被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

原爆ノート86「山口仙二さん」「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」。1982年6月、国連本部で開かれた「国連軍縮特別総会」で山口仙二さんはこう訴えました。各国の代表に核兵器廃絶を迫ったこの演説は「ノーモア・ヒバクシャ演説」として知られ、被爆者運動の象徴ともなりました。山口さんは14歳の時に軍需工場で被爆して全身に大やけどを負い、顔や首にケロイドが残りました。長崎原爆資料館には、上半身が赤く焼けただれた山口さんの写真が展示され、訪れる人に原爆の非人道性を訴え続けています。山口さんは長らく、被爆者の団体をとりまとめる全国組織である日本被団協(=日本原水爆被害者団体協議会)の代表委員を務め、被爆者の援護と核兵器の廃絶を訴え続けました。被爆者の先頭に立って活動してきた山口さんでしたが、おととし7月、雲仙市内の病院で82歳で亡くなりました。山口さんの活動は、絵本としても出版されたほか、被爆体験は英語・韓国語・中国語にも翻訳されて受け継がれています。
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