蒼梧)

“甲子園のヒーロー” 5年目の現在地は?

根尾昂“選手”は大阪桐蔭高校時代、抜群の野球センスを発揮して1年生からメンバーに入った。そして2年春から4回連続で甲子園に出場し、3年生ではショートとピッチャーという重要なポジションを務めて春夏連覇を達成。大会後には高校日本代表にも選ばれた。しなやかなスイングから広角に打ち分けるバッティングに加え、内外野を守れる高い守備力、ピッチャーとしても最速150キロのストレートを投げることができたため、この世代で最高の選手の1人という高い評価を受けた。

甲子園で春夏連覇を達成し喜ぶ根尾選手(2018年8月)

ドラフト会議ではドラゴンズのほかに日本ハム、巨人、ヤクルトの計4球団競合の末、ドラゴンズへの入団が決まった。そして球団に「ショート1本で」と直訴し、2019年にプロ生活をスタートさせた。

入団会見でポーズを取る根尾選手(2018年12月)

周囲の大きな期待とは裏腹に、根尾選手はプロの大きな壁にぶち当たった。入団から3年間の出場は主にショートとして83試合、通算打率は1割台とチームの戦力になることができなかったのだ。そして4年目の2022年3月、新たに就任した立浪和義監督がシーズン開幕前に根尾選手を外野手にコンバートした。外野手としても結果を残すことができず、6月にはピッチャーに異例の転向をしたのだ。「前年のシーズン終わりからピッチャー転向の話があった。このタイミングになったという感じ」と突然の話ではなかったと明かした。2022年のシーズンは主にリリーフとして25試合に登板して0勝0敗で防御率3.14。契約更改交渉後の会見では「先発をやりたい。開幕ローテーションに入ることが目標」と力強く抱負を口にした。

投手転向2年目はキャンプから試練の連続 

根尾投手は5年目の今シーズン、初めて1年間ピッチャーとしてプレーした。しかし2月に行われた沖縄県読谷村での2軍の春季キャンプから1つの課題が浮かび上がっていた。コントロールが定まらないのだ。キャンプ4日目に初めて打撃練習でマウンドに立ったが、ボールを野手の体に当てたり、顔の近くをボールがかすめたりした。バッターのための練習でバッターが半分以上のボールを振ることができなかった。キャンプを通してこうした状態が続いたため、全体練習を離れて個別のメニューが組まれることもあった。

2月の春季キャンプで打撃練習に登板した根尾投手(2023年2月)

シーズンも2軍スタートになり、5月下旬から間隔を空けながら先発したが、コントロール難は解消されなかった。2軍の成績は23試合(先発9試合)の登板で0勝7敗、防御率3.43。76イニングを投げて与えたフォアボールは45個に上った。

根尾投手
ずっと2軍にいて悔しい経験や苦い経験をすることがすごく多かった1年ですし、この1年間の反省や経験を生かして来年しっかり取り組みたいなという、そんな1年になりました。先発を1か月で3回か4回やった中で、初めて体もそういう経験をするわけですし、そこで自分の体の状態だったり、実際もっとこうしたほうがいいなということを投げながら勉強する日々でした。

2軍の試合で登板した根尾投手(2023年6月)

シーズン終盤に巡ってきた1軍マウンド

根尾投手の2軍成績は悔しさの残るものだったが、1軍がクライマックスシリーズ進出が絶望的となる中、9月18日の広島戦で先発登板のチャンスが巡ってきた。根尾投手の今シーズン初先発を見届けようと本拠地のバンテリンドーム ナゴヤは3万6000人を超えるファンで埋め尽くされた。記者席で取材をしていた私はスタンドからマウンドに注がれるファンの期待度が明らかに違うと感じた。『根尾なら何かやってくれるんじゃないか?』というスター候補生への熱いまなざしとも言えようか。根尾投手自身もそれを感じていた。

根尾投手
バンテリンドームのファンの声援はものすごい声援ですし、より試合に集中できるというか後押しされました。

根尾投手は1回、先頭をフォアボールで出し、コントロールに不安をのぞかせたが、後続の3人は140キロ台後半のストレートを軸に打たせて取った。勢いに乗って序盤3回まではノーヒットピッチング。そして4回の第2打席では、今季初めて打席に立った試合とは思えない鋭いスイングでライト前に打球を運び、スタンドからひときわ大きい歓声があがった。その後、マウンドでは中盤の4回から6回に毎回ヒットを1本ずつ打たれたが、得点圏にランナーを進ませず危なげない内容だった。また12球団ワーストといえる打線もこの試合はつながって6回までに6点をあげて援護した。最終的には根尾投手が7回途中でマウンドを降り、リリーフ陣もリードを守れず、根尾投手のプロ初勝利は幻に。それでも自責点ゼロとファンの期待には応えた。

今季初先発の広島戦で力投する根尾投手(2023年9月18日)

根尾投手
最初にフォアボールを出してしまいましたが修正できたし、うまいことかみあったなという感じでした。ことしはナゴヤドームは1回しかなかったですけど、もっともっとこの声援を浴びたいなと思いましたし、この声援の中でもっと結果を出したいなというような気持ちでした。ヒットを打つことができたのはたまたまだと思います。

12日後の9月30日に東京ドームで行われた巨人戦で2回目の先発。同期入団の戸郷翔征投手と投げ合い6回1失点の好投を見せた。1軍2試合での成績は12回と3分の2イニングで防御率0.71。来シーズンにつながる形で5年目のシーズンを終えたが、そうした余韻には全く浸っていないという。

根尾投手
東京ドームの試合を終えて、僕のシーズンはそこで昨シーズンは終わっていて次の日から2024年シーズンに向けてのオフシーズンは始まっていて、ここまでしっかり準備できています。
(記者)
この2試合の登板で何を得たのか?
根尾投手
試合に勝つためには無失点で終えることが大事だということです。味方のミスや僕のフォアボールから点が入ったりする中でどうしても常にゼロにはならない。それでも自分にできることはしっかり集中してフォアボールを出さずに最少失点で抑えるのが大切だということです。そこは1軍の試合をずっと見ていても思いましたし、自分が投げた試合でもすごく感じました。

勝負の6年目 先発ローテーション入りへ 自身と向き合う

11月に名古屋市で行われた秋のキャンプ。6年目となる来季は開幕から1軍定着を目指し投球フォームの見直しに取り組んだ。投手陣は1日の半分は自由に練習メニューを決めることができる。この時間に行っていたのがやり投げやハンドボール投げの練習だ。WBC日本代表の山本由伸投手やチームメートの髙橋宏斗投手が行っていたことから取り入れたという。 

野球の練習用に作られた『やり』を使った

狙いはコントロールや球威などあらゆる面でのボールの質の向上だ。やりやハンドボールをより遠くに投げるには肩とひじだけに頼らず、胸筋や背筋など全身の筋肉をしっかり使った上でスムーズな体重移動が求められる。

野球のボールより重く大きいハンドボールでネットスローなどを行った

根尾投手
投げるという能力に対してより技術を上げていきたいというか、体を大きく使うトレーニングをして、なるべく投げることの波を減らしていくことができるようにという目的ですね。1球1球の精度を上げるのが秋のキャンプの目的です。自分のピッチングスタイルをより確立していけるように時間をかけてやれる期間なので、毎日少しでも成長できるように意識しながら練習をこなしています。

来季こそはチームの戦力になり、ファンの期待に応えたい。着実に歩みを進める覚悟だ。

根尾投手
目標はまずは1勝することですね。ことしはプロ初勝利をあげることができなかったので、そこに関しては早くしたいですし、もっともっとローテーションを固めているピッチャーを脅かして、ローテーションを奪い取れるように頑張ります。僕が目指すスタイルはどんどんストライクゾーンの中で勝負していくスタイルです。自分のボールを信じてしっかり投げ込んでいくことを心がけています。

【取材後記】
この記事のインタビュー後に開催されたドラゴンズのファンとの交流イベント。この中で選手参加の紅白戦が行われ、根尾投手の一挙手一投足に注目が集まる中で、左中間にホームランを打った。金属バット使用など通常と異なるルールでの試合だったが、根尾投手はやはりファンを引きつける「何か」を持っていると感じた。担当記者として来年2月のキャンプなどこの先もしっかり追い続けていきたい。

ファンとの交流イベントで行われた紅白戦でホームラン(2023年11月25日)

あわせて読みたい

ほかのおすすめ記事

  • 猪飼蒼梧

    名古屋局 記者

    猪飼蒼梧

    入局5年目。
    ことし8月からドラゴンズ担当。
    小学生のころはテレビで年間100試合以上プロ野球観戦していました。

ページトップに戻る