長崎の日本最古カイギュウ化石 発見した研究者の数奇な運命
- 2023年04月19日
ある化石が長崎県西海市の崎戸町で発見されました。見つけたのは中学1年生。1980年の事です。正体不明のまま年月は過ぎ、43年後の2023年3月にクリーニングされて展示が始まりました。その正体は「カイギュウ」で日本最古、太平洋最古でもある貴重な化石でした。さらに、この化石の正体を突き止めたグループの一人が、発見したまさにその人だったのです。発見者であり解明者となったある研究者と化石をめぐる数奇な運命に迫りました。
NHK長崎放送局アナウンサー 木花牧雄
日本最古のカイギュウ化石
3月下旬。長崎県西海市の崎戸町で「ある講演会」が開かれました。
テーマは「日本最古のカイギュウ化石」について。講演しているのは福井県立恐竜博物館の宮田和周総括研究員です。
会場の崎戸中央公民館には地元の方など大勢の人が集まり、地元で見つかった貴重な化石の話に聞き入っていました。
そもそも「カイギュウ」とは何かというと、現在では、「ジュゴン」や「マナティー」がその仲間として知られています。分類上は「海牛目」となります。暖かい地域の浅い海や川に生息しているほ乳類で、海草などを食べています。いずれも絶滅が心配されています。
今のジュゴンやマナティーから遠く遠くさかのぼった昔に生きていた今回のカイギュウ。その化石からどんなことがわかってきたのでしょうか?宮田さんに解説していただきました。
これが「日本最古のカイギュウ化石」です。
およそ3300万年前の地層から見つかりました。同一個体の骨で、21本のろっ骨、4点の背骨などが含まれています。全長は2mもない小さな個体と推定されています。
もともとはこういう状態でした。ここから生物の特定のため、骨を見やすくする「クリーニング作業」を行っていきました。
もろくなった部分を樹脂で補強しながら、分割したり、周りの石を削ったりして化石を浮かび上がらせていきます。
そして3月。きれいにクリーニングされて崎戸歴史民俗資料館で公開が始まったのです。
さて、今回の化石が「カイギュウ」だと判断された骨の特徴はいくつかありますが、そのうちの1つが骨の中身です。👇はカイギュウ化石の骨の断面です。
さらに近くで見てみると…。
骨の内部には海綿質(スポンジのような構造)がなく、ぎっしり詰まっているのがわかるでしょうか。骨の中に組織が詰まっていると、骨の密度が高くなり、潜水しやすくなります。ジュゴンやマナティーは海草や水草などを主に食べているので、こうした骨の方が都合がいいということになります。これがカイギュウと特定する理由の1つとなりました。
今回の発見で、大昔のカイギュウ移動の「新たな歴史」が判明しました👇
- 約5000万年前の地図
- ●:カイギュウ化石の発見場所
(5000万年~3400万年前) - 水色:浅い海
- ★:今回見つかった西海市の化石
浅い海で暮らすカイギュウは、すでに3300万年前には太平洋に進出していたということが、西海市の化石から裏付けられたのです。
「カイギュウの化石」ということは特定されましたが、まだまだロマンを秘めているようです。宮田さんはこう語ります。
普通のカイギュウだと“ビアだる„みたいな大きな体を持ってますが、それにしてはこの個体は小さいんです。僕たちもこれが新しい特徴を持っている種類かもしれない、新種かもしれないという可能性も視野に入れて、研究していこうと思います。
カイギュウ化石の発見者は中学生
「新種」かもしれない…。ロマンがあってワクワクしてきます。そんな新たな歴史の扉を開いた「カイギュウの化石」。実は43年も前に、ある中学生が発見していたものだったのです。
その中学生が…。現在の倉敷芸術科学大学の加藤敬史教授です。ほ乳類の化石の研究などを行っています。
43年前。当時、中学一年生だった加藤さん。キャンプで西海市を訪れていました。小さい頃から化石に興味があり、仲間が海で遊ぶ中、一人、化石を探して海岸を歩いていたところ…。あのカイギュウの化石を見つけたのです!その場所に案内していただきました。
👆写真中央下の大きな岩のあたりに、当時化石があったということです。発見時のことを加藤さんはこう語ります。
マンガにでも描かれてるかのような、きれいな骨がむき出しの状態で岩の表面に並んでいました。
見つけたときは何を思いましたか?
もう40年ほども前の事なので、正確ではないですけど、多分相当興奮したんだと思います。
発見現場までかなり歩きましたね?
ただただ、化石を見つける楽しさとか興味とかで、こんなところまで歩いてきたんだと思います。 それがなければ多分こなかっただろうし、興味がここに導いてくれたんじゃないかと思います。
発見場所の目の前はもう海です。化石に関心のある少年が、化石が波に流されたりする前に、偶然通りかかったというめぐりあわせ。新しい歴史の扉を開いた化石が見つかった経緯です。
しかし当時、地元に専門家はいませんでした。加藤さんの発見から長い間、化石は正体不明のまま崎戸の資料館に置かれたままになります。
その間、加藤さんはさらに高まった化石への興味から、化石研究者への道を歩んでいきます。
そして今回。福井県立恐竜博物館の宮田さんたちとともに、自ら発見した化石の正体の解明にあたったのです。
子供の時に自ら発見した「謎の化石」。時を経て、教授として「カイギュウ化石」の特定に関わり、謎を解き明かした加藤さん。
この化石と加藤さんの不思議なめぐりあわせはどう感じていますか?
この化石を見つけたぐらいの時は、自分の中で化石への興味がすごく高まっていた時期でした。そのワクワクした気持ちのまま、化石の勉強をしたくて大学に行きました。カイギュウの化石のことはずっと気になっていました。クリーニングが終わって、とうとう研究がこれから進んでいくかと思うと感慨深いですね。
子どものころの関心を持ち続けたからこそのめぐりあわせでしょうか?
ものすごく運動ができるわけでもなかったですし、自分の興味にしか能力を発揮できなかったので、この分野に来たんだと思うんです。あまり取り柄のない人間でしたけれど、化石に対する興味や探究心は人一倍あったと思います。だから今があるのかなと思ってます。
発見者が解明者になるという、カイギュウ化石をめぐる数奇な運命。展示されたカイギュウ化石を前に、加藤さんはこう締めくくりました。
タイムマシンでもあれば、当時の自分に「お前、将来この化石を研究するぞ」と教えてあげたいね。