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"その国"の芸術とどう向き合うか ロシア文学者・亀山郁夫さんに聞く

ニュース特集

2022年3月17日

戦況が激しさを増す、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。
国際的な批判が高まる中、音楽の世界などではロシアの芸術家や作品を排除する動きも出ている。

ロシア文学・文化が専門で、文豪・ドストエフスキーの翻訳も手がけてきた名古屋外国語大学の亀山郁夫学長は、侵攻を"理不尽な暴力"と非難する一方、「芸術は個人が作り出すものだ」「"個人"と"全体"は区別しなければいけない」と強調する。

文化・芸術の視点から、今の情勢をどう見つめているのか、話を聞いた。

ロシア芸術が迫られる"踏み絵"
名古屋外国語大学 亀山郁夫 学長

―――ロシアによるウクライナへの侵攻。現状をどう受け止めていますか。

このような事態は予想もしていなかったので、侵攻の事実を知ったときは本当に衝撃的でした。理不尽な暴力に対して、なぜウクライナの人々がこれほどまでの苦しみを受けなければいけないのかと感じます。ロシアは旧ソ連時代、第2次世界大戦で多くの人が犠牲になっていますが、そうした歴史からいったい何を学び取ったのかという思いすらあります。

トルストイという作家のことばに「悪に報いるに、暴力を持ってするなかれ」ということばがあります。プーチン大統領の行う"悪"に対して「"暴力"で抵抗してはいけない」という考え方もあるんですが、今はそうしたことばが通用しない段階にまで来てしまっていて、非常に残念です。少しでも理性が残されているのであれば、なんとか対話の中で和解への道を図ってほしいと願うのですが、それが難しい状況に来てしまったと認識しています。

―――文学など、芸術分野への影響についてはどう見ていますか。

世界的に活躍するロシアの芸術家の中には、プーチン大統領と親しい関係にある人が多くいます。というのもプーチン大統領は、芸術を保護することに力を入れ、芸術による国家の"権威付け"にことさら意識を使ってきた政治家なんです。芸術家たちもまた、自分たちが生きるために、ロシアの国内で活動を行い、それなりの収入を得るためにも、どうしても国家のひごが必要でした。

たとえばロシアのサンクトペテルブルクには、※ワレリー・ゲルギエフという指揮者が率いる「マリインスキー劇場」という場所がありますが、ここに対しても国家がかなりの助成を行ってきた事実があります。今や世界でもトップクラスの劇場として名をはせていますが、これは、国家の強大なサポートがあったからなんです。今、こうした事件が起こったとき、芸術家たちはある意味で"踏み絵"のような判断を迫られているわけです。国際的には、プーチン大統領に対する抗議文を出さなければ、海外での活動を保証しないという状況に置かれているわけですから。

芸術家にとって、国家のひごはありがたいのですが、自分たちの芸術的な主張そのものが国家によって乗っ取られることは許しがたいものです。自分の良心を売り渡さずに国家とつきあい、国家のサポートを受ける。この駆け引きとともに長い歴史を経てきたという事実があるんです。そうした芸術家の苦悩は、われわれにはなかなか理解しがたいものもあると思います。

一方で西側諸国が、世界的に活躍するロシアの芸術家に対して"踏み絵"を迫ることも、避けがたいものだと思います。これだけロシアへの反発が広がる中で、コンサートに来る人々の中には「今はロシアの音楽を聴きたくない」という思いもあるわけですよね。商業主義の観点で見れば、それではコンサートが成り立たなくなるという側面もあるので、公演のキャンセルという判断もある程度は仕方がないものだとは思います。今のヨーロッパの抱える危機意識は、それだけ強いものがあるんだと感じます。

※ドイツのミュンヘン市は3月1日、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者を務めるゲルギエフ氏を解任したと発表した。ロイター通信などによると、ミュンヘン市はゲルギエフ氏に対してロシアによる軍事侵攻に明確に反対するよう求めたものの返答がなく、解任を決めたという。

ロシアの指揮者 ワレリー・ゲルギエフ氏

―――ロシアの芸術家だけでなく、ロシアの芸術作品そのものへの風当たりも強くなっているのでしょうか。

そうだと思います。音楽と国民性というものは、どこかで深く結びついているところがあります。音楽の持つ情緒が、その音楽が生まれた地域と深い結びつきを持っているということから、音楽そのものへの反発もおのずと起こってしまうのでしょう。

無前提の排除は問題 "批判的な知性で受け止めるべき"

―――日本での状況はどう見ていますか。

日本の音楽愛好家は非常に冷静だと思います。それは逆に、ウクライナで起こっている現実というものが身にしみてわかっていないということなのかもしれませんが、少なくとも現段階においては、ロシア音楽に対する偏見や嫌悪が現れているようには思いません。

―――国内の交響楽団で、コンサートで演奏予定だったチャイコフスキーの曲目を変更するという判断もありました。こうしたことが、日本で今後も起こることはあると思いますか。

それはないとは言えませんね。音楽は、それを聞きたいという人がいて初めて成り立つものなので、「聞きたくない」という人が大多数を占めるようなコンサートというものは、そもそも成立しません。しかし一方で、そうした意識調査のようなものもなくして、無前提で、"これはロシアのものだから悪い"というかたちで中止にしてしまうという判断が起こるのであれば、問題だと思います。

そもそも日本では、これまでのロシアに対する理解というものがかなり表層的で、上っ面だけのものだった可能性があると思います。こういう時だからこそ、ロシアの音楽や芸術をしっかりと受け止めていくという姿勢や、批判的な思考力、知らない世界に対して共感力を働かせながらも、それを批判的な知性で受け止めていくということだけは忘れてほしくないです。

例えば、私が研究しているドストエフスキーという作家の作品にしても、ことによると「もう読みたくない」という風潮が生まれてくるかもしれません。ただ、ドストエフスキーは、国境を越えて生まれてくるヒューマニティーというものをしっかりと作品の中に描き込んでいるわけです。それが"ロシアの作家だから"という理由だけではねつけられてしまうことは、避けなければいけないと思います。

ドストエフスキー(1821-1881)

―――「芸術は分けて考えるべきだ」という方向に変わっていく可能性はあると思いますか?

これは難しいと思います。すでにロシアの文学や芸術に対して深い愛着を持っている人にとっては、変わらないものとして残り続けるでしょうけど、ロシアの文化に取り立てて強い関心や理解を持っていない人たちにとっては、政治的な状況によって影響され、ロシア嫌いというものが広がってしまう可能性が、ないとは限らないと思います。

―――ただし、それではいけないという考えですか。

もちろんです。芸術というものは、国民性を反映しているとはいえ、一人の人間、個人が作り出したものです。それは、個人の思想性の発露のために生まれているわけではなくて、あくまで美的な表現として生まれているわけです。この事実をしっかりと理解したうえで芸術に接する気持ちを持たなければいけないと思います。"個人"と"全体"は分けて考えなければいけないということをしっかりと肝に銘じるべきだと思います。

1人の文学者として伝えたいこと
亀山さんが翻訳を手がけたドストエフスキー作品

―――文学からロシアに向き合ってきた立場として、今伝えたいことは?

人生というものは"命あってこそ"です。命なくしては、何ものもあり得ません。ウクライナにおける戦争をきっかけに、人間の命がいかに大事なものかということが再認識されてほしいというのが私の切なる願いです。私の文学者としてのメッセージはそこにしかありません。

私たちにできることは"歴史を学ぶ"ということじゃないでしょうか。次の世代の平和を願うためには、なんといっても、第2次世界大戦以降の歴史を学び直すことが必要です。ロシアとウクライナ、この2つの国がどういう道筋をたどって来たのかをしっかりと学ぶことによって、次の悲劇を避けるための努力を、今から始めるということしかないと思います。

―――ロシアやウクライナの現実を理解するために、たとえば、芸術・文化の面では、私たちは何を切り口にして学んだらいいのでしょうか。

たとえば、20世紀の音楽を例にとっても、人気のある作曲家5人の中には必ずといっていいほどロシア生まれの作曲家が出てきます。あるいは20世紀を代表する演奏家にも、ロシアやウクライナ出身の芸術家は多くいます。それほどまでに、ロシアやウクライナの全体を包むものとして、"芸術"というものの存在は大きなものなんです。その地域の音楽をしっかりと聞いたり、あるいは小説を読んだりすることを通じて、理解を深めることはできると思います。

私のおすすめはもちろんドストエフスキーです。『カラマーゾフの兄弟』を読むと、今の問題に対して我々がすべきこと、その"答え"が書いてあるんです。それは"命の大切さ"ということです。"国家"と"一人の人間の命の重さ"の比較とでも言いましょうか、そういった根源的な問いを、ドストエフスキーはこの作品の中でしっかりと書いています。『罪と罰』という小説の中にもそうしたテーマ性が前面に押し出されています。文学に接することによっても、現代のロシアとウクライナの問題の意味が理解しやすくなると考えています。

また、「ロシア文学」とひと言で言っても、そのかなりの部分がウクライナの文学でもあるんです。あるいは「ロシア芸術」と言っても、少なからずがウクライナの芸術です。芸術家たちは、「ロシア」とか「ウクライナ」ということを超えて、それぞれの営みの中で、それぞれの芸術活動を行ってきたという事実があるんです。そもそも文化的には、分け隔てることが非常に困難な地域でもあるんです。今回はその中で起こってしまった戦争ですから、ある意味で、その悲劇性はより一層際立っていると思います。

筆者

田川優 記者(NHK名古屋放送局)
2021年入局。名古屋局が初任地。愛知県警担当として事件・事故を取材。
趣味は将棋。勝負の人間ドラマに魅せられています。

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