どうなる保育の質?~求められる現場の負担軽減~
- 2023年06月30日
国が「異次元」と銘打ち、少子化に歯止めをかける政策の一つとして打ち出した保育現場の負担を減らす改善策。しかし、現場をのぞいてみると、予想以上に忙しい保育現場の実態が見えてきた。
(NHK名古屋放送局 鈴木博子)
”余裕”のない保育現場
去年、愛知県一宮市の市立保育所で、1人の園児が意識不明の重体となる事故が発生した。5歳児の子どもたちが園庭で遊んでいた最中に園児2人がぶつかり、1人が地面に頭をたたきつけてしまったのだ。ことし5月に公表された有識者らによる検証報告書では、保育士のゆとりの確保や人的支援が必要とされた。
事故だけではない。保育士の子どもに対する”不適切な保育”という事案も相次いでいる。
不適切な保育とは「子どもの人格を尊重しない関わり」や「物事を強要するような関わり」などと定義されている。
去年4月から12月にかけて全国の自治体が把握した保育所での不適切保育の件数は914件で、そのうちの90件が虐待と認定された。愛知県内の保育所でも60件確認され、そのうちの10件は虐待と認定されている。
こうした事案の背景のひとつとされているのが、保育現場の「余裕のなさ」だ。
現場からは、保育士の業務や精神的な負担の大きさがそうした行為につながっていくという指摘も出ている。
密接に関わる「配置基準」
保育施設には、子どもの年齢に応じて、保育士などの職員の配置に関する基準「配置基準」がある。
国が定めたもので、たとえば1歳児では、6人の子どもに対して保育士1人が必要となり、15人の1歳児がいる園では2.5人。
さらに独自に基準以上の人員を配置している園も少なくない。
それでも余裕がなくなるというのはなぜなのか?
私も1歳の娘を保育所に預けているものの、どのような体制で保育され、日中をどう過ごしているのかまでは知らない。
そこで、ある保育施設の一日の様子を見せてもらうことにした。
トイレに行く間もなく・・・
三重県鈴鹿市にある「ぐみの木ほいくえん」。民間の認可保育所だ。
取材したこの日、「1歳児クラス」は保育士ら3人で9人の子どもを見ていた。
「配置基準」通りだと、必要な保育士は1.5人だが、2倍の人数で対応。
多少は余裕があるのではないかという私の想像はすぐに裏切られた。
午前10時半ごろ、園の外にお散歩。
手押し車で子どもをまとめて運びながら、自分で歩きたい子どもとも手をつないで歩く。
はじめは歩きたい子どもが3人だったため手をつないで歩いていたが・・・。
その後、歩きたいと言う子どもが1人増え、さらに手をつないでいた子どもも自分で歩き出してしまった。
思いのままに歩く子どもにかけよっては連れ戻すことを繰り返し、なんとか手押し車も押しながら、30分かけて園に帰ってきた。
その後は、自由に遊び回れるようにと、園の裏に借りている田んぼで外遊び。
広いスペースで元気よく走り回る子ども達とは裏腹に、保育士は寝てしまった子どもを抱っこしながら走り回る子どもたちに合わせて動き回る。
ちょっと声をかけてみた。
記者
目の前の子どもと遊びながら周りも見ているのですか?
職員
そうですね。でもやっぱり目の前ばかり見ていると・・・ああー!危ない!!
声をかけてしまって申し訳なく感じる場面が何回かあった。
そしてお昼ごはん。ここはさらに想像を超えていた。
保育士
「ここ座って待ってて~!」「お着替えして~!」
子ども
「おかわり!」
「(スプーンが)落ちた!」
「うえーん」
食器や盛り付けの担当に1人、テーブルに座る子どもの食事を見守るのに2人と手分けして動くが、3人とも動きがとまる瞬間がない。
自分で食べられない子どももいれば、たくさん口に詰め込んでむせてしまう子ども、おかわりをお願いする子ども、早めに食べ終わって席を離れようとする子どもも。動き回りながらも、誤飲事故にならないようにと、危ないと感じるとすぐに背中をたたいたり、お茶を飲ませたりしていた。
ご飯が終わった子どもからお昼寝に次々と移っていく。
ようやくひと息、と思ったら、3人のうち1人は、食べこぼしで散乱する床の掃除に。
記者
ご飯のあとの役割分担は必要ですか?
職員
分担しないとお昼寝の時間になっても片付けが残ってしまって、事務作業や休憩も後ろ倒しになってしまいます。職員が3人いてもかなりギリギリで、もし1人でも減ったら分担はできないです。
そして、お昼寝の時間になってもなかなか寝付けない子どもや、まだまだ遊びたい!という子どももいる。
寝入った子どもの呼吸のチェックも重要な仕事だ。
食事と比べて落ち着いた雰囲気が漂っているように見える時間でも、職員たちは気を張っている状況が伝わってきた。
・・・ふと、あることに気がついた。
午前10時から午後1時まで見ていて、保育士らがトイレにいくところを一度も見なかった。
記者:人手の余裕はありますか?
ベテラン保育士
全然余裕はないですね。もっと人がほしいです。
若手保育士
もっと保育士がいたら子どもや私たちにとっても楽しい保育ができると思います。子どもに『ちょっと待ってね』と言うことも多く、窮屈させているかもしれません
この保育所では基準より多い保育士を配置している。それでも実際に子どもたちを見る現場は手一杯の様子だった。
もし、国の基準通り(保育士1 対 子ども6)で保育をやらなければいけなくなったら・・・
ベテラン保育士
毎日イライラしてると思います。余裕が全然なくなって子どもをかわいいと思えなくなってしまうかもしれない。
切実な声を受けて国も動き出すも・・・
配置基準は、75年間見直されていない部分もある。
働く女性が増え、保育のニーズが高まり続けている今、基準をより実態に即した形に変えてほしいという現場からの声を受けて、政府は配置基準の改善に乗り出そうとしている。
6月13日に閣議決定された新たな政府の少子化対策方針「こども未来戦略方針」に職員配置基準について、
1歳児は6対1から5対1へ、4・5歳児は30対1から25対1へと改善すると、明記した。
しかし、政府は「現場が混乱するおそれがある」として、基準そのものの見直しは先送りにし、
当面、基準を超える数の保育士を配置した施設に人件費を加算していく方針だと説明している。
のしかかる重労働・待遇面はさらに深刻
政府の人件費の加算方針で果たして十分と言えるのだろうか。
先ほどのぐみの木ほいくえんで、職員の給与明細を見せてらった。
勤続15年の40代の保育士の月額の給与は手取りで17万4000円程度。正規職員の給与だ。
この給与にも配置基準は大きく関わっている。
保育士の人件費は国が定めた額が支給されている。支給額は、その園に在籍する子どもの人数に対して最低限必要とされる保育士の人数を配置基準を元に計算した分となる。
ぐみの木ほいくえんでは、配置基準を元に計算すると10人の職員が必要とされるため、支払われる人件費は10人分のみだ。
しかし、基準通りでは子どもの安全を守り、大切にする保育ができないとして、すべてのクラスで基準よりも多く職員を配置。実際にかかっている人件費は22人分になり、そのため、ひとりひとりの給与を低く抑えざるを得ない状況だ。
保育の質を維持していこうという保育所の努力の反面、財源が足りないために保育士の待遇にしわ寄せがいっていることがわかった。
経営側は・・・
本当に心苦しい。職員の給与明細を見るのが嫌です
先生たちの『こんな保育をしたい』という意欲を悪用しているわけではないですが、一方でどうしても配置基準が低いので、これだけしか給与は出せなというせめぎ合いです。配置基準を根本的に改善してもらわないと楽にならないと思います。
政府の加算方式では、1,4,5歳児で現状の1.2倍程度しか加算されないとみられている。
基準の2倍以上の保育士を雇っているため、今の給与に少額ずつ増額するしかないのではないかと胸の内を明かしてくれた。
山中理事長:なぜ子どもをもっと大事にするという発想にならないのかなと疑問に感じます。ちゃんとした保育をしようと思ったらお金がかかります。国にはもっとちゃんと現場を見てほしいです。
“異次元”というならば・・・
どこの保育所も同様の状況なのだろうか。私の子どもが通っている保育所のことも頭をよぎった。
保育現場に詳しい名城大学の蓑輪明子准教授は、「保育のニーズを踏まえると、配置基準が足りていないということははっきりしているので、園も持っている財源や補助金を活用しながら、非正規雇用の保育士を雇う形で人数を増やして、基準よりも保育士が多い体制を作っているのがほとんどの実態」だと指摘している。
さらに、経営の裁量がある民間の保育所と違って、公立の保育所の状況の方がさらに大変だとも説明する。
実際に、県内の保育施設で作る団体の調査によると、一部の自治体では年齢ごとに独自に配置基準を設け、保育士を多く配置しているが、多くの公立の園では基準ギリギリの人数で保育が行われているという。
基準より保育士が多い園でも手一杯な状況だったのに、果たして基準通りの園で、どのように安全を確保しているのだろうか。
現場の努力は非常に大きいと思います。現状の配置基準でなんとか安全に事故なく過ごせているのは、現場の保育士の努力や経験によるたまものです。一方で、そこからすり抜けたり要因が重なって不適切保育や虐待になるところもあります。100%確実に安全や質を保障できているかというと、皆不安を抱えながら保育をしています。
そうした中で、配置基準の改善は先送りにされ、加算方式を打ち出している政府。
加算を受けられるよう現状より手厚い配置にするかどうかは、園や自治体の判断に任されることになる。
やはり異次元の少子化対策を政権が掲げているのであれば、安心して、むしろ楽しめるような子育ての環境を作っていくべきです。そのためには、すべての園で配置基準をしっかりと上げて、手厚く保育士を配置しながら経験のある保育士を育て、しっかりと質の確保につなげていく必要があります。良い保育の環境があることで、子どもを産もうとか、子育てをしようという気持ちになるんだと思います。
取材後記
いつも仕事が終わって娘を迎えに行っても、その日一日娘が保育園で何をしていたのかを聞ける相手がいない。0歳児~5歳児クラスまですべての子どもたちが一つの部屋で動き回り、保育士さんたちもお迎えと目の前の子どもの対応で手一杯だ。もちろん安全を第一に保育をしていると信じているが、低すぎる配置基準や見合わない待遇の話を聞くと、少しでも状況を変えていかなければいけないのではないかと、記者としても、母としても強く思う。