地域発!感動のステージを「三河市民オペラ」取材記
- 2023年05月11日

5月、愛知県豊橋市で公演が行われた「三河市民オペラ」。本格的な舞台に、2日間で約2700人の観客が沸きました。
このオペラ、地元企業の経営者たちが、資金集めなどの制作業務に全面的に携わるユニークなオペラとして、全国的にも注目されています。
彼らはなぜ多忙な中オペラに情熱を傾けるのか?その舞台裏を取材しました。
(NHK名古屋 ディレクター 吉田英司
「三河市民オペラ」とは

まず、三河市民オペラについて簡単にご紹介しましょう。
三河市民オペラは、豊橋市や豊川市など東三河地域の人たちによって2005年に設立。「市民オペラ」と呼ばれるものは全国各地にありますが、三河市民オペラの最大の特徴は、地元企業の経営者たちが運営していることです。
出演者が経費を負担したり、行政に頼ったりするのではなく、地域経済の担い手であるビジネスマンたちが、資金集めなどの制作業務を全面的にバックアップする体制は珍しく、全国的にも注目されています。
これまでに、以下の4公演を実施してきました。
- 2006年 モーツァルト作曲「魔笛」
- 2009年 ビゼー作曲「カルメン」
- 2013年 プッチーニ作曲「トゥーランドット」
- 2017年 ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」
いずれも、演奏が難しく、多額の経費がかかる演目です。これらにあえて挑戦し、熱狂的な舞台を作り上げてきた実績は、クラシック音楽業界でも高く評価されています。
そして迎えた5回目の公演。私が最初に取材で豊橋を訪れたのは、本番の2ヶ月前でした。
地元市民 56人の合唱団
私が訪れた3月11日は、合唱団とソリストによる立ち稽古の初日でした。


今回の公演では、地元の一般市民で構成される56人の合唱団が貴族などを演じ、プロのオペラ歌手が主要キャストを演じます。
合唱団は、難しいイタリア語の歌を覚えるため、80回を超える稽古を重ねてきました。
共演するプロのオペラ歌手は、日本を代表するトップクラスのソリストたち。合唱団のメンバーは、緊張しながらも、本物の歌声を間近に聴いてモチベーションを高めている様子でした。
なぜ社長たちがオペラを…?
練習場には、出演者だけでなく、裏方を支える人たちの姿が。地元企業の経営者たちによって結成された「三河市民オペラ制作委員会」のメンバーです。

自動車販売業、IT企業、清掃業、保険会社、佃煮屋さん などなど、職種も年齢も様々。地域経済を支える現役バリバリのビジネスマンたちが、多忙な本業をこなしながら、プライベートの時間をほぼすべてオペラの準備に注いできたのです。
興味深いのは、彼らのほとんどがオペラとは無縁の人生を送ってきたということ。
では、なぜオペラに情熱を注ぐのでしょうか…? 自動車販売業を営む制作委員長の鈴木伊能勢さん(77)は、こう語ります。

鈴木伊能勢さん(三河市民オペラ制作委員長)
「オペラは総合芸術というだけあって、手間暇がかかります。一人や二人では簡単にできない。それだけに、関わるすべての人の熱量がひとつに融合したときのエネルギーはすごいなって感じます。だから今オペラをやっているわけです」
鈴木さんは、三河市民オペラの「熱」を象徴するような人物。熱っぽく語る言葉には、有無を言わせぬ説得力があります。
しかし、「なぜ豊橋の社長たちがオペラを…?」という疑問が私の中に残りました。
総予算7000万円!資金集めに奔走
私は、制作委員の一人を追いかけることにしました。今回初めて三河市民オペラのスタッフとなった、保険会社の社長、笠原元樹さん(42)です。

オペラを一度も見たことのない笠原さんですが、本業で培った人脈と営業力を見込まれて、資金集めのリーダーを任されました。
オペラの上演には莫大な費用がかかります。今回の総予算は7000万円。チケットを完売したとしても全体の3分の1程度しかまかなえず、地元企業からの協賛金が不可欠です。
私が取材した日、笠原さんは本業の隙間を縫って4社を訪問。建設業、自動車板金業、木材加工業、鋳造業など、様々な企業にオペラ上演への協力を求めました。
このような地道な企業まわりを、笠原さんが中心となって、24人の制作委員会のメンバーが総出で行ったのです。

制作委員のこうした活動は、すべてボランティア。資金集めをはじめ、練習場の確保、ソリストの送迎、メディアへの広報活動、そしてチケットを完売させることなど、やるべきことは山積みです。
私は彼らの熱意に圧倒されながらも、まだ疑問が解消しませんでした。
「なぜ彼らはオペラのために、手弁当でここまで献身的に取り組めるのだろう…?」
感動を分かち合うために「観客を育てる」
三河市民オペラのミッションは、「舞台と観客が一体となった熱狂的な感動を分かち合うこと」。
それを実現するために、「観客を育てる」ことにも力を入れてきました。計7回のセミナーを開催するなど、観客の期待を高める取り組みを重ねてきたのです。

出演するオペラ歌手などを講師に招き、毎回100人ほどの観客を無料で招待。オペラ鑑賞が初めてという入門者も、物語の解説や舞台制作の裏話に興味津々です。
3月末のセミナーで講師を務めた演出家の髙岸未朝さんは、これまでに2回、三河市民オペラに関わった経験から、こう語ります。

演出家 髙岸未朝さん
「見巧者(みごうしゃ)という言葉があります。見るのが巧みな人たち、という意味ですね。観客の反応は、舞台のクオリティに大きく影響します。日本の観客はあまり表現をしないことが多いのですが、三河の観客は気持ちをすごく表現してくださいます。こうしたセミナーを通じて、期待を高めて来てくださるからだと思います。皆さんからの反応は、私たち作り手を成長させてくれるのです」
本番の3日前には、舞台を体感できるバックステージツアーも。


リハーサルの合間を縫って、舞台監督が美術セットや舞台袖の仕組みについて解説。貴重な体験に、参加者は「本番がもっと楽しみになった!」と興奮気味に話していました。
圧巻のスタンディングオベーション

そうして迎えた本番当日。2日間で2700席のチケットは完売し、客席は超満員に。地元はもちろん、評判を聞きつけたオペラファンが全国各地から詰めかけました。

資金集めに奔走してきた笠原さん。最終的に、地元企業278社からの協力を取り付け、協賛金の目標額を達成しました。
笠原元樹さん(三河市民オペラ制作委員)
「ただただ大変だったというのが率直な感想なんですけど、本番を終えたときに全てが報われると確信しています」
今回の演目「アンドレア・シェニエ」は、フランス革命を舞台にした恋愛悲劇。全4幕、約2時間半の内容です。

冒頭で華やかな貴族を演じていた合唱団。革命で貴族社会が崩壊すると、殺伐とした群衆の心理を迫真の演技で表現します。1年半をかけて稽古を重ねてきた成果を舞台にぶつけます。


ラストシーン、劇的なオーケストラの音で幕が降ろされると、圧巻のスタンディングオベーションが…!
私は長年、音楽番組を担当してきましたが、これほどの光景はあまり見たことがありませんでした。



ドア係として客席の後方から本番を見届けた笠原さん。初めて見るオペラの迫力と、ずっと応援してきた合唱団の頑張りを見て号泣していました。

笠原元樹さん(三河市民オペラ制作委員)
「感動しました。やってきてよかった。あれだけみんな立ち上がってスタンディングオベーションしてくれるなんて思ってなかったですからね。オペラって、すごいですね」
制作委員長として三河市民オペラを引っ張ってきた鈴木さんは、こう締めくくりました。
鈴木伊能勢さん(三河市民オペラ制作委員長)
「これだけのエネルギーを結集しないと、あの熱は生まれないんだなって改めて思いました。苦労したとか、どうでもいいんですよ。この瞬間のためにだけやってきたんですからね」
私はずっと「なぜ彼らはオペラを…?」という疑問への答えを、理屈で考えようとしていました。しかし、舞台と観客が一体となった熱狂的な瞬間を目撃し、関係者の充実した表情に触れて、これは理屈ではないのだと考え直したのです。
彼らはきっと、「この頑張りの先にある、何かとんでもなく熱いもの共有したい!」という理屈を超えた思いのために、オペラに取り組んできたのだろうと。