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長崎 被爆の記憶

ナガサキ被爆の記憶

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に収蔵されている体験記を長崎放送局のアナウンサーなどが朗読。
ことしは長崎大学の学生10人に読んでもらい、被爆の記憶の継承を若者たちと考えていく。
※音声は実際の放送時間のおよそ半分に編集しています

<朗読>池田 耕一郎・長瀬 萌々子・中島 史理・西永 里花

放送日 被爆者名 体験内容 音声 朗読
7月25日(火) 山口仙二さん 当時14歳。県立長崎工業学校の生徒だった山口さんは、報国隊として三菱重工業長崎兵器製作所の大橋工場で壕を掘っていた時に被爆しました。家に押しつぶされた女の子を見るものの救えませんでした。電車に乗り込み、血や泥が広がる通路に倒れ込みます。 朗読を再生 長崎大学教育学部4年
佐藤健さん
7月26日(水) 中島収さん 当時15歳。長崎県立長崎工業学校の生徒だった中島さんは、報国隊として三菱重工業長崎兵器製作所にいたときに被爆しました。建物の下敷きになり、身動きが取れない状況で火の手が迫ります。 朗読を再生 NHK長崎放送局アナウンサー
池田耕一郎
7月27日(木) 中島収さん 傷を負いながらもやっとの事で逃げ出した中島さんは電車に乗り込みます。海軍病院で治療を受けて15日に退院。焼け野原を進み、自宅を確かめにいきます。迎えてくれた父から、被爆した母が稲佐国民学校にいると聞き、会いに行きます。 朗読を再生 長崎大学教育学部1年
白浜蒼大さん
7月28日(金) 宮嵜米敏さん 当時14歳。県立長崎工業学校の2年生だった宮嵜さんは、学校の壕で作業を終えた時に被爆しました。山に逃げ込んだ宮嵜さんは真っ黒な煙が山を覆う中で、死を覚悟して石に自分の名前を刻もうとします。しかし、爆風で落ちた木の葉がいっぱいで石が見つかりませんでした。 朗読を再生 長崎大学教育学部2年
山口豊さん
7月31日(月) 江口保さん 当時17歳。県立瓊浦中学校で助教として働いていて、8月9日は生徒たちが軍事訓練で使う道具を作っていました。しかし、原爆の炸裂の様子などの記憶はなく、戦後かなり長い間、「投下の時刻はうたた寝をしていた」と思っていたのでした。 朗読を再生 NHK長崎放送局アナウンサー
長瀬萌々子
8月1日(火) 江口保さん 8月9日の翌日、被爆した長崎の街を見ても、父親と再会を果たしても人間的な感情は湧き上がってきませんでした。両親の郷里の佐賀に避難しますが、頭髪が抜け落ち、地域の子どもたちにばかにされる日々を送ります。翌年春、江口さんはふと思い立って中学時代の親友に会いに行きます。 朗読を再生 NHK長崎放送局アナウンサー
長瀬萌々子
8月2日(水) 川上博夫さん 瓊浦中学校1年生だった川上さんは英語の試験日だったものの母親の勧めで学校を休むことにしました。被爆直後の長崎の街で負傷した友人や両親を亡くした子どもの姿を目にします。学校再開後、元気だった先生が原爆の影響で体調を崩す姿を見ました。 朗読を再生 NHK長崎放送局キャスター
中島史理
8月3日(木) 高井良明さん 当時12歳。県立瓊浦中学校の1年生でした。英語の試験日だったため登校し、その帰りに被爆しました。「井樋の口」電停付近で気を失っていたところ、自転車の荷台に乗せられて壕へと運ばれます。高校に進学した高井良さんは自転車で救ってくれた人と運命的な再会を果たします。 朗読を再生 NHK長崎放送局キャスター
西永里花
8月4日(金) 江頭千代子さん 当時35歳。城山国民学校で教師をしていました。他の先生と校庭で草取りをしていて、たまたま学校へ連れて来ていた四女・直美さんを寝かせるため校舎内に入ったところ原爆が投下されました。 朗読を再生 長崎大学教育学部2年
朝長桜さん
8月7日(月) 江頭千代子さん 泣き声一つ出せない幼い娘と江頭さんのもとに夫が来て、一緒に逃げ出しました。運動場にあった壕では傷ついた人の叫び声や悪臭が立ちこめます。また、身寄りを探し求める声や我が子を案じる母親の泣き叫ぶ声を耳にします。 朗読を再生 長崎大学教育学部3年
峯苫泉水さん
8月8日(火) 江頭千代子さん 江頭さんは亡くなった我が子の最期を思って「なぜ一緒に死んでやれなかったのか」と悔やみました。無傷だった夫も原爆病で亡くなりました。5人の家族を亡くした江頭さんは皆がどこかで生きているように思えてならず、夫の故郷を訪ねるのでした。 朗読を再生 長崎大学教育学部4年
取口七晴さん
8月9日(水) 桐山久子さん 当時15歳。県立長崎高等女学校の3年生だった桐山さんは、城山国民学校に一部が移っていた三菱重工業長崎兵器製作所で、報国隊として仕事をしていた時に被爆しました。 朗読を再生 長崎大学教育学部1年
岩波小遥さん
8月10日(木) 桐山久子さん 小学校の校舎から抜け出した桐山さんは、逃げながら長崎の街の惨状を目にします。命からがら道ノ尾までやってきて電車に乗り込み、たどり着いたのは遠く早岐でした。 朗読を再生 長崎大学教育学部4年
松川菜月さん
8月14日(月) 桐山久子さん 早岐の救護所では十分な治療は行われず、空襲に反応する体力も残っていませんでした。数日後帰路につきますが列車で移動中、機銃掃射を浴びます。道ノ尾の知人宅で終戦を迎え、8月29日やっと自宅へ帰り着きました。 朗読を再生 長崎大学教育学部2年
中村琴奈さん
8月16日(水) 桐山久子さん 家族の元へ帰ってからも原爆の後遺障害に苦しめられます。輸血時の激しい悪寒、抜け落ちてしまったおさげ髪。家族と同じものを食べても生じる激しい嘔吐・下痢・全身の蕁麻疹。さらには悪夢にも悩まされました。 朗読を再生 長崎大学教育学部1年
水越妃良さん
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