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長崎県雲仙・普賢岳災害の法律提言 火を付けた中坊公平の一喝

シリーズ 普賢岳災害「個人補償」を求めた闘い⑥
  • 2023年06月05日

1990年に噴火が始まった雲仙・普賢岳。この災害では「個人の復興は自助努力」が国の基本的な姿勢でした。そこから、多くの人たちが奮闘し、災害時の公的支援の在り方は少しずつ変わっていきました。そのことが、今の制度に幅広く反映されていると指摘する専門家は少なくありません。

 どのようにして「行政の常識」の厚い壁に風穴を開けたのか。関係者の証言から紐解くシリーズの6回目です。 

今回は、被災者支援の法律制定に向けて奮闘した人たちの証言です。弁護士たちが生活再建のための法律提言を行ったきっかけは、「平成の鬼平」中坊公平弁護士の一喝でした。

NHK長崎放送局アナウンサー 野村優夫

中坊公平弁護士からの呼び出し 

雲仙・普賢岳の大火砕流が発生してから4か月後。島原で奔走していた福﨑博孝弁護士は、過労のため倒れてしまい、数日間の入院を余儀なくされました。

福﨑博孝 弁護士

ようやく退院した直後、福岡を訪れていた中坊公平弁護士に、福﨑さんは呼び出されます。

中坊公平 弁護士

ホテルの喫茶店で待っていた中坊さんは、福﨑さんの姿を見るや否や、一喝したといいます。 

福﨑博孝 弁護士 
「中坊さんは、僕のことを、機嫌がいい時には『福ちゃん』と呼んでいたんです。ところが、その時は、開口一番『君は』って言い出したんです。『君は』っていう時は、もう本当に機嫌が悪いときなんです。怒っている時なんです」
「『なんで俺、怒られんばいかんのかな』と思ったら『君は一人でええかっこうして、もし死んだら何が残るんだ』と言うんです。『なんで弁護士会を使わんか、仲間を使わんか』と。『きれいごとで、ええかっこうして、もし終わってしまったら、何も残らない』ということを、怒っていたんです」

 もちろん、これは「仕事を一人で抱え込まないで欲しい」という中坊さんなりの気遣いでもありました。 

実は、この場をセッティングしたのは、九州弁護士会の藤井克已弁護士でした。

藤井克已 弁護士

福﨑さんと藤井さんは、消費者問題でともに闘った仲間でした。藤井さんは、地元のために邁進する福﨑さんの姿を見て、なんとか力になりたいと考えていました。 

藤井克已 弁護士
「福﨑さんが現場の被災者の人に寄り添うようにして、必死になって、生活の解決策を求めていった。そのエネルギーがやっぱり出発点なんですよね。その熱量がすごかったんですよ。それに僕も引きずられたんでしょうね」

 藤井さんは、被災者の生活再建のための公的資金を引き出すには、国レベルでの事業化が必要ではないかと考えていました。そこで、中坊さんに、普賢岳災害の問題を日本弁護士連合会で取り上げて検討し、全国に向けて発信して欲しいと願い出たのです。ところが、藤井さんは、中坊さんから、福﨑さんとは別の意味で叱られたといいます。

藤井克已 弁護士 
「『まずは、地元の九州弁護士会連合会がなんとかしないといけない』と言われました。『我々は、いつも現場の積み上げからやってきたはずだ。なぜ、一足飛びに、全国の組織を動かそうとするのか。そんな天から降ってくるような対応ではいけない』という話でした」
「 福﨑さんに対しては『近視眼的になるな』という注意を与え、私に対しては『現場から積み上げないで大きなことができるはずがない』と警鐘を鳴らす。今から思うと、中坊先生は、人を見て、指摘する内容を変えていたんですね」

福﨑さんは、中坊さんの「弁護士会という組織を使え」という言葉には、法律を変えるようなうねりを作り出せ、というメッセージが込められていると、受け止めていました。

福﨑博孝 弁護士
「弁護士会が動き出したら『私は知りません』というわけにはいかないですよね。しばらく、この問題に継続的に関わることになるだろうと。ということは、この普賢岳災害のあと、次に同じような災害があっても救えるようなシステムを、どうやったら作れるのか。将来のことも見据えた動きをしなさい、ということも言われていると思いました」

 藤井さんと福﨑さんは、まず九州弁護士会連合会に、災害対策を考える小委員会を立ち上げました。そして、できるだけ早く九州弁護士会連合会としての提言をまとめ、それを受けて、日本弁護士連合会でも取り上げてもらうことを目指すことにしました。

様々な知恵を集めて

福﨑さんは、弁護士会での活動に向けて、行政マンや報道関係者、学者などと、より緊密に連携を取るようになりました。様々な分野の知恵を集め、被災者支援の法律制定に向けた提言に生かそうとしたのです。 

元NHK長崎のディレクター・久津輪雅さんも、その一人でした。 久津輪さんは、現在、岐阜県で、森林や木工に関わる専門学校の教員をしています。

元 NHK長崎ディレクター 久津輪雅さん

当時、久津輪さんは、被災地の現状を伝えるだけではなく、問題の解決に繋がるヒントとなるような番組作りを心掛けていました。そのきっかけとなったのが、ある中央省庁の審議官へ、被災者救済についてのインタビューを行ったときの経験でした。 

元 NHK長崎ディレクター 久津輪雅さん
「困った人たちの思いをそのままぶつけるような、詰問するような、インタビューをしてしまったんです。だけど、今になってみると分かるんですよ。その審議官の人は、全権を持っているわけではない。大臣ならまだしも。その下で働く一官僚にすぎないわけで、その人が、インタビューで、何か被災者のためになる答えができるかというと、とてもできるわけがないじゃないですか」
「これは本当にほろ苦い思い出ですね。ただ被災者の困難や怒りをぶつけるだけでいいのか。それが、『制度をみんなで考えることをすべきだ』っていうことに繋がっていったんです」

 今、久津輪さんは、森林に関して学ぶ学校の教員をしています。日常的に、県や市町村の林業に関わる部署の職員と話をする機会が多くあります。その経験の中で、当時感じた「建設的な議論」の必要性をより強く感じるようになったといいます。 

元 NHK長崎ディレクター 久津輪雅さん
「行政の職員は、やっぱり数年ごとに異動する人も多いんです。だから、必ずしも、その部署の専門性がある人ばかりではないんです。 ですから、民間の中で専門性のある人が、行政の人と良いパートナーシップを結ぶことが重要だと痛感しているんですよね。民間の側からも具体的な提案をすることができれば、行政の職員と一緒に考えながら、物事がいい方向に進んでいくということがよくあるんです」

 当時、久津輪さんは、福﨑さんから法律的な観点からのアドバイスをもらっていました。一方の福﨑さんは、そこで得た情報を、法改正に向けた提言に生かそうとしていました。 

二人が協力して、番組の制作を行ったこともありました。テーマは、「当時加入率の低かった地震保険をどのように変えていくべきか」。一足早く改革が始まっていたアメリカを取材し、「加入率を上げるための取り組み」や「住宅の所有者全員が加入する共済制度」などについて紹介しました。 

番組出演時の福﨑博孝弁護士

番組の制作にあたり、福﨑さんのもとには、久津輪さんから、海外の資料が大量にFAXで送られてきたといいます。

福﨑博孝 弁護士
「まったくの英文の資料を送ってきたんで、『何を考えているのか。読めるわけがないだろう』って、翻訳してもらった記憶があります」
「 アメリカっていうのは、自己責任の世界だと思っていました。それが、日本よりも『みんなで助け合おうっていう』という気持ちがあって、制度もある。びっくりしました。これは、本当にすごい情報なので、『使わない手はないな』って思うことが非常に多かったのを覚えています」

 当時、福﨑さんの周りには自然と人が集まり、貴重な情報が次々と寄せられました。その理由を、久津輪さんは、次のように推測しています。

元 NHK長崎ディレクター 久津輪雅さん
「圧倒的に大きな熱量を持って課題に取り組んでいる人っていうのがいるんですよ。それは農業やっている人もそうだし、行政の中にもいるし、弁護士さんの中にもいます。そして、お互いに響き合うんですよ。そうすると、お互いのエネルギーがちょっと増幅されるところもあるんですよ」
「 周りの人たちは、福﨑さんからエネルギーをもらい、ひょっとしたら僕ら周りの人間も福﨑さんにエネルギーを与えていたのかもしれないけれども、そういう関係が築かれていった感じがします」

1992年4月、九州弁護士会連合会の提言がまとまります。これを受けて、日本弁護士連合会に「災害対策基本法等に関する小委員会」が設置されました。 

そして、1994年2月。日本弁護士連合会としての提言がまとまりました。 
*収入がなくなった人への補償のあり方 
*災害復興基金を常設のものとするための法律の整備
*住宅共済制度の創設 など、幅広い論点が盛り込まれていました。

後の災害に引き継がれた「意思」

 この弁護士会の提言は、その後の災害に、大きな影響を与えました。 

阪神・淡路大震災を経て、被災者生活再建支援法が成立。生活再建のため、個人に現金を支給するという画期的な法律でした。 

この法律に尽力した一人が、元兵庫県知事公室長の和久克明さんです。

元兵庫県知事公室長 和久克明さん

当時、九州弁護士会連合会と日本弁護士連合会の提言書を読み、すぐに連絡をとりました。

元 兵庫県知事公室長 和久克明さん
「お互いに被災地ですから『基本的に考えていることは、通ずる所があるな。ああ、やっぱり同じようなことを考えているんだな』と思いました」
「 私は、初めて声をかけてくれたのが、福﨑弁護士だったと記憶しているんです。それが弾みになりましたね。『あそこの団体も、我々と同じことを言うとるやないか』と、自信を持って全国へ向けて発信できますからね。そういう意味で、九州弁護士会連合会は、非常に力強かったですね」

 福﨑さんは、和久さんたち兵庫県職員の強い意気込みに、驚いたといいます。

福﨑博孝 弁護士
「地方自治体が、本気で立法行為を本気でやろうということに、びっくりしました。『今ある法律を前提として、それをどう解釈して、使っていくか』というのが地方自治体の思考回路だと思っていましたので。法律を根本的に問い直そうという動きを地方自治体がするのは、私には、とても意外でした」

法律を作ることにこだわった理由について、和久さんは、次のように振り返ります。

元 兵庫県知事公室長 和久克明さん
「兵庫県も基金を作って対応したんですけど、法的な裏付けが弱いので、不安定なんです。例えば、ある市町村が『財政状況が悪いので、うちはやめます、やりません』ということも起こりかねません」
「それではダメなんで、どこの地域でも、どの場所に住んでいても、被災者が復興できるようにしないといけない。被災地域全体、あるいは日本全体に影響する話ですからね。どこか一つの県で、にっちもさっちもいかない状況になっている、ということは許されません。そのためには、法律にきちんと書いて、財政的な裏付けもしてもらう、ということが大事だと考えたんです」

さらに、立法運動にあたっては、「できた法律は、阪神・淡路大震災の被災地に遡って適用されない」ことを強調したといいます。

元 兵庫県知事公室長 和久克明さん 
「もし『遡って適用して欲しい』と言ったら、他の県の人たちから『兵庫のためにこの制度を作ろうとしているのではないか。自分の所が助かるために作る制度なのではないか』と思われてしまうんです。『そうではないんです。これからの災害のために作るんです』という方が、皆さんが賛同してくれると思っていたんですね。そこが、この制度ができるかどうかの分かれ道になると考えていました」
「そういう態度で私たちがいて、法律ができて、はじめて『阪神・淡路を放っておいていいのか』という議論が出てくると思っていました」

自分たちのためだけでなく、将来のために行動を起こす。ここにも、普賢岳災害の関係者にも見られた「意思」がありました。

災害復興での奮闘が今の制度に与えた影響

雲仙・普賢岳災害では、「災害からの生活再建に、個人補償はできない」というのが行政の常識でした。そこから、多くの人が奔走し、「個々人を公のお金で支え復興すれば、社会の復興にもつながる」という理念が、少しずつ広がっていきました。

 このことが、新型コロナ対策をはじめとした、今の施策に大きな影響を与えていると考える人は少なくありません。

福﨑弁護士は、普賢岳災害とコロナ禍の共通性を、次のように指摘します。 

福﨑博孝 弁護士
「『災害と病気では、状況が違うのではないか』という人もいるかもしれませんが、災害も病気も、行政の責任で起こったわけではありません。今回政府は、その経済的被害に対して、国民にお金を給付しました。 さらに、新型コロナの感染拡大に際して、行政は自粛要請をして、それに伴う損失を補填しました」
「普賢岳災害のときにも、警戒区域が行政によって設定され、立ち入りができなくなり住民に大きな被害が出ました。当時『住民の命を守るためなのだから、我慢すべきだ』という意見が多かったのですが、住民だけでなく、そこでビジネスをするため出入りしていた人や観光客など、幅広い人の命を守るためでもあったという意味では、コロナの自粛と似ている部分があったと、私は考えています」
「今回の対応を国が取るようになるまでに、時間の積み重ねが必要だったということなのかもしれません」

災害分野の弁護士の第一人者である津久井進さんも、福﨑さんと同様の考えに立つ一人です。

津久井進 弁護士

津久井さんは、雲仙・普賢岳災害や阪神・淡路大震災の直後であったら、今回のようなコロナの経済対策は行われなかったかもしれないと指摘します。 その意味で、普賢岳災害での関係者の奮闘は高く評価されるべきだと考えています。 

津久井進 弁護士
「コロナ禍で大変な目にあった企業の方々、あるいは労働者の方々を支える制度が今回できたんですけども、これは、雲仙・普賢岳災害で、農業や商業、観光業をやっておられた方々を基金事業で救ってきたやり方と、本当によく似ているんです」
「でも、今は常識だとしても、当時は非常識だったわけです。やっぱり、当たり前と思われているところに、異を唱えるというのは勇気のいることだと思うんです。『そんなことできるわけがないじゃないか』と言われたこともあったでしょう。それでも『これは正しいんだ』と、その『正しさ』というものを、論理的にきちんと説いたのが、雲仙・普賢岳災害のときの皆さんの活動の尊さなんじゃないかなと思います」

 一人一人の情熱が響き合い、増幅され、それが他の人にも伝わっていく「情熱のバトン」。それは、社会を変える確かな力になるのだと、普賢岳災害からの復興は、教えてくれています。

  • 野村優夫

    NHK長崎放送局アナウンサー

    野村優夫

    1992年、長崎局に初任地として赴任。26年ぶりの長崎です。
    社会課題解決のため努力している方々を取材し報道することで、同じ問題に向き合っている人たちへの参考になればと考えています。

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