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長崎大水害

長崎大水害とは

昭和57年7月23日午後から降り出した大雨で、長崎市では、午後10時までの3時間で300ミリを超える豪雨となりました。長与町役場では午後8時までの1時間に187ミリの雨を観測。1時間の雨量としてはいまも日本観測史上最大です。

死者・行方不明者は299人に上りました。県内およそ4500か所で土石流や土砂崩れが発生し、死者・行方不明者の9割近くが土砂災害の犠牲者でした。

県内の住宅600棟近くが全壊。長崎市内を流れる中島川などのはんらんで、床上・床下の浸水はあわせて3万7000棟余りに上り、市中心部の機能がまひし、「都市型災害」の始まりとも言われています。被害総額は3150億円余りと算出されています。

現在、気象庁が発表している「記録的短時間大雨情報」は、長崎大水害がきっかけとなりました。

あの時タイムライン

昭和57年7月23日から24日にかけてのあの時。どのようなことが起きていたのか?気象の変化、各地区の被害状況、行政の動きなどを時系列でたどります。
あわせて、地域住民や消防隊員、それに報道関係者らの思いを手記や証言からご紹介します。

7月23日(金)午後3時25分
大雨・洪水・強風・雷雨・波浪注意報発表
予想雨量は30~50ミリ、多いところで70~100ミリ。
午後4時50分
大雨洪水警報発表
予想雨量は50~100ミリ。局地的に150ミリ超のところも。

県警が災害警備本部、長崎市消防局が災害対策本部をそれぞれ設置。
長崎市も災害警戒本部と水防本部を設置。
しかし、この時点でほとんど雨降らず。
午後6時00分
1時間に15ミリの雨。雷雨も。
午後6時30分
大瀬戸町(現:西海市)から長崎市消防局に床下浸水の第1報。
消防が災害対策本部警防班で5人、通信員6人増強。
中央、北両消防署でも人員増強。
午後7時00分
1時間に18ミリの雨
長崎市内でも、家屋の浸水や小川のはん濫など災害通報が入り始める。
このころから浦上川流域で浸水。
午後7時20分
長崎市消防局が全職員と団員を非常招集。
北栄町で山崩れ。

ある消防隊員の手記

床上浸水発生の指令により現場へ出動すると、またたくまに床上まで浸水してくる家屋があり、あちこちから「何とかして」と要請されるが何ともしようがない状況である。とりあえず土のう積を施すが効果はなく、ますます水かさは増してくる。(長崎市7.23大水害誌より)

午後7時30分
このころから中島川流域で浸水が始まる。
午後7時35分
路面電車が冠水で運転停止を決定
長崎からの発信電話を50%規制。
電話がつながらず。
午後7時40分
滑石3丁目で山崩れ
川平町で山崩れ
★⓶太田尾町山川河内地区の山口辰秋さんの証言
午後8時00分
長与町役場で1時間に187ミリの豪雨。
長崎市でも1時間に112ミリの大雨 雷雨の状態に

長崎市内の一部で停電。
消防局の通信指令室に災害通報相次ぐ。
川のはん濫、道路冠水、土砂災害など。
芒塚町、宿町、田中町、北栄町、鳴見町、滑石2丁目で山崩れ。

長崎市東公民館長の手記

水は庁舎1階の床高を越え、地階機械室へすごい音を立てて流れ込む。非常灯も消えて真ッ暗。2階へ上がる。階段を上がる人に「落ちるな」と注意。誰かが「ロープ」「ロープ」と叫んでいるが、館にはロープがない。シャッターのひも、掲揚台のひものみ。2階バルコニーから「泳げ」「泳げ」と叫んでいるが、聞こえたとしても泳げる状態ではない。館内の避難者150人ぐらいか。講座や会議で在館していた者、歩行者、避難者など。事務室の電話にたよる人多数。館内に居ても、豪雨・寒さ・恐怖で不安。座り込んでいる者も。そのうちに電話は一方通行。送信不能となる。(長崎市7.23大水害誌より)

午後8時05分
東町長竜寺、三川町で山崩れ。
午後8時10分
東町侍石で山崩れ。

ある自治会長から聞いたという話

侍石の土石流地にごう音を伴う巨大な青白い火花を幾つも見ておられる。侍石の土石流は全長が700m以上で、取り残された石が、なお降りやまぬ雨のために、あとからあとから落下して、巨石と巨石が衝突するらしく、漏電のスパークのような火花が、雨に映じ水に写って上方左右に大きく夜空を輝かしたものらしい(長崎市7.23大水害誌より)

午後8時15分
東町瀬古、川平町、三川町で山崩れ。
午後8時30分
長崎県と長崎市が災害対策本部設置。
出雲1丁目、昭和、戸石町坂、川内町、本河内町奥山で山崩れ。
★③本河内町奥山地区自治会長の濱下嘉壽雄さんの証言
停電区域も次第に拡大
午後8時35分
上戸石町長谷、平間町で土砂崩れ。
★④上戸石町の西元賢治さん(元消防隊員)の証言
午後8時45分
界町、中里町で山崩れ。
午後9時00分
1時間雨量102ミリ。
船石町で山崩れ。
NHKで「ニュースセンター9時」が水害を全国放送
午後9時30分
消防局に人身事故の通報が相次ぐ。
翌日の午前2時までに1140件の通報。
中島川上流で増水がピーク。
★⑤中央橋付近で救助活動に当たった元消防隊員の石谷忠善さんの証言
午後9時40分
長崎県知事が陸上自衛隊に災害派遣要請。
西山木場一の坂で山崩れ。
午後10時00分
1時間雨量99ミリ。
長崎県に災害救助本部設置。浦上川の浸水がこのころピークに。
西山台2丁目、辻町、上戸町で山崩れ。

NHKカメラマンの手記

中島川の氾らんで、数人が街路樹の上で救助を求めているとの情報も入り、市の中心部へ向かう。しかし、中島川の手前で水かさが深くて近寄れず。又、繁華街へ通じる歩道橋の上に多数の人がいるとの情報に、高台にある県庁方面からう回して現場へ向かうが、やはり水のため100メートル程手前の下り坂でストップ。(長崎水害の記録・NHK長崎刊)

午後10時05分
鳴滝3丁目で山崩れ。
午後10時10分
小瀬戸町で山崩れ。
午後10時30分
戸町3丁目、江ノ浦町で山崩れ。
午後10時35分
長崎港が満潮に
昭和で山崩れ。
午後10時40分
川平町内平、泉町で山崩れ。
午後11時00分
1時間雨量61ミリ。
小江原で山崩れ。
午後11時30分
小ヶ倉町2丁目で山崩れ。

ある消防隊員の手記

山崩れにより家屋が倒壊し4人が生き埋めになっているとの通報があった。消防隊は直ちに現場へと急行するが途中山崩れのため車両は通行できず、土石の中を腰までつかってやっとのことで到着。住家は無残にも土砂と岩で完全に倒壊し、土砂の中に2階の瓦が見える。先程まで人が住んでいたとは思われない程変貌し生存者の確認は絶望的である。(長崎市7.23大水害誌より)

7月24日(土)午前0時00分
1時間雨量40ミリ。
停電が6万2000戸とピークに。
午前1時00分
1時間雨量2ミリ。
午前2時00分
1時間雨量38ミリ。
午前2時15分
市の避難所61か所開設完了。
うち43か所に計1894人が避難。
午前3時00分
1時間雨量13ミリ。
中島川にかかる中央橋付近の浸水がようやく解消
午前4時00分
1時間雨量3ミリ。
死者41人、行方不明者262人(長崎県災害警備本部発表)。
午前7時00分
★⑥扇町の職場で一夜を明かし、翌朝取引先の状況確認で市内を巡った川浪良次さんの証言

長崎市とその周辺の
主な被災状況

鳴滝
死者・行方不明者25人
土石流で住宅24棟が全半壊
本河内町奥山
死者・行方不明者24人
沢の両側が大きく崩壊し、川の流域の12棟が全壊
木場町
死者7人
大規模な土砂崩れ
4棟全半壊
滑石
死者8人
亡くなった多くが濁流にのみ込まれた
川平町
死者34人
扇状地から大量の土石流が押し寄せ15棟全壊
昭和
死者6人
山崩れで大量の土砂が流出し、住宅5棟全壊
戸町/上戸町
死者9人
崖崩れで住宅2棟損壊
小江原
死者5人
山崩れで住宅1棟損壊
芒塚町
死者・行方不明者15人
山崩れ2か所。家屋も倒壊
宿町/界町
死者7人
国道付近で2か所の山崩れ
田中町
死者9人
山間部の地区で土砂崩れ
東町
死者15人
山崩れで住宅34棟全半壊
平間町
死者8人
山崩れで大量の土砂が流出
住宅8棟が全半壊
上戸石町
死者15人
山崩れで大量の土砂が流出
住宅6棟が全壊
川内町
死者8人
山崩れで大量の土砂が流出
住宅4棟全半壊
長与町
死者6人
国内の観測史上1位となる1時間187ミリの雨量を記録

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