被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート46「浦上天主堂の旧鐘楼」浦上天主堂は、爆心地の北東およそ500メートルの場所にあります。カトリックの信徒らの寄付で30年の歳月をかけて大正14年に完成し、「東洋一」とうたわれました。しかし、原爆の爆風によって一部の壁などを残して倒壊し、その後炎上しました。当日、堂内には2人の神父と数十人の信者がいましたが、がれきの下敷きになって亡くなりました。天主堂には南北2つの塔があり、上部は鐘をつる「鐘楼」になっていました。
原爆によって南側のものは天主堂内に落下し、北側のものは崖を滑り落ちておよそ35メートル離れた小川に落ちました。鐘楼は、鉄筋コンクリート製で直径5.5メートル、重さはおよそ50トンあるとされ、原爆の爆風の強さを示しています。被爆した浦上天主堂は戦後解体され、昭和34年に再建されました。また、旧鐘楼は川の流れをふさいでいましたが、被爆当時の状態を保つため川筋の方が変えられて半分近くが土砂に埋もれたまま保存され、おととしには「長崎原爆遺跡」の1つとして国の登録記念物になりました。一方、鐘楼につられていた2つの鐘のうち、大きな鐘はほとんど無傷で残り、再建された天主堂で今も平和の象徴としてその音を響かせています。
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