被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート2「長崎に原爆が投下されるまでの経緯」プルトニウム爆弾「ファットマン」を積み込んだ
アメリカ軍の爆撃機B29「ボックス・カー」は、昭和20年8月9日未明、テニアン島の飛行場を離陸し、午前8時すぎに鹿児島県の屋久島の上空に到達しました。
ここで観測機と合流し、第1の目標で、当時、西日本最大の兵器工場があった福岡県の小倉、現在の北九州市に向かいました。そして、午前9時50分ごろ、小倉の上空に到達。しかし、街の様子が見えない状態でした。原爆の投下は、レーダーではなく目視で確認して行うことになっていため、小倉への投下をあきらめ、行き先を2番目の目標だった長崎に変えました。
そして「ボックス・カー」は、長崎に到達し、長崎市松山町の上空9600メートルで雲の切れ間からプルトニウム爆弾「ファットマン」を投下。午前11時2分、上空503メートルで
爆発しました。
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