被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート11「これまでの核軍縮の流れ」アメリカが広島と長崎に原爆を投下したあと、1949年には、ソビエトが核実験に成功しました。その後、両国は対立を深める中、敵より強力な核攻撃力を持つことで核攻撃を思いとどまらせるという「核抑止論」によって、軍拡競争がエスカレートしていきました。1962年には、ソビエトがアメリカ本土を狙う弾道ミサイルをキューバに配備しようとしたことで「キューバ危機」が起き、核戦争の瀬戸際まで近づきました。1960年代半ばまでにイギリスやフランス、それに中国も核実験を成功させ、核拡散が進んだため、この時点で核兵器を保有していた5か国に保有を認める代わりに核軍縮に取り組む、NPT=核拡散防止条約が1970年に発効しました。しかし、東西冷戦の中で核軍縮は進まず、1980年代後半には核兵器の数は7万発にも達しました。その後、東西の雪解けが始まると、米ソの間で、▼1987年にINF=中距離核ミサイル全廃条約、▼1991年にはSTART1=第1次戦略兵器削減条約が結ばれ、核兵器の数は大きく削減されました。一方、1996年には、核実験を全面的に禁じるCTBT=包括的核実験禁止条約が国連総会で採択されましたが、核保有国のアメリカや中国・パキスタンなどが批准していないため発効していません。
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