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この素朴な風景は今 ウクライナ抑留画が伝えること

ニュース特集

2022年4月28日

一面のひまわり畑で、子ヤギを追う幼い少女。
第2次世界大戦後のウクライナ東部にあった景色です。

今、この地に、ロシア軍の戦車が入っています。

絵を描いたのは、戦後のシベリア抑留でウクライナなどに収容された男性。
去年、97歳で亡くなりました。
現地での体験を後世に伝えようと、生涯、絵を描き続けました。

残された絵は今、何を訴えているのか、改めて見つめました。

絵に残す ウクライナの記憶

極寒の地に建つ、捕虜の収容所。

零下30度の中での強制労働。

寒さと飢えに命を落とす、若き戦友たち。

第2次世界大戦後、多くの日本兵が捕虜となり、旧ソビエト連邦の領土などに収容された「シベリア抑留」の絵です。

描かれているのは、今のウクライナ東部・ドネツク州。
ロシアによる軍事侵攻で甚大な被害が広がっている場所です。

木内信夫さん

作者は、千葉県柏市の木内信夫さん。
旧満州で陸軍の飛行部隊にいた21歳のとき、旧ソ連軍の捕虜となりました。
ウクライナなどの収容所を転々とする抑留の日々が、3年近く続きました。

出征時の木内さん

なんとか生き延びて帰国したあと、木内さんはその体験を絵に記録しました。

独学で身につけた素朴なタッチの水彩画。
その数は、生涯で100点以上。
戦争の記憶を今に伝える資料として、ユネスコの記憶遺産にも登録されています。

私が木内さんを初めて取材したのは、7年前。

2015年の取材時の様子 左が筆者

当時91歳ながら、精力的に描き続けていました。

「現地での悲惨な光景はたくさんの抑留経験者が語っている」
「自分は、向こうで何を感じたかをありのままに描きたい」

木内さんはそう話していました。

木内信夫さん

「本当は幸せになれるはずの人が、戦争に巻き込まれ、捕虜になり、病気や凍死や事故に遭うなりして死んでいった。描きながら泣けましたよ。戦争がいかに情けないものに終わるかということ。勝っても負けてもだめなんだってことを知らせたいね。それがいちばん知らせたい」

最期まで取りついた 戦争の傷

ロシア軍による軍事侵攻が深刻さを増す中、再び木内さんの自宅を訪ねました。

出迎えてくれたのは、息子の正人さんです。
木内さんに付き添い、その晩年は絵を描くことも助けていました。

「亡くなるぎりぎりまで、自分の好きな絵を自宅で描いていましたね」

去年、木内さんは97歳で亡くなりました。
戦争の傷は、最期まで消えなかったといいます。

息子 木内正人さん

「父が寝込むことが多くなってから、戦争中の怖いことや、つらかったことがフラッシュバックすることがありました。夢に見ちゃったりするんですよね。『兵隊が来る!退避!』って声を上げながら目覚める。『戦争は終わってるから、大丈夫だよ』って声をかけるとまた落ち着く。そういう感じでした。やっぱり、戦争のつらい記憶というのは最期まで人に取りついてしまうんだって、よく分かりましたね。だから今のウクライナの戦地の方々もね、子どもたちなんかは特に、記憶に残っちゃうんじゃないかって。かわいそうですよね」

父が望んだ未来には ならなかった

晩年まで戦争の傷を抱えていた木内さん。
しかし、描き残したのは悲惨な体験だけではありませんでした。

ウクライナの女性に農作業を教わる絵。

現地の復興作業に共にあたり、1日の仕事終わりには、手を振って別れたといいます。

労働の合間には、現地の子どもたちとも遊びました。

木内さんにロシア語を教えてくれた先生は、子どもたちでした。

ソ連兵たちとロシア民謡を歌った絵も。

木内さんは、敵味方関係なく心を通わす人々の姿を数多く描き残しています。

息子 木内正人さん

「"敵"だと言われてきた人たちだけど、実際に会ってみたら"同じ人間"じゃないかということに気づかされた。父はその時に、世界の庶民の人たちには戦争をしたいなんて思っている人は誰1人いないということが分かった。だから『これはもう、世界は平和になるだろう』と、本当にそう思ったそうです。ただ、実際はそうではないですね。この素朴な風景の、この絵の場所で今、何が行われているかというと、戦車が入っているわけですよね。現実は悲しいし、父が理想としていた未来にはなっていなかったですね。」

絵に託して 平和への思いを継ぐ

ウクライナに戦火が広がる今、息子の正人さんは、父の残した絵に再び向き合っていました。

遺品の中から見つかった、白黒の下書き。

労働で目をけがした信夫さんが、手当を受けた時の絵でした。
場所は、ウクライナの病院です。

父が完成させることができなかったこの絵に、色を付けることにしたのです。

「軍服の色もね、日本兵とロシア兵、実は違うんだってよく話してましたね」

父のタッチを思いだしながら、その絵に筆をのせていきます。

息子 木内正人さん

「父の絵にはいつも、人間が数人描かれているんですよね。人間と人間。そこにあるのは人間と人間なんだから、そこを見つめ直しさえすれば、互いに理解し合える。それは、父の絵から感じ取れるメッセージだと思っています。思い出しますよね。この席、この場所で、こんな姿勢で描いていましたんでね」

7年前に木内さんが語ってくれた、絵を描き続ける理由。
そのことばは、今さらに重く響くように感じています。

木内信夫さん

「『世界中は仲よくできるんだよ』って。そういうことを伝えたかったね。政治家はどうかわからないけど、庶民はみんな仲良くしたいって人ばかりだったから。それは『そうだったよ』って、みんなに知らせてやりたいね。だから戦争なんかしなくても本当はよかったんだよって。戦争になってからじゃ間に合わないんだって」

木内さんの絵は、京都府の「舞鶴引揚記念館」に収蔵されています。

息子の正人さんが公開している木内さんのホームページでは、日本語やロシア語を含む5か国語の解説付きで絵を見ることができます。

筆者

河合哲朗 記者(NHK名古屋)

2010年入局。前橋局・千葉局を経て、2015年からは科学文化部で文化取材を担当。文学、音楽や映画、囲碁・将棋などを取材。2021年から名古屋局。
趣味はアナログレコード収集で、泊まり勤務明けに名古屋市内のレコード屋の入荷状況をパトロールしています。

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