被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート63“原爆詩人”福田須磨子 福田須磨子は、23歳の時に長崎で被爆し、家族3人を失いました。昭和49年、52歳の若さで亡くなるまでのおよそ30年間、原爆症と闘いながら原爆の悲惨さを訴える数々の詩やエッセーを書き残し、「原爆詩人」と呼ばれました。
代表作の詩集、『原子野』におさめられた「ひとりごと」は原爆投下から10年後に須磨子が新聞に投稿した作品です。そこには、「原子野に屹立する巨大な平和像。それはいいそれはいいけど。そのお金でなんとかならなかったかしら」「石の像は食えぬし、腹の足しにならぬさもしいと言って下さいますな。これが、原爆後10年をぎりぎりに生きる被爆者のいつわらぬ気持です」と、平和の象徴、祈念像が建てられるその陰で、国からの援助も受けられずに苦しみ続ける被爆者の思いがつづられ、大きな反響を呼びました。爆心地公園にある慰霊碑の前では、毎年4月2日の命日に、須磨子の死を悼む集いが開かれます。「原爆の傷痕、胸にみちしまま絶望と貧困の中で、たえだえに十年げにも生きて来しかな」慰霊碑に刻まれた詩、「生命(いのち)を愛おしむ」の1文です。須磨子のことばは、没後40年以上を経てもなお、被爆の苦しみと怒りをまっすぐに訴え続けています。
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